hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

昔言われた言葉を忘れるにはどうすればいいでしょうか?

回答数回答 1
有り難し有り難し 32

昔言われた言葉や態度をどうしても忘れることが出来ずにいます。

それが邪魔をして本当は相手にしてあげたい事がたくさんあるのに
出来ずにいます。

いざやろうとすると、昔の事がフラッシュバックして動けなくなってしまいます。
自分でもそんな小さい事でいつまでも!と何度も忘れようと努力してみましたが
どうしても上手くいきません。

どうやればというか、どう考えたら忘れられるでしょうか?
よろしくお願いいたします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いまその人の口はそんな言葉を語っていないじゃないですか。

理不尽に思われるかもしれませんが、今後の明るく軽やかな人生のために次の二つの事を乗り越えることをお約束してください。そうすればすぐです。

①確かに相手の言った言葉はひどかったけど、その事をずっと握り続けてきて「許せない」と被害者意識を強くして、ずっと被害妄想に浸って自分で自分をきずつけていた真犯人は私。
だから、自分を苦しめない為にも、もう過ぎた前の事をほじくりかえしてイチイチ自分の事としたり、自分のウィークポイントを突かれたと思いこまない。

②次にまた同じような言葉を言われても全然OKになるために、その言葉を言われたとしても、過剰反応、反発、抵抗をするのではなく、受けとめずに冷静にコミュニケーションを続ける。
❝いくら立派な人であっても、自分の悪口を言うような行為は受け取らない。❞
「それはどういう意味でおっしゃったのでしょうか」
「あなたがそういう事を言われたらどんな気持ちがしますか 人を中傷するような言い方は控えて頂けますでしょうか?」

相手を全部受け売れようとしなくていいのです。
生物というのは互いに、スパイスの面も甘い面を持ち合わせているから刺激も甘さも互いに交換し合って、、影響し合っているのです。
あなたが相手の全部を受け取ろうとするのではなく、相手の蜜をのみ吸収して、ご恩返しなされば良いのではないでしょうか。

今、そのひとの口は、いまだにそんな事を言っているでしょうか。
そんな事はありませんね。
現実の、たった今、現在を常に見る事です。
フラッシュバックは、出てきても、打ち上げ花火のように触らないでいる事で、15秒後には無くなっています。フラッシュバックとて、そのファイルを開いて、閲覧するしないも自己責任なのです。
仏道は自分上手になる道です。
でてくる思いは何もすべて相手にしたり、取り扱いを起こして妄想を広げる必要なんぞこれっぽっちもないのです。
良い人生を歩まれますように。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下覚元様

お返事ありがとうございました。
私は自分で自分を傷つけていたのですね!
その事にも全くの無自覚でした。
次に思い出しそうになった時はファイルに鍵をするイメージから始めてみます!
それでも妄想しそうになったらまたこの答えを繰り返し読みに来ようと思います!
ありがとうございましたm(_ _)m

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ