いいように使われる人
いいように使われていそうな人柄、だそうです。
以前、とあるかかりつけのお医者さんから、からかい混じりに言われた一言が、ちょっとこたえました。
ストレス性の症状だったので、そういう冗談で場の空気を和ませつつ、状況を理解させようとしたのだと思います。
今の仕事を続けていると、完治しないよ、ともやんわり諭されました。
お医者さんに対して何か思うところは無いのです。
ただ「やはり、そうか」という、諦めのような、悲しい気持ちが沸いてきます。
昔から、そういう「いいように使われる人」でした。
少し自覚があります。
今の職場でも、どうせ辞めるわけがないから、何を押し付けても構わないと思われているようでした。
色々あって、転職することになりました。
次の転職先では、こういう状況をできるだけ避けるために、どうしてゆけばいいのでしょう。
自分ひとりで考えていても、同じことになってしまうようです。
お知恵をお貸しください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
すべては見方次第
一見四水と言う言葉があります。
一水四見(いっすいしけん)とは、唯識のものの見方。
認識の主体が変われば認識の対象も変化することの例えです。
人間にとっての河(=水)は
天人にとっては歩くことができる水晶の床
魚にとっては己の住みか
餓鬼にとっては炎の燃え上がる膿の流れ
というように、見る者によって全く違ったものとして現れるという。
(Wikipediaより)
同じ事柄でも、見方を変えれば解釈も変わります。
他人が見て、あなたがいいように使われているように見えても、あなたが自らすすんでその仕事をしているのなら、あなたにとってそれは「使われている」ことにはなりません。
逆にあなたが「私はいいように使われている」と思い込んだら、すべての仕事が「使われている」ように感じられて、ストレスも倍増です><
仕事を通じて周囲の方々、あるいは社会のお役に立つことは、なにより尊い行いです。
そう思いつつ、今よりちょっぴり前のめりな姿勢でお仕事がんばってみてはいかが?
盆栽育て
子育て、というか自分についても、盆栽を形作るようなイメージを持っていたことがあります。その話をさせて下さい。
盆栽を育てていく時、できることは大きく分けて二つ。
栄養をあげて伸ばすことと、出過ぎた枝を切ることです。切る、というのは枝に限界を伝えることです。「あんたはここまでよ」ということです。出てきた枝を全て伸ばしては、思う形にはなりません。枝が自重で折れたりします。子育てでは、「応援すること、はみ出しを伝えること」となります。
貴女はきっと優しい方で、みんなに頼られているという面もあるのでしょう。けれど、断りどころ、止めどころを持っていることも、やり続けるためには必要なことです。頼まれた時、頼まれた以上の成果があれば、そりゃ相手は喜び、貴女の評価も上がるでしょう。けれど、「できないことはできない」ときっぱりお断りすることも、また信頼感をアップする結果になるのです。
家族との関係や子どもとの関係にも通じる話だと思います。
質問者からのお礼
回答をありがとうございました。
お一人お一人にお返事を書かせてください。
|佐藤良文様
枝が自重で折れる。
ああ、そういう事なんだ、と思いました。
あれも、これも、何もかもきちんとしようとするというよりも、断るという線引きができないのだなあとも気づきました。
断ることが怖いのかもしれません。
でも、断ることで信頼感を得るという事に気づかないといけないのですね。
少し考え方を変えてみようと思います。
|林浩道様
同じ事柄でも、見方を変えれば解釈も変わる。
そうでした。そういう考え方から少し遠のいていたようです。
とても疲れていたので、後ろ向きにしか考えられなくなっていました。
今日、仕事中にお菓子の差し入れをいただきました。
先日ちょっとした「無理」に対応した事のお礼という事でした。
「ありがとう」を返してくれる人が居るなら、前向きになれるかなと思いました。