神の存在は?
お世話になります。
主人の実家にお仏壇とその斜め上に神棚があります。
仏教的に神様とはどの様な存在でどの様な位置付けになりますか?
仏教初心者なので、色々と気になってしまいます。
宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大部分の日本人は神社の氏子で有り、菩提寺の檀家です
基本的には日本人にとっての神とは、八百万の神のことです。山・川・海・岩・泉・土・火・風・雷・樹木・草等々自然の一つ一つが神の依り代(神が降臨する場)であると考えられ、更には神そのものであると考えられてきました。また、歳神様が歳の初めに里に降りてきて春が来て芽が出て秋に収穫をもたらして里から居場所に帰られる。一年と四季のサイクルが歳神の往来として受け止められてきたという民族の歴史があります。
家の神棚とは、そういう神々を祀る場所です。基本的には、その土地の神様(産土の神)を祀るの場所です。神道が伊勢神道を中心なって以降「神棚の中央には天照大神を祀り、左には地域の氏神を祀り、左側には崇敬神を祀る」と神社本庁では指導してます。
表題にも書きましたように、日本に於いて仏教と神道は共存する形で定着発展してきました。宗派によっては「神器不拝」という立場を主張し、神棚を祀ることを否定するケースもありましたが、大部分の仏教教団は神道と共存してきました。
仏教寺院でも寺を守る鎮守として神を祀ってきました。仏教は、インドのお釈迦様の時代から布教するとき、既存の宗教に対して寛容な態度を取り、既存の宗教を否定せず、取り込んできました。インド古来の神であっても、経典などで「仏法の守護神」と位置づけ、また寺に本尊として仏像を祀るようになれば、仏法を守る護法神として四天王・十二神将・五大明王・大黒天・吉祥天・帝釈天・弁財天としてインドの神々を寺の境内や堂内に祀るようになりました。こうした流れは、中国・朝鮮・日本と仏教が伝播する時に一緒に伝わってきました。七福神の福禄寿や布袋は中国由来の神です。
日本の大部分の寺院では、寺を守る鎮守として何らかの神を祀っています。「インドの佛菩薩が姿を変えて日本の神となった」という本地垂迹説が考えられ定着していく過程で、白山権現の本地は十一面観音とされたり、愛宕権現の本地を地蔵としてきました。
尚、キリスト教やイスラム教という一神教で言う神は絶対神であり、創造主であります。神道や仏教とはかなり異なる風土や文化から生じてきた神であると言えます。
仏教の神様(天)と日本の神様
仏教で言う神様とは、天や梵天といった、人間よりもレベルの高い生きものを差します。
輪廻転生を前提に考える場合、人間も、天(神様)に生まれ変わる可能性があるのです。
また、神様が死んで、人間や動物などに生まれ変わる可能性もあるのです。
ちなみに、仏様とは、お釈迦様など、真理に目覚めた者のことです。
仏様は、天や梵天よりも上の存在(というかレベルが違う存在)です。
仏様は、輪廻転生から解脱(卒業)しています。
で、日本の神様を、単純に仏教的世界観に入れるとすれば、天か梵天に該当するのかもしれません。あるいは、人間の中で特に強い力を持っていた人を「神様」として崇めている場合もあります。菅原道真→学問の神様・天神さん、など。
ただし、仏教が日本に入ってきて日本的な思想に変容し、本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)という考え方ができました。
本地とは、正体・本体のことで、垂迹とは、化けて出ることです。
本地は仏様だけど、その仏様が人々を導くために神様の姿に変身して現れる、という日本独自の解釈で、日本古来の神様と仏教の仏様をくっつけて信仰したのです。。
○○権現(ごんげん)とか呼ばれる神様等が、それにあたるそうです。
家の神棚の神様が何かわかりませんが、日本に昔から住んでおられる「天」という種類の生きものなのかもしれません。
日本の神様の特徴として、死や血などのケガレを嫌うとされます。
(ケガレ思想は、衛生面では、感染症予防に役立った可能性がありますね。塩で清めるのもそうですね。)
だから、家で死人が出たときに、神棚を紙で覆って隠す風習があります。
また、生理で血を伴う女性が神社にお参りできない場合などもありました。
相撲の土俵に女性が登らないのも、それに関係するかもしれません。
仏教にはケガレ思想はありませんので、お坊さんが死人を平気で弔ったりできたのです。
両方を敬いましょう
交通安全、商売繁盛、安産祈願など現世でのご利益は神様にお願いして、命が尽きた時に極楽浄土に連れて行ってもらう事は阿弥陀仏にお願いすればいいのですよ。
両方を敬いましょう。
南無阿弥陀仏
質問者からのお礼
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願誉浄史 様
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ご回答ありがとうございます。
神様の解釈、色々とあるのですね。
どちらかと言うと、『仏様が人々を導くために神様の姿に変身して現れる』の方が、私にはしっくりきました。
しかしそうしますと、『死や血などのケガレを嫌う』ことに疑問が湧いてしまいます。
目に見えないものを解釈するのは、面白くもあり難しいです。
神様は、「神の祟り」とか「神がお怒りに」など、少々恐ろしく感じるところがあります。
>『仏教にはケガレ思想はありませんので』
これが本当の、上に立つもののお姿だと感じました。
ありがとうございました。
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吉田俊英 様
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ご回答、ありがとうございました。
なるほど、日本では仏様と神様は共存という考えなのですね。
その神様は日本古来のものではなく、他国から来たものだと知りました。
>『仏教は、インドのお釈迦様の時代から布教するとき、既存の宗教に対して寛容な態度を取り、既存の宗教を否定せず、取り込んできました』
願誉浄史様へのお礼にも書かせていただきましたが、こういう姿勢こそが、上に立つもののお姿だと感じました。
主人の実家のお墓へおまいりするとき、お寺さんの隣に神社があります。
それまでの私は、家の中に仏壇と神棚がある、お寺さんと神社があるなど、そういう経験がなかったもので驚きました。
吉田俊英様のご説明で、理解できました。
ありがとうございました。
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聖章 様
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ご回答、ありがとうございます。
なるほど、そうですね。
あまり神様や仏様へお願いするのは苦手?なのですが、感謝して、敬うことが大切ですね。
ありがとうございました。