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自分が恥ずかしいです

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最近、初めてのアルバイトを始めました。
ですが、仕事内容と覚えなければならないことの量の多さに初出勤から怖じ気づいてしまいました。長く続ける自信も無くしてしまいました。

慣れれば大丈夫と友人や家族に言われましたが、神経質で緊張しやすく物覚えの悪い私はそう簡単にその励ましを受け入れられませんでした。

他にも家族からは、アルバイトでそんなことを言っていたらこの先就職なんてできないと言われました。本当にその通りだと思います。自分は甘えていると思います。こんな自分が恥ずかしいし、情けないです。
最近そんなことばかり考えていて、こんな自分に何ができるのだろうか、生きていても社会のためになるのだろうか、生きていてもどうしようもないのではと考えてしまうこともあります。

とにかく、失敗が怖いです。それに伴って怒られたりすることも…。
失敗しないことはないとわかっていても、したくないです。

私はどう考えたらいいのでしょうか…

文がまぜこぜで申し訳ありません。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

できることは何ですか?

紫苑さん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺 觀音寺 中村太釈です。

紫苑さんはアルバイトを始めてみたけれど、仕事が覚えられず失敗したり怒られたりすることが怖いのですね。

アルバイトをはじめたばかりなので、すべてのことが分からず失敗してしまうのではないかという恐怖に取り付かれてしまうものです。それは、できないことを数えているからです。
では、紫苑さんが「できること」は何ですか?商品を並べることですか。お金を数えることでしょうか。それとも掃除でしょうか。

私は、自分が会社に勤め始めて誰にも認められなかった時、掃除だけは誰にも負けないほど徹底してやりました。普段は物を移動せずに掃いているところでも、わざわざ物を移動して掃いた後にぞうきんがけしました。結果として、「あなたが掃除すると、雑巾まできれいになるわね」と言われました。
一つほめられることができると、後は芋づる式にできることが増えていきます。

弘法大師空海も、「あなたが求めているものは遠くにあるのではない。あなたの中にあるのだ。どうして探さないのだろうか」と言います。

紫苑さんができることは、紫苑さんの中にあります。アルバイトの仕事の中で、できることを探してください。

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徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の月例法話の他に、地域の出張法話の依頼もあります。 出張法話で寺のある地域の特産品「梨」を紹介するので、「梨のおじゅっさん」として有名になりました。 ホームページ http://houwa-kanonji.com/

わからないことは聞けばいいだけ

その気持ち、よくわかります。他の方と同じようにやりたい。完璧にやりたいと思ってしまうのでしょう。

まず、ご自分を緊張しやすいとか、物覚えが悪いなど、と決めていますが、緊張しない人はいませんし、物覚えが悪いというのは、誰かと比べてということでしょうか。人と比べて物事を見る癖がついてしまっているのかもしれませんね。あなたはあなた、そのままに、一気に覚えられるとは、誰も思ってません。ゆっくりでいいのです。

周りの方は、案外完璧は求めてないですし、繰り返しで仕事はわかるようになります。わからないことは聞けばいいだけ。聞かれる方も悪い気はしないと思いますよ。

お坊さんも長いお経を毎日読んでいると自然に覚えちゃってます。覚えようとはしてません。
覚えようと焦れば焦るほど、覚えられないものです。
落ち着いて、マイペースで何が悪い。という気持ちで、チョット強気にがんばってみてください。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

向いていないアルバイトもありますよ

私は、頭が空っぽで愚鈍でパーでンネンなので難しい仕事はできません。
特に数字は大の苦手。PC仕事も苦手でエクセルは全然使えません。どんなに説明されてもわからニャイことが沢山あります。
若い頃はセブンイレブンで深夜アルバイトもしていましたが、今のコンビニは、仕事内容も増えてもう一度やれと言われても、さじ、スプーンを
投げます。(スイーツ用プラスチック製)
カラオケボックスでバイトしていたこともありましたが。
得意だったのは、お客様が使用後の部屋のマイクのコードの早巻きでした。
夜な夜な夜なべをしてコードの刃やまきを習得したものの、最近は無線マイクでコード無し。そんな技術はまるで無用。₍泣₎。
次のアルバイトは居酒屋でした。仕事は楽勝でしたが、そこで酒を覚えてしまったため、取り返しのつかない体に…。
仕事は向き不向きがあって当然です。
聞いても分からないことは、単に向いていないだけかもしれませんです。
「うん、こりゃ無理だ」と思ったら、ネガティブに気持ちを長続きさせずにさっさとやめて、新しいバイトで花を咲かせましょう。
色んなバイトを経験するのも良いと思います。
仕事は表面から考えると難しいかもしれませんが、根本的に見る、聞く、話す、行う。そんなもんです。単純に考えませう。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

命あっての物種

紫苑様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

人間誰しも失敗して成長するもので、失敗しない人間などまずおりません。

問題は、失敗をしても、それを活かして次により良く繋げることができるかどうかであります。

そして、失敗には、大きく分けて、取り返しのつくものと、取り返しのつかないものの二種類がございます。

ほとんどの失敗は取り返しのつくものですが、取り返しのつかないものとは、自分あるいは他人の「死」となる失敗であります。さすがに「死」だけは、他人に対してであるならば、罪を償うことはできたとしても、それで亡くなった人が戻るかと言えば、そんなことはなく、やはり取り返しがつかないものとなります・・

さて、少し大袈裟なことですが、ここで何が言いたいのかと申しますと、取り返しのつかない失敗(自他の死となる失敗)以外は、所詮あまり大したことがないということでございます。

ですから、ある程度のことは恐れず、怖気づかずに堂々と精一杯に頑張って、その中で失敗したことが多少あったとしても、しっかりと反省して次に活かせば、それで良いのであります。

また、アルバイトはアルバイトとして、もちろん、アルバイトで生計を立てるというのであれば別ですが、あくまでも自分の目指す就職へと向けたステップ、踏み台、お試しとして、一つのところにこだわらず、もっと自分にあったものへと変更されていかれるのも良いのではないだろうかと存じます。

もっと気楽に、気軽に考えて社会勉強の一つとして、是非活かしてみられて下さいませ。

拙生も学生時代は色々とアルバイトをしたものです。その中で、特に一番怖かったのは、開店前のパチンコ屋さんの深夜警備で、裏ロム(良く玉がでるようにするための装置)を仕掛ける外国人集団に押し入られた時は、さすがにヤバいと思ったのですが、焦らず、逃げて、警察通報の対処ができ、早々に退散させることができました。今ではそれももう昔の思い出です(やはり命あっての物種です)。

紫苑さんは、そこまでのヤバい目にそうは会わないかと存じます。明石家さんまさんではないですが、「生きてるだけで丸儲け」の精神でここは是非、失敗の恐怖を乗り越えられてみられて下さいませ。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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