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子供について

回答数回答 2
有り難し有り難し 17

はじめまして。
神奈川在住のにょろと申します。

私は現在33才の漫画家で、38歳専業主婦の妻がおります。
馴れ初めは大学時代に知り合い、二年前に結婚。
私は次男、嫁は一人っ子の為、婿養子として結婚しました。

結婚する際に早く子供をつくろうと話していたのですが、
結婚当初は夫婦二人の時間を楽しみたいと言われ避妊をし、
結婚後1年した辺りから、実をいうと子供は欲しくなかった。
今の生活が快適すぎて子供に時間を奪われたくない。と告白され説得をするのですが、頑として聞き入れてくれません。

君になるべく負担をかけないようサポートするからと言うものの
現状でゴミ出しや草むしり、風呂掃除やペットの排泄処理などできるだけやっています。

正直、これ以上どうすれば良いのかわかりません。私は妻との間に子供が欲しいです。どうすれば子供が欲しくなるよう妻の気持ちを変えられるか、ご教唆ください。お願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

思想は変えることはできる

子供に対する悪いイメージが優先されているのでしょうね。
ご自身も一人っ子で親御さんに邪魔にされた経験でもあるのでしょうか。
「私はこう思う。私はこうしたい。私はきっと子供を持ったらこうなるに違いない。私には子供は要らない。」という「つよいわたし」が奧様の中にはあるのでしょうが、そもそも、この世に奧様が誕生されたのもあなたがこの世に誕生したのも親の「こうしたい」「こうしたかった」などはぶっちゃけどうでもいいことなのです。
生命の存在自体が、親の願いや願望とは無縁に生まれてくるのです。
そういう無我なることがあなたの奧さんの決めてかかっておられる「わたしがこうしたい」という事とはまるで無縁なのだという事を勉強して頂くよりほかありません。
それがあるのを宗教心といい、それがない自分中心的な生き方をエゴ、非宗教的、個人主義な生き方というのです。冷たいようですが、だからこそ本当に奧様にも血の通った人間になってもらうためにも「自分が快適な暮らし」をしたい、という事ばかりに安住する沼から引き出してあげる必要はあると思います。
まぁ、いざって時は離婚大作戦しかありません。
ホンッとに何を言っても通じない人もいますし、ホンットに子育てに向かない母親もいるのです。
もし、奧様が「へんな考え方」に固執してしまって、そこからどうしても離れられないようであって、あなたも奧様を見限られるのであれば、本当に離婚を切り出してみてください。それで変わらなければ、本当に奧様はお子さんが欲しくないのでしょう。
まずは、メリットをお伝えすることです。
自分を大事にする人は自分の老後も心配でしょうから、お子さんがいることでどちらかが倒れた時は、支えてもらえることを話したり、彼女自身がこの世に誕生してきたことなどに目を向けさせることでしょう。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

損得を超えた喜びを与えてくれる

お子さんは授かるものでしょう^_^
作るものではないと思います。
お子さんは授かってみないとその良さはわかりません。苦労も幸せも全て想像していたものとは違うはずです。

授かってみたら、心境も変わったりします。今そう言っていても、明日は同じ気持ちとは限りません^_^

奥様はマイナスイメージを膨らませて、時間を奪われるものだと思い込んでいるのでしょう。確かに自由に動けることはほとんどなくなるでしょう。しかし、そんな中でも奪われるとは感じないでお子さんのために人生の時間を注ぎ込めるのが多くのお母さんの姿です。そしてお子さんの成長を感じたときに想像を超えた幸せを心の底から感じ涙するのでしょう。

子供の存在は損得を超えた幸せを与えてくれるものであると伝えて行くことが良いのではないでしょうか。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ