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仕事の挫折とこれから

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はじめまして。

二年前の仕事の挫折(解雇)をずっと引きずっています。今、思うにはただ忙しかったのを「自分頑張ってるわ~」とか「私、必要とされてる」と勘違いして躁状態になっていたのかもとも思います。それが自分の価値だと思い込んでいたのだと思います。

体力的、精神的にももう限界だったのかもと思います。当時も周りの人は気づいていたのではと思います。

と、今は思えるのですが…

3カ月ほど前にhasunohaを知りずっと読んでいます。
解雇され、今までずっと自分と支えてきた仕事ができなくなり、落ち込んで苦
しんで…というのも何かの『ご縁』なのでしょうか。

このへんの知識が浅くて解釈を間違えているかも知れないのですが…

最近はバイトが暇な時期に「お寺の落ち葉掃除やお墓の掃除なんてさせてもらえたらいいなあ」とか「小学生の交通安全の人(黄色い旗を持っている方)やりたいなあ」とぼんやり考えています。そのくらい暇になりました。

とりとめもなく長文失礼いたしました。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

暇があるのはチャンス!

6+3さんへ、こんにちは。

人生はいろいろつまづくものですから、失敗はいくらでもあります。でも失敗したら反省してまた立ち上がればいいのです。人生の成功は最後死ぬまでわかりませんから。

さてせっかく時間ができるんならポジティブに生きていろんな体験をしていきましょう。自分でいわれたようにお寺の掃除なんてお寺さん大歓迎だと思いますよ(ただし身元信用が必要ですが)

そして少し遠いのですが、暇なら是非うちのお寺の庭掃除草抜き、お寺のお掃除に来てください。無限大にあります。しかもお泊りでもOKですよ。宿坊あります(笑)。

ポジティブにいきましょう!合掌

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他人の人生(価値観)を生きてこなかったか

6+3様
こんにちは。拝見させていただきました。

それまで続けてこられた仕事を辞めるとそれまでの生活が変わり環境の変化もあって落ちこみやすくなりますよね。それでも自分自身を省みる心を持っておられる6+3は誠実な方なのだろうなとお見受けいたしました。

文面からの推察ですが「価値」というキーワードがあるように感じられました。何かをしていないと、人に認められていないと、必要とされていないと「価値がない」と感じているのではないでしょうか。そうだとしたら働いていた時も大変だったと思います。常に自分は必要とされているだろうか、嫌われてはいないだろうかと「他人の価値」を中心に生きなければならないからです。

私の勘違いなら流してください。例えば幼い頃両親が不仲であった、両親が認めてくれなかった、受け入れてくれていると感じられなかった、居場所がないと感じた、頑張らなければいる場所がなかったなどの経験はないでしょうか。自分の「価値」を気にする方には近い人の価値観に影響を受けてしまった人が多いのです。周りの人達が強い不安を抱えて生きている場合、立場の弱い人間を否定することによって自身の不安から目をそらそうとします。ひょっとすると6+3は、そういう大人達の言葉、価値観を「信じ込まされてしまった」のではないでしょうか。こういう場合一番優しい心を持った人が苦しみを一手に引き受ける場合が多いです。挫折を機に「自分が信じてきた価値観」を見直す御縁ととらえていただけたらなと思いました。

6+3さんはこれまで一生懸命頑張ってこられました。それこそ人の何倍も努力してこられたと思います。「頑張ってきたよねぇつらかったよねぇ」と自分自身に声をかけてあげてください。それが自分自身を「受け入れる」ということです。例えば6+3さんの身近な人に言って欲しかった言葉などありますか。何があっても信じてるよとか、生きているだけで価値があるとか。

心に問いかけてみると自分が欲しかったものが見えてくるかもしれません。いったん立ち止まって、何もしないでいると見えてくるものがある。そのように仏教は教えてくれます。一度見つめ直す御縁をいただいたと感じていただけたらと思います。応援しております。合掌

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御縁があって一般人からお坊さんになりました。現在は小さなお寺の住職をさせて...
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質問者からのお礼

染川さま、けんじゅさま
ご回答いただきありがとうございました。お礼が遅くなり申し訳ありません。

けんじゅさまのお察しのように、幼少の頃は家では同居の祖父母と母親の、いわゆる嫁姑の不仲を見ていました。母親の自分に対するイライラをスルーしていたように見えた祖母が後々親戚に「あの人はあかんわ!」と本音を漏らしているのを祖母の傍で胸が潰れるような思いで聞いていました。母も好き、祖母も好き(母親と心理的な距離が遠かったのでおばあちゃん子でした)なので誰の、何を信頼していいのか分からなくなり本当に辛かったです。
性格面では不安感が強く「心配性」とよく言われていた気がします。それを「そんなに心配せんでも」と受け止めてくれる人は周りにはいなかったように思います。
「価値」についてはずっと考えていて、周りの人に何か言われない程度に(何も言われた事はないのですが)仕事をし「問題のない子」で居続ける事を今もどこかで目指しています。
高校生の頃の人間関係のつまづきもあり「人並み」「普通」である事から外れる怖さから逃れられていないなと感じます。
立ち止まっている今、そのように感じています。今まで一体何が欲しくて何を目指していたのかと問うと分からなくなります。「人並み」「普通」の人生を生きたいけれど、もうそんなのは自分にはムリ、性格的にも合わない…と、自分を見失っている状態です。

お礼の欄はこのような事をお話しするところではないのかも知れませんが「信じ込まされてしまった」価値観について考えていると昔から現在に至る出来事を思い出しました。
今も昔も自分自身を受け入れる事は全くできていないように感じます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ