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犬をいじめてしまう

回答数回答 3
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今すごく悩んでいることがあります。通学の途中に犬がいるのですが、その犬をいじめてしまいます。犬は、飼ったことはなかったのですがら犬が大好きでした。
しかし、ある日その犬が吠えてきてとても腹が立ってしまいました。その犬の顔を思い浮かべるたびに腹が立ってきて次の日からその犬を叩いたり、けったりするようになってしまいました。
自分が犬にそんなことをしてしまう人間だったのかと、悲しくなります。そして、その犬に、心の中で謝るのですが、犬の前を通るたびに悪い自分が出てきてしまいます。そんな嫌なことをしたことも、された事もなかったのですが、今の自分がしている事が本当に嫌です。
なぜ、そんなことをしてしまうのでしょうか。心の中に、いい自分と、わるい自分がいて、悪い自分を追い出そうとするのですが、戻ってきてしまいます。何も悪いことをしていないその犬に本当に申し訳なく思います。
私は、優しさと、自分より弱い存在を愛す、心がない、最低な人間なのでしょうか。明日から、仲良くしたい!と思うのですが、犬を目にするとその気持ちがふきとんでしまいます。犬も震えていて、私自身も震えています。
どうしたらいいのでしょうか。もうこんなことは、二度としたくないし、犬に謝りたいです。
どうしたら、悪い自分を消せるのでしょうか。
助けてください


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分に正直に向き合おう!

そうすけクン。
わんこに腹が立っちゃうんですね。
もう腹が立つなら腹が立つんだから、そんな自分を受け入れてください。
悩んでも時間のムダです。

じゃあ、どうすりゃいいでしょうかねぇ・・・
わんこの気持ちになって考えてみましょうか。

そうすけクンは、体のごつい人に、会うたび殴られたり蹴られたりされたらどうですか?
しかも、逃げれません。
なんせ、その家を守ることが使命なので。
そうすけクンはどう感じますか?

たぶん、ボクなら「もう来ないで」って思います。
自分よりデカいヤツに蹴られたら痛いので。

正直ゆうて、もうあなたと、そのわんこの縁は切れてますよ。
もうそのわんこと接触しないのが、一番有益ではないでしょうかね。

わんこは家を守るために吠えなきゃいけないし、、、
そうすけクンは、腹が立つので蹴飛ばしちゃうし。
なので、具体的には通学路を変えてみるとか、されてはいかがでしょうか。

わんこに謝罪したい気持ちがあるなら、これから出会うわんこをめいっぱい、愛してあげてください。
吠えられても笑顔で応える。
でも、それはあなたの決意次第ですけど。

最後に、、、
腹が立ったから叩くというのは、あなたにとって不利益になってしまいます。
自分を大切にしてください。

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おきもち

時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいったい何か?と、考えています。 僧侶としての根本は、朝のお勤めだと考えております。 週に2回、お寺で空手教室を開いております。 近隣の子供たちに、礼儀作法を伝える。 これも寺院の持つ役割である、地域貢献に繋がると、少なくとも私はそう思い、精進しております。

映画を見る時のように

あなたの癖として、自分というものとその他というように物事を分けて考えているところがあると思います。当たり前じゃん。
と思うかも知れませんが、本当はそんなことないんです^_^

テレビや映画を見ている時、あなたは自分が見ているなんて感覚ありますか?そのものになりきって入り込んでいるでしょう。つまりそこに自他はない。触れたものそのものしかないのです。

犬を見たときはあなたは犬の様子になりきれず、あなたという存在と犬という存在と分けていると思います。だから「吠えられた」となるのです。それ以前の様子として「ウーガルルル、ワン!ワン!」があるのみです。そこに吠えられたなんてないはずです。それは後から付け足したあなたの考えでしかありません。プライドのようなものがあるように思っているのかも知れません。

そんな思いや考えは相手にせず、目の働きにまかせてただ見るのです。そこにプライドなんでありません。損得もありません。

そうして自分を感じてください。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

心の不安を見つめること

そうすけ様
こんにちは。拝見させていただきました。

まず自分を責めるのはやめましょう。自分を責めることによって逆に「悪いと思ったのだから」と許しを与えてしまう場合もあります。そうすけさんが人が悪いということではなく、人間は多かれ少なかれ都合良く物事を考える「癖」を持っているものです。

自身より弱いものをいじめてしまうような場合、それは「結果」として噴出してきているものであって原因は他のことにある場合が多いです。そうすけさんの生活を振り返っていただいて不安やストレスを抱える出来事はないでしょうか。また、両親や友人に「言いたいけれど言えない押さえ込んだ感情」はないでしょうか。あるいは両親が不仲であるとか、家族関係の中で自分の居場所がないと感じることはないでしょうか。何かしらのストレスや抑圧された感情が犬というなんでも受け入れてくれる小動物に対しての攻撃となって現れているのではないかと思います。

目の前の犬とはそうすけさん自身の「不安」の象徴ではないかと思います。犬は敏感にあなたの不安を感じ取っているのでしょう。まずは「通学路を変える」ことをお薦めします。犬をいじめる姿を発見され補導処分などになると学校関係にも影響が出てしまいます。
暴力的な感情は不安の表れです。ジョギングなど身体を動かすことでも発散できます。年齢が達していれば献血もお薦めです。まさしく血の気が引きます。

仏教は仏様の教えと共に自分自身の心を向き合っていく道です。どうぞ勇気を持って自分の生活と心を振り返ってみていただければと思います。あなたは一人ではありません。

応援しております。合掌

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有り難し
おきもち

御縁があって一般人からお坊さんになりました。現在は小さなお寺の住職をさせていただいております。

質問者からのお礼

ありがとうございます!
確かに、それまでは風景の一つとして見ていましたが、自分で気付かないうちにその見方を忘れていました。
できる限り、自分を感じて、世の中のものに親しみをもって生きていきたいです。
ご回答ありがとうございました。

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