回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
相談とは?
「相談のとき」というのはここhasunohaでなく、実際にお寺さんにお会いして、その方がお話をきいてくださったとき、ということでしょうか?
まあいずれにしても、私としては僧侶も普通の人間ですから「正直、面倒くさい・鬱陶しい」と思うことは「ないことはない」と思います。
ただ、それで相談を投げ出したりはしない。また、むしろそう思うような内容だからこそ、あるいはそんな自らの姿があらわにされるからこそ、仏道修行として相談に当たりたいと思うのです。
しかし、それが表情や文面に出てしまうこともあるかもしれません。それは申し訳ございません。
その上で一つ申し上げさせていただくならば、「相談」と言いながら自分の話を聞いてほしいだけで、こちらの話を全く聞いてもらえないと「難しいなあ」とは感じます。
もちろん、聞いてもらえることだけでも相談者の救いにはなっているでしょう。ですがそれは本当の救いではありません。聞いてもらえる場が永遠にあり続けるわけではないですし、いつまでたっても聞いてもらえる場を求めて迷い続けることになるからです。
お坊さんに相談するということは、共に考えるということ、共に悩み苦しみの原因を仏様の智慧によってあきらかにしていただくことだと思います。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
私もあなたも共に仏様に聞いていくのです。
面倒くさいなら、回答僧なんてやらない
ぴょんこさん、はじめまして。
ぴょんこさんは、たくさん気になることがあってたくさん質問をしておられますね。毎回どなたかの回答僧が返信してくれることを気にしておられるのでしょうか。
質問に対して面倒くさい、鬱陶しいと思うなら回答僧なんてやりません。hasunohaの回答僧は登録制ですから、わざわざ登録してまで回答したいと思っている方しかいません。
ぴょんこさんが質問を投げてくださるから、回答僧は仏教頭をグルグル回して回答をひねり出しているのです。質問に回答するのも、ひとつの修行なのです。ぴょんこさんのみならず、たくさんの方に質問を頂戴することで、私の修行が深まるのです。だから、いいね!ボタンではなく、有り難し!ボタンなのです。
ぴょんこさんにとっても、回答僧にとっても、有り難し!なのです。
ご相談者さまのことしか考えていません。
大丈夫ですよ。どんどんご相談くださいね。
私を含めてみなさん善意でお答えになっいます。答えることで、何か反対給付を求めるということは、全くないのです。単純にあなた様がこれを機会として、よりよい人生を歩んで欲しい、
幸せになって欲しいそれだけです。
ですから、ハスノハは有難しなんですよ。
宗派で教えは違いますが、
基本は、みんなで幸せになろう!
ということです。
方法論が違うだけです。
だから遠慮なく質問なさってください。
人の幸せも大切ですが、あなた自身のお幸せを祈っていますよ。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
質問者からのお礼
人は信じられない。だけど、どこかで信じたい。私も修行の場が必要ですね。
いろいろな方々が見て下さっているのですね。「有り難し」ボタンが沢山。有り難うな気持ちになれます。ただ素直に。
有り難うございます。