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生まれ変わりについてです。

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すみません初めて質問します。

生まれ変わりというのはとても不思議だと思います。
生まれ変わったら生まれ変わった人の魂などはどうなるのでしょうか?

また、生まれ変わったあとの人生が終わってしまうと。魂はどうなるのでしょうか?
前世のひとの魂?がまた生まれ変わるために天国へいくのかそれとも生まれ変わった人の魂が天国へいくのか疑問におもいました。

わかりにくい質問ですみません。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死んだ次の瞬間に変わる

魂がどうこうは考えなくてよいと思います。
魂のままでフラフラしていることはなく、死んだらすぐ次の瞬間に、新しい生き物が生まれているのです。
生まれ変わった後に死ねば、また生まれ変わると考えられています。
仏教では、無始(始めがわからないはるか昔)から生まれ変わりを繰り返していると言われます。
ただし、悟って完全に煩悩がなくなった方(仏やアラカン)だけは、輪廻転生のくりかえしから解脱できると考えられています。
仏教の六道輪廻の思想では、天国という場所ではなく、天という種類の生き物に生まれかわる可能性があります。
天とは、神様みたいな生き物です。六道(欲にとらわれた六種類の生き物)として、天・人・阿修羅・地獄・餓鬼・畜生があり、そのどれかに生まれ変わるのが大半です。
天(神様)にも寿命があり、死ねばまた生まれ変わるのです。

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浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

魂はそもそもありません。

浄土真宗の立場では「全てのものに魂はない」と説きます。
(※魂を認めるという考えもありますが、浄土真宗はその立場を取りません)
魂がないことを「無我」「無自性」「空」と言います。
しかしお釈迦様は輪廻を説きます。
つまり『魂がないものが輪廻をする』というのが仏教の話なのです。
「んじゃ何が輪廻するの?」という疑問が湧きますが、それを解釈するのは少し難しい仏教教学知識が必要になりますので、ここでは省きます。

魂はありませんので、死後浮遊したり地縛霊みたいになったりすることはありません。
全てのいのちの結果は二通りです。
輪廻をするか往生するかです。
次のいのちが始まるか、解脱して浄土に生まれるかの二種類です。

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始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...

死んだことのある人はいない

生きている人間の思想です。
冷静になって物事を理性的に観察してください。
死んだことのある人で、生きている人がこの世にいるのでしょうか。
「仏教の思想は「思想」であって仏教ではない。」という言葉をよく味わってみてください。
本当のこと本当に知りたいのならば、私が考えている事は誰かが作った空想の絵空事かも…、という疑いも大切にしてみましょう。

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丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 法話禅会 毎週日曜3時より...

死後におけることについて

まつなか様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

死後のことにつきましては、これまでも下記の各問いにお答えさせて頂いております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_324660.html

それらの内容における要点と致しましては、

一、仏教の基本的な立場として、死後におけることは「無記」として、意味のない、益とならない議論であるとして退ける。

次に、一応は方便的に死後のことを論ずるとしても、

一、死後における自分が何も無いとしてしまうと、断滅論となって、虚無・絶無に陥ることによる弊害を生じさせてしまいかねません。

一、死後における自分が何か有るとしてしまうと、常住論となって、実体・自性を認めてしまうことによる弊害を生じさせてしまいかねません。

一、次に、死後における自分というものが無いというわけでもなく、また、有るというわけでもないとすると、結局は何か訳の分からない不定主義に陥り、曖昧で、いい加減なものとなってしまいかねません。

以上を踏まえた上にて、現時点における拙見解と致しましては、空にして縁起なるものとしての「心の連続体」・「心相続」というものを仮立してご説明をさせて頂くようにしております。

ただ、この「心の連続体」・「心相続」というものは、あくまでも論理的推論によって仮定、措定されて言えているものでしかなく、問題はやはりそれが真に何であるのかは、しっかりと理解して確信できるための修習が必要になるかと存じております。

とにかく、言えますのは、善き因縁には善き結果があり、悪い因縁には悪い結果があるということで、今の自分のありようは、過去における因縁による結果であり、そのありようが迷い苦しみの中にあるならば、やはり、その迷い苦しみに至るだけの因縁があったのであり、この迷い苦しみを何とかしたいとするならば、これからの因縁をより善いものへと変えていくことが望まれることになります。死後のことを心配するのであれば、とにかく今、この時における行いをより善いものとしていくことが大切なことであるとして、その方法論、ヒントが仏教にはたくさんございますので、是非、これを機会に仏教の学びを進めていって頂けましたら有り難く存じております。

川口英俊 合掌

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質問者からのお礼

ありがとうございました!
スッキリしました!

「自分を・性格を変えたい・直したい」問答一覧

やらないと気が済まない

自分の性格上、やるまでは、何をどの順番でしたら良いのかと言うことに迷うのですが、紙などに書き写してこのやり方でこの順番でと、こうと決めたらやらないと気が済まない事があります。 書類がなかったり、後回しになってしまっているとそれをいつも気にしてしまって、なんとなくしたいけど、気になるけどできないというせっつかれる思いに駆られてしまいます。 またそのやる事が失敗に終わったり、人に迷惑をかけてしまったりすると気持ちが凹んでしまいます。私が〇〇しなければよかったとか思ってしまいます。 (例えば先日の失敗談で言うと料理を作っていて貝が死んでいたのを洗っていても気づかずにそのまま焼いてしまって、食べた人も気づかずに食べようとしてしまいました。幸い食べる前に火通ってる??と聞いておかしいことに、気付いて綺麗なものに取り替えたのですが、気づかずに食卓へ出してしまった罪悪感と相手がお腹壊してないかなと心配をしてしまいます。でも、何度も聞くと相手も気になるだろうし、私は私で悪いことをしたなって思ったり、もやもやしてしまいます。) その中で、他の人との関わりで、他のことや楽しいこと(旅行とか食事会とか)があっても、その思い通りに行っていない後回しになったことが心の中で引っかかって気になって、心から楽しめなくなってしまうのです。 そこを割り切ってうまく切り替えれる人がすごいなと思うのですが、どうしたらそのようになれるのでしょうか? 物事に動じないというか、結果に一喜一憂しないというか自分の感情に流されないというか。 そしてせっつかれている時は、夜なのにそれを考えてドキドキしてしまったり、解決できるのは時間だけなのにぐるぐると出ない答えを探して考えてしまいます。 こうすればいいかな。ああすればいいかな。と考えて考えて出た答えが間違っていたらまた凹んでしまったり、いい答えの時もこれよりいい答えはなかったのかなと考えてたり、如何にかして自分が納得できる答えを探しているようです。 折り合いをつけるというか…自分を納得させるにはどうしたらいいんでしょうか?

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自分の性格について

最近では不祥事が起こればネットの匿名性とそれをネタに批判の域を越えた誹謗中傷が出てきたり、Aは好きなグループBのライバル的存在だからAを叩こうとする人が居たりと人が嫌になりそうです。 しかし僕自身も声に出したりネット上に発信こそしたりはしていませんが、嫌いなタイプの人にあったりすると暴言を心の中で吐こうとしている、結局は嫌悪感を持ってしまっている僕自身も嫌になりそうです。 他にも僕は打算的に動こうとしている節があり、「ありがとう」と言われたいから他の人が嫌がることをやる、愛想を振り撒く、そんな事が続いてます。心の底から純粋に誰かの役に立ちたいと思えないのが辛いです。 数年前、学園祭でやる演劇の内容を決めるための話し合いで学級委員だったとある女子がまとめ役として話を進めてくれました。話し合いは多くの人がが勝手に関係のない話をしたりして進みませんでした。時間により話し合いが終わり各々が帰った後僕は先程いった打算的な性格ゆえ掃除をしていましたが、ふと気づくとまとめ役だった学級委員の子が泣いていました。それも皆が話し合いに参加しないことについて憂いて泣いてたのではなく、自分が力不足だったからまとめられなかったと自責の念で泣いていました。しかも誰にも気を使わせないようにと、ほとんどのクラスメイトが居なくなるまでは我慢して。 僕はそんな彼女の考え方が羨ましいです。どうすれば彼女のような心の持ち方が出来るのか、本当にただただ尊敬しかありません。僕はこの性格とどう向き合えばいいんでしょうか。

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自己憐憫、自己中心の直し方

私の欠点を直す方法について、具体的なアドバイスをいただければと思い、質問させていただきました。 恋人に愛想を尽かされました。 カウンセラーである恋人は、6年も私の卑下や悩みに付き合ってくれていました。 でも遂に、「もうあなたは自分では変わる気が無いんだね。真面目にあなたの話を聞くのは止めるよ」と言われました。 自分でも考えましたが、私の欠点は、以下のようなものがあると思います。 ・自分のことしか考えていない (他人と比較して"自分は"劣っている、"自分の"行動が完璧でなくて恥ずかしい、等) ・批判されると、自分が可哀想だと思ってすぐ泣く ・自分自身を客観視できない (今できていること・できていないことだけでなく、今自分が何をしているのかすら、動揺しすぎて直視できない) ・他人の不幸は軽く見て、自分はほんの少し心が動揺しただけで大げさに騒ぐ ・他人の配慮や思いやりを無視するような行動を平気で取る ・改善策を実行する気がない 要約すると、自己憐憫、自己中心、行動する気の無さ…でしょうか。 自分は最低だなぁと思いながら、どう変えていけばいいのか… また悩むだけになるのは本当に嫌なんです。 今できる対処として考えているのは、 ①自己憐憫が湧いてきたら、それを自覚する ②"自分"から目を離す ③できていること・できていないことを自分で認める ④動揺することに慣れる ⑤とにかく行動を起こす 等です。 ただ、いずれも「じゃあ具体的な行動は、何をすればいいの?」という問いに答えられません。 15分くらいの坐禅でもすれば良いのでしょうか。紙に何かを書き出すとか? そのくらい、具体的な行動として、アドバイスをいただけないでしょうか。 具体化を求めるというのは、私の怠慢かもしれませんが… ヒントだけでもいただけたら、後は自分で頑張って考えます。 身勝手なお願いですが、どなたかご回答いただけたら、大変有り難く思います。

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