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大人の都合だけで離婚をしてもよいのでしょうか

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有り難し有り難し 11

こんにちは。
直接話がしにくい立場のため、以下のことで悩んでいます。

今年の春に、義理姉が夫である義理の兄に離婚を切り出したそうです。
義理姉夫婦は子供が生まれてまもなく義理兄の仕事により、義理姉は二人の子供とともに自分の実家に入り、義理兄は単身、県外で一人暮らしを5年ほど続けています。
義理兄は割りと豆に遠いにも関わらず、子供に会いに帰ってきている印象でしたが、
半年ほど前にぱったり見なくなりました。
何でだろう?と思っていたら、
義理姉が離婚を切り出し、帰ってくるなと義理兄に伝えたそうです。

義理兄は突然言われたため、なんとのこかわからず、苛立ちもあったそうで
そのまま帰らなくなってしまい、私が小1の姪に会ったときに、「パパが全然帰ってこないの」と寂しそうに言ったのをきっかけに、義理姉の離婚切り出し話がわかりました。

義理兄は自身が片親で育った経験から
子供が理解できて、自分で判断できるようになるまでは、たとえ別居でも離婚したいと思っても、
戸籍上はしたくない、と言っていますが
義理姉は自分の人生のために
早く離婚して、行政の金銭的な支援を受けたいそうです。
そのためなら裁判沙汰にもすると、義理兄を脅しているそうです。

私は片親で子供二人を育てるのは
どれだけ大変か想像もつきませんが
並大抵なことではないと思います。
義理兄となぜ離婚したいかを私の夫が聞いたところ
赴任先から週末帰ってきても
子供の面倒をみない、入学式で寝た、人前で聞こえてほしくない他の家庭のことを大声で言う
ということが気に入らないのだそうです。
私からすれば、そんなことはその場で話せばすむことばかりではないかと思いますが
離れて暮らしているからなのか
全く話さないまま、義理姉の不満だけが募って爆発した結果が離婚話になってしまったようです。
そこでさらに問題が、義理姉の両親までもが娘の方を持ち、義理兄を嫌っているのです。
皆が話をし、取っ組み合いになってでも、本音で言い合わないと
お互いの気持ちは理解できないですし
なにより、二人いる幼い子供が大人の都合だけで
子供のことを考えない離婚をしようとしていることに巻き込まれてしまうのがかわいそうで
どうにかして義理姉夫婦と両親で本音の話し合いをして、お互いの理解を深めてもらいたいのです。
そのためには私達夫婦は何ができますか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

本当に愛のある席を設ける

本当に離婚させたくなければ5万円捨てるつもりで一席設けることです。
あなたは姪っ子のために義理の姉夫婦を離婚させない様に、働きかける。
義理姉夫婦にはすでに長年にわたって夫婦間の溝が大きくなっている訳ですから、そこが修復可能かどうかを見極める必要があります。
私は離婚の仲裁などもいたします。
夫婦間ではどうしても感情的になって猫のケンカのようになりますから、そこで第三者が行司・レフェリーとして犬も食わない夫婦げんかの間に入って、ファシリテーター的な役割をするのです。どちらの味方にもならずに。
注意すべき問題は3つ。
①ご主人が本当に家族の為に変われるかどうか。家族を最優先に出来るかどうか。
②義理のお姉さんが、ご主人をどうすれば赦せるのかどうか。自分を優先して子供の気持ちも考えずに、離婚を強行しようとしていないかどうか。
③あなたが過干渉にならないこと。
できる事があるとすれば、夫婦間ではどうしようもならなくなっている硬直状態をもみほぐすことです。
第三者として、間に入って助言をすることでしょう。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

あなたの思いの押し付けは混乱を招きます

そこはもしかすると周りも知らない夫婦だけの問題があるのかもしれませんね。
夫婦が仲の悪いところに子供がいても苦痛を感じるだけで、それがいいとも思いません。
あなたができることは、もし、よりを戻したいという希望があるなら第三者の立場で、二人の話の間に立ちただただ話を聞いてあげることでしょう。どちらの肩を持つこともなく、中立の立場でただ話を聞くだけです。それ以外はできないと思います。

お子さんにとっては両親が仲良しでいてくれることが何より嬉しいことだと思いますが、それが叶わぬこともあるわけです。

それならそれを受け入れその中で幸せを見つけることが大切なのでしょう。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

こんなにも早く、
しかも、お二方から回答いただけるとは思ってもおらず、
とても感謝しています。
ありがとうございます。

お二方のおっしゃられるように
私は口を出したり、どちらかの見方をするのは
したくありません。
私が入ってしまうと、ややこしくなりますものね。

ただし、本件、ろくに話もしないことや、
今は会話にもならないそうですが
一度は一生を共にしようと心に決めた方ですし
性格の不一致だったとしても
きちんとお互いが納得したり、理解した上で
先に進んでほしいと願っています。
そのために質問投稿させていただきました。

私が全くの他人であれば
義理の姉夫婦に直接話せたのに…と思いますが
まずは、子供のために離婚したくないと思っているであろう
義理兄に頑張ってもらうほか無さそうです。
それでも難しいようなら
アドバイスいただいた、第三者について考えてみようと思います。
ありがとうございました。

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