心の余裕
余裕があるときは、人に優しくできます。
余裕がないときは、人にきつくなってしまいます。
好きな人や大切な人を傷つけないために、こころに余裕を持つにはどうしたらいいですか?
皆さんはどのようにして、穏やかなときを過ごしますか?
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
諦め(明らかにすること)を知る
あなたの相談を拝読して思うところがありました。
「余裕があるときは優しくできる、ないときにはきつくなる」
まるでまさに私も同じです。他の人々もまた、同じようなものだと思います。
自分の長所や短所をうまくコントロール出来る人がどの位いるでしょうか?
うまくコントロールできないことが普通なんだよなぁと思い、いい意味での諦め(明らかにすること)を知ることではないでしょうか。
人に優しくすることは、ときに相手の思いとずれることがあります。だから人に対して普通にすることが大事だと思います。やたらと優しくすると、私はこんなに優しくしてあげたのにと、またそれがストレスになるかもしれません。
人は誰でも他人に対してきつくあたることは多々あるでしょう。でもその後で自分を客観視できるあなたはそれでいいのではないでしょうか。
心が安定している時にこそ!
>余裕があるときは、人に優しくできます。
>余裕がないときは、人にきつくなってしまいます。
ほとんどの人が、その通りです。私もそうです。
他人にやさしくすること、出来そうでできない。これも頭ではよく分かってます。
さて、どうしたら、できるのか?
まずは、自分自身をどう見ているかから考えましょうか。
はちさんは、どうですか。自分にやさしいですか。自分を裏切ってませんか。
自分をすべて認めていますか。そして自分自身を好きですか。
お坊さんはお経を読みます。私も毎朝、本堂でお経を読みます。
でも、単にノルマや義理で行ってはいません。本当に心から感謝できる時しか、お勤めはしません。だって、自分自身を偽っている時や、心が安定していない時は、逆効果です。
>どのようにして、穏やかなときを過ごしますか?
まさしく、心から感謝できる時に読経することで、穏やかに過ごしてます。
参考になったかどうか分かりませんが、まずは、己自身の安定を。
嫌な思いをさせない接し方
余裕がある時というのは、分かりやすく言うと客観的に物事を見ている時です。
どこかで自分事とも思わず他人事だと思っている時でしょう。
自分事として捉え、それを感情で処理しようとすると余裕がなくなります。
世界の戦争のニュースを見て、冷静に見ていられる時は、感情ではなく、ただその出来事を受け入れられている時です。それが自分の身に降り注ぎ、事実のあとに感情が付け足されると感情に振り回されるようになります。
周りの人に迷惑をかけるほど冷静でなくなるという時には、自分という感情が前に出てきて相手にたいしてこうであってほしいとか、こうあるべきという感情で接するようになっているといる時ではないでしょうか。
感情や気持ちの前に目の前にある事実はどんな状態なのかを知ることです。
テレビで見ているかのように、自分の掌の上でそのことが起きているかのように、事実を事実のままに受け入れて見てください。
相手に嫌な思いをさせるような対応はしなくなるのではないでしょうか。
質問者からのお礼
回答いただき、ありがとうございます。
心に余裕がなくなるときには、ここにきて、3人のお坊さんの言葉を読みます。
穏やかな人に一歩近づけました。
ありがとうございました。