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新卒で鬱に

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はじめまして。私は4月から働き始めた看護師です。
元々環境の変化に弱く(適応障害)、しばらくは抗不安薬を頓服として服用しなんとかやっていたのですが、5月以降はほとんど物も食べれず休みの日も仕事のことを考えては1日中泣いていました。
5月末に精神科を受診し抗うつ剤を飲み始めたのですが、副作用がひどいため2週間休職しています。
特にいじめがあったわけではなく、環境の変化や真面目すぎる自分の性格が発症の原因だとは思いますが、正直元の職場に戻りたくありません。看護師という仕事も嫌になってしまっているかもしれません。
しかしこれから自立して生きていくことを考えるとどうしても働かなければならないものの、こんな状態で働けるとは思いません。
たった2ヶ月で家族や職場の方々に迷惑をかけてしまっていることがとにかく情けなく、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
将来の希望も持てず、今まで自分と関わってきた人全ての記憶を消して消えてしまいたいという思いが常にあります。

伝わりづらい文章で申し訳ありませんが、何かお言葉を頂けましたら幸いです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

出来事がその通りにあることを、その通りにみましょう。

薬なんぞに頼りたくないと思いませんか?
飲み続ければ、依存の恐れも出てきます。
いい医者は薬に依存させません。ですが薬が売れなければ商売になりませんから、薬を処方せざるを得ません。
薬を飲まずに治せる方法があります。
それが坐禅です。
何故治るかと言えば、事実をストレートにみる力がつくからです。
精神を病んでしまう人は、思考、妄想、精神のフィルターを通して物事を❝観る❞から病んでしまうのです。
たとえば、私は今、駅のホームに立っています。
電車がやってきます。
坐・禅の力によって、そのままに見ているから何の恐怖もありません。
坐禅とは、座ることではありません。
「坐…外の事に影響を受けない 禅…内なる思いに影響されない」
日常であっても、そういう心になる事、そういう心の状態をこそ、坐禅というべきです。
ところが逆に、人間は、外の事に転ぜられ、内なる思いに使われっぱなしです。
事実をそのままに見る事をせず、ときに精神のフィルターを通して観る事をします。
「後ろから押されたらどうしよう」
「誰か知っている嫌な人に会わないだろうか」などという【現実の目の前とは違う思い越しに】に観てしまうことが起こるのです。
それが思いのフィルターを通して❝観て❞いる姿=妄想です。
本当にただそのままを❝見る❞ということが禅です。
思い越しに眺めるのは観念、考えで❝観る❞ことです。
この微細な差異が、自分を眺める機会に乏しい現代人は、ごちゃまぜになっています。
出来事や事実に対して、自分の考えや妄想をごちゃまぜ、混ぜ込みにして眺めるのです。
坐禅は、妄想を根こそぎ除きます。ただ、ダイレクトに事実を観る力が養われましょう。
ただし、ただ坐禅をさせてくれるお寺に行っても、意味はありません。
ちゃんと悟りを開いた僧侶のもとで指導を受けなければ、坐って考え事して、スッキリした気になってホナさいならです。
静岡には素晴らしい禅の指導者がおられます。
浜松の龍泉寺、井上哲限老師、掛川の少林寺、井上貫道老師です。
有名なお坊さんや、役職がエライお坊さんとは別格の曹洞宗の事実上の本当の禅師様であると私は個人的に思っています。お弟子様方も立派な方々です。
定期的に坐禅会が開かれていますので、ぜひ参禅をお勧めいたします。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

合わないことを一生懸命しない

みけさん、はじめまして。

徳島県の法話と天井絵の寺 觀音寺 中村太釈です。

4月から看護師として働き始めたにもかかわらず、適応障害により環境の変化に弱く、抗不安薬を頓服してなんとかやっていたのですね。ところが、5月以降はほとんど食べ物ものとを通らず、休みの日も仕事のことを考えては1日中泣いている状態のため精神科を受診し、抗うつ薬の副作用のため2週間休職されました。
できれば今までを消してしまいたいと思うこともあるのですね。

つらかったですね。お察しします。

さて、職場にも行きたくない、どうしても働かなくてはいけないと思うけれど、周りに迷惑を掛けていることがつらいのですね。

つらいことを思い悩んでいると、さらにつらくなる負のスパイラルにはまり込んでしまいます。
そういう時は、一度思考を止めてみることもいいのではないでしょうか。

仕事も、人間関係も、みけさんが抗うつ薬を服用していることも、すべてです。
そして、みけさんが気負わなくてもよい仕事がきっと見つかると心に感じてください。
後は、時を待つばかりです。

つらいことや合わないことは一生懸命しなくてもいいのです。

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おきもち

徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の月例法話の他に、地域の出張法話の依頼もあります。 出張法話で寺のある地域の特産品「梨」を紹介するので、「梨のおじゅっさん」として有名になりました。 ホームページ http://houwa-kanonji.com/

人にどう思われるかより、自分を労って

みけさま
私も、社会人の一人であり、勤めに出ていますので、お気持ちがわかる部分があります。

就職して十年以上になり、今はもう考えなくなりましたが、はじめの1年目はやめたくて仕方なくなってしまい、先輩に相談していました。その時はとにかく続けてみてほしい。と言われ、きっとやってて良かったと思える日が来る。とアドバイスしてくださったことを覚えています。五月の連休明けがとてもつらかった記憶があります。

ただ、みけさんは、私と違うのかもしれません。もう限界にきてしまっているのかもしれませんよね。
一度長期のお休みをもらうことも一つかもしれませんし、辞めてしまってからまた、調子が良くなってから考えてもいいように思います。仕事は一つではないし、あなたの人生、迷惑なんて考えなくてもいいのです。今は甘えて、ありがとうと言っていればいいのです。

答えを出すにはまだ早い時期かもしれませんが、無理なら辞めてもいと思いますよ。

また、精神科のお薬ですが、個に合ったお薬を出すことはなかなか難しいらしく、上手にお薬を出してくれる先生は少ないらしいです。あなたに合う薬を出してくれるいい先生に出会えるといいですね。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

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