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質問に答えていただきたいです。

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この世についてどう思いますか。解釈ではなく本当のところリアルなお坊さんなりの真実をぶっちゃけていただきたいです。怒りですか。呆れですか。虚栄ですか。私利私欲ですか。

この前にふたつ質問しているのでそれにも答えていただきたいです。


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたはまだこの世をストレートにみていないと思います。

私も若い頃今も40で若いですが肌の張りもピチピチでだったスリムだった頃、あなたと同じように想えたことがありましたよ。分ります。
ですが、それは「おれ」という自分越しのフィルターで眺めたビジョンであって、実はこの世界のノンフィルターな姿を視ていなかったのです。
それに気づいたのは、この世の無常を感じた時…ではなく、サングラスをかけてガチャピンをみていた時、だんだん別のキャラクターに観えてきた時でした。
見えると観えるの違いを知りました。
肉眼で見ていることと、脳内で「観」ているものとは異なるものです。
事実と想念の世界の違いです。
たとえばピコ太郎さんが流行って一度脳内に取り込まれると、パンチパーマのちょび髭おじさんがすべてピコ太郎に観えてしまう。ヤクザ事務所の前にいたパンチパーマのサングラスおじさんに「(゚∀゚)ピコ太郎さんですよね?サインください!」と気安く話しかけたらボコボコにされてしまいます。
この世のパンチパーマおじさんはみんなピコ太郎でしょうか。いいえ、その事務所の前にいるそのおじさんは確かに似ていますが、とっても怖い人ですから気安く話しかけてはいけません。
何を言いたいって【自分の想念の先に事実がある】という事を申し上げたいのです。
あなたは想念を優先させている。
この世は、良いものでも悪いものでも怒りでも呆れでも虚栄でも私利私欲でもないです。
あなたがそういう風に思ってしまう。そういう風に思ってしまう人の頭の中でだけ、そういうビジョンになるだけです。
hasunohaの回答が間に合っていない、追い付いていなかったようで申し訳ありませんでした。尚更僧侶に嫌気を感じたでしょうが、我々は回答待ちなだけ。百歩さがって深呼吸して改めて、この世を見回してみてください。
「わたし・おれ・じぶん」というあなたの自我フィルター無しに物事を見るようにつとめて下さい。
仏道、仏法を修行するという事は、まさしくその自我フィルター、エゴフィルター、自分中心目線を取り除いて、ストレートに事実をみる用になる道です。
自分中心目線ですと、どうしても自分の考えびいきになる。
視界、世界が狭くなってしまうのですよ。
もし、もっとこの世を愛せるようになりたければ、この世を毛嫌いするのではなく、僧侶や人を嫌うのではなく、そう思ってしまう自分の中の自分フィルターの存在に気づいてみましょう。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

ごめんなさいね。しばらくお待ちください。

こんにちは。

 ここhasunohaは、現在質問制限がかかっており、一日に30件程度の問いがきます。
 登録のお坊さんは100人くらいいますが、みなさんお坊さんとしてすべき仕事をしながら、そのあいまにここで答えを書いています。ですので多分一日あたり実質5人程度のお坊さんしか答えることができていないと思います。また質問の内容によっては一日考えて書くこともあります。ボランティアでやっていますしね。回答のテンポはゆっくりです。
 ですので、なかなか答えがつかないのはごめんなさいね。しばらくお待ちください。

 あとね、新しい質問は、せめて前の問いに答えが入ってからにしていただきたいです。現在問いに制限がかかっており、他にも質問したい方がたくさんいらっしゃいますので。ご配慮を願いますm(_ _)m

 あ、この世についてですか?この世はそれをひっくるめてこの世です。これがリアルで真実です。

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おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoha回答僧登録。 好きな言葉は「和顔愛語」。和やかな顔と思いやりの言葉という意味です。曹洞宗開祖道元禅師は、愛語には世界を一変させる力があると仰っています。回答には厳しい言葉を入れることもありますが、相手を思いやる気持ちがあってこその言葉と捉え、受け止めていただきたいです。 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、投稿してから誤字脱字を直したり、内容をよりわかりやすくするため、若干加筆修正することがあります。ご了承ください。 ※「お礼」は必ず拝読していますが、それに対して回答の追記は原則しないことにしています。ご了承ください。 ・回答する件数は減っていますが、ほぼ全ての質問とつぶやきに目を通しています。
話すのが苦手なので、原則不可とさせていただいています。どうしても!という場合は運営さんに問い合わせてみてね。

この世と人生は苦楽です

拝読させて頂きました。ご質問頂きありがとうございます。私なりに回答させて頂きます。
人生は苦楽ですね。現実にこの世を生きていくことはどの様な状況にあっても大変苦しいことが連続しておきます。その中でわずかに喜びや楽しみがあり、あまたのものごとに囲まれて生きているのです。
苦しみは本当に味わってみなければわかりません。味わってみてはじめてその痛みがわかり、人の痛みもわかるのです。だからこそ喜びを感じて人と共に分かち合うことができるのです。
頭の中で考えることも大切ですが、現実を直視して自分で体感なさりながら己れの人生人の人生人の世について考察なさり、何が大切なことか、何が正しいことか、私達は何をもとめて生きているのかをこれからの人生で学んでください。
あなたは独りではありませんから、この世をこの時代を共に生きるものとして学んで参りましょう。

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おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

一切は苦

息を止めてください。
苦しくなって息を吐きたくなります。
では、息を吐き続けてみましょう。
苦しくなって息を吸いたくなります。
息を吸い続けてみましょう。
苦しくなって息を吐きたくなります。

人生は、これと同じです。
この世は、次から次へと苦しみの刺激がやってきて、次から次へと対処し続けなければならないのです。
快楽でさえ、その正体は「苦」なのです。
だから、どんなに楽しいことでも、ずっとやってたら嫌になります。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

これも運命です。よね。

問いかけても放置される、これも運命なんでしょ?あなた風に言うと。
でも何となく苛立って、「この間のに答えてくれ」って言っちゃう。「運命だから」って受け入れたくないのかな?って思う。

あとね、「お坊さんなりの真実を」、それを「解釈」というのよ?もちろん坊さんに限ったことではなく、「誰かが表現する」という時点で、それは当人の状況に立った「解釈」にしかなり得ないんだけど…。その辺り、分かりますか?

で、この世…学校みたいなもんかな、実験と経験と学びとがあって、いつか卒業するところ。
でも、あなたの挙げている例は、みんな「この世の人」についてみたいだけど、「この世」について聞きたいんだよね?

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

おまたせしましたー!

三度目の回答ですが…!もうしばらくお付き合いくださいませ!

この世の真実ですか…!これを言葉にするのは、難しいですね。
言葉と解釈は常にセットだからです。言葉を媒体とする限り、解釈からは逃れられません。
言葉とは、意外と器用そうで不器用なのです。

というわけで、世の中の真理(=あなたのいう真実ですね)と解釈のはざまを伝えようとした方のお話をご紹介します。

「拈華微笑」というお話です。

とある日の、お釈迦様のご説法。
お花を一つお持ちになって皆の前に立ち、にっこり微笑みました。
弟子の摩訶迦葉が、その真意をくみ取り、微笑み返しました。

…以上です。おおお、なんとシンプルなのでしょう!

上手に「真理」と「解釈」のはざまにいます。
お釈迦様、絶妙な匙加減です!素敵すぎるー!

どうでしょう?・・・何かピンときましたか?

…さて、次に、私の言葉を通して「真理」についての「解釈」をさせて頂きます。
「拈華微笑」のワンシーンよりも、「解釈」をしている度合いは高まります。

真理とは、理性や感情によって識別される以前の、未分化の状態の世界のことです。
いわゆる「あるがまま」の状態ですね。
「全て」が存在し、それを問わない状態なので、同時に「何も(言葉で表現しようが)無い」のです。

(さらにもうひとつ補足を言うと、怒りや悲しみなど、人間の様々な感情を根源まで辿っていくと「快」と「不快」のいずれかに分類されます。しかし、「真理」とはそのような「快」と「不快」という名前の「感情の解釈」を超えたその先にあります。なので、巷でいう「悲しみの真理」などという表現は、残念ながら適切で無くなってしまいます!)

以上です。どうでしょう?…何かピンときたでしょうか?

と、ここまで説明しておいて何ですが・・・
共通認識(=共通の解釈)というものは、その対象を互いに知覚しているからこそ成立するものです。ということは、あなたが幾ら問うても、あなた自身が正しい形で「真理(真実)」を知覚しない限り、どなたからどんな回答がきても、納得できないと思うんです。

だからこそ、お釈迦様は「拈華微笑」し、祖師方は坐禅を組み念仏を唱え一挙手一投足を以って修行に馳せ参じたのでしょう。故に、私たちも彼らに倣うし、あなたもぜひそうして欲しいと願っています。

というわけで、灰ならししてきますー!

合掌

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

結局世俗的価値観から抜け出せてない答えで少々残念でした。お坊さんは世俗から身を置き自分の真理心理疑問矛盾を探究追求し解き明かし理解を深めていくものかと思っていまして。その理解を世に反映してとらえ考えていると思っておりました。質問の意図としてはそうじゃないよという返答をしやすくするよう質問しました。諦め開き直りが見えて少々残念です。

返信ありがとうございました。

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