憎しみと同情心の板挟みで苦しいです
私は最近とある出来事がきっかけで父親を憎むようになりました。
きっと私は父親というものに夢を見過ぎていたのだと思います。
いかに父親といえど唯の人間に過ぎず、間違わない人間などいないように間違わない父親などいないのだと分かっているつもりでした。
20年間正しいと信じていた父親に失望してしまい、あまりのショックにどうしたらいいか分からなくなってしまいました。
事のあらましを書くと大変長くなってしまいますので割愛しますが、要は、家族に対しての暴言・暴力、封建的で自己中心的な考え方。それにより父は度々家族を苦しめます。
幼い頃は疑問に思わなかったのですが、大人になった今、誰がなんと言おうと、「私の父親はクズである」と断言できます。私は父を、家庭の癌、仇、法で裁けない犯罪者だと思っています。それらの認識はこれから一生改まる事はないと思います。両親は離婚が難しいというので、父が死ぬか私が死ぬか、そのどちらかでしか解決しないと確信しております。
一生、許しません。
しかしながら、私の中にわずかに残っている父への情がさらに私を苦しめます。
父は父であり、今どんなにゴミのような存在であろうと、過去に私を育ててくれた事実は変わりようがなく、完全に悪い人であったわけではないので、かすかに同情してしまう部分があります。
父だって婿養子という立場上苦労もしただろう。大病を患い大変な思いをしているだろう。自業自得とはいえ、空気の悪い家に母と祖母と3人暮らすのは居心地が悪かろう。家族に味方がいないのは辛かろう。そんな事を思ってしまうのです。
父が憎くて許せないという気持ちは揺るぎません。
しかし父が哀れだと思う気持ちも本当です。
あんな人間を哀れんでいる自分すら憎く思えてきます。
母のため祖母のため、私は一生父を許す事はないでしょうが、こんな気持ちを抱えて生きていくのは辛いです。
私はどうしたらいいですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
親への、産み育ての感謝と人間として敬意は違うのです。
halさん、こんにちは。
父が駄目男で憎いのと父に感謝しなければならないハザマで、悩んでいるのですね。
私たちは、親がなければ生まれてきません。どんな親でも親、そのことは感謝しなければなりません。生まれてこなければ、何もないのですから。
でも、halさんがいったように、親も人間なので、立派な人もいれば、クズな人もいます。親は子どもに愛情を注いでいるのは当然ではありません。親のせいで不幸になった子どももたくさんいます。子どもは親を選べません。毒親の下で育つしかないのです。
そんな親を尊敬感謝できないなんて当然です。恨んでも当然でしょう。親への生み育てへ感謝と、親への人間としての敬意は別物なのです。
儒教の思想が強いと親に絶対服従の精神になりますが、日本では違います。親への生み育てへの感謝は社会に恩返しすべきなのです。毒親の唯一の親心は、反面教師になれるということです。あなたはこれから親になる時に、このような親にはならないと学ぶことができるでしょう。そして親とは違う立派な親になった時に、親への生み育ての恩返しができるのです。直接親に生活や金品など恩返しする必要はありません。またクズな人間であれば敬うことも必要ないのです。
父が憎いという負のエネルギーを、反面教師のプラスのエネルギーにして、是非、幸せな生活を目指してください。父親から離れるために、一所懸命勉強していい仕事につき、早く独立して、祖母・母を引き取ってあげてください。それがあなたがする一番の親孝行なのです。それまではまず毒父にならないようにするために自分作りです。自分づくりで一番大切なのは挨拶と掃除です。誰でもきちんと挨拶する。そして自分の身の回り、あるいは家を整理整頓する。できていますか?それができなければ、父親を乗り越えることはできませんよ。
辛い時にはいつでもメール電話で相談してください。私が仏さまに変わってあなたの父親代わりにもなるでしょう。がんばって!
許すことはあなたを許すこと
拝読させて頂きました。あなたのおっしゃるお気持ちは双方共によく分かります。
あなたのお気持ちをお察し申し上げます。
どの様な理由があろうとも人が人を傷つけること抑圧することは罪です。その犯した罪による報いを受けることは必然です。
お父様もご自分の犯した罪、人を傷つけたことの報いは受けざるを得ません。
あなたの心にはやはりお父様への感謝の念もありますね、どんなにかひどいことをされても親子の間柄には少なからず情はあるものです。
その心は素直に愛情として大切に心の中にしまっておいてくださいね。
あなたは今ご自分の人生を歩んでいらっしゃいます。その為にはお父様のことはしばらく脇に差し置いて気持ちの中では割り切ることも必要かと思います。
人はその受けたことの重みでなかなか気持ちを切り替えて受け入れること許すことができないとも思います。
今すぐ許すことはできないかもしれませんから距離を置いてゆっくりと時間を取りながらおおらかにに許すことができるようになる様になるまで待ちましょう。
また本当にお父様のことを許すことはあなた自身の心を許すことでもあります。
人を許すことができなければあなたの心にはずっとその恨みや怒りの心が常に存在してしまってあなたの心を汚し傷つけていくことになります。そしてあなたが怒りの炎に包まれてしまうこととなります。つまりはあなたを我欲におとしめて不幸にしてしまうことです。
そこから救われる為には人を許すこと自分を許すことです。
犯した罪は消えることはありませんが、許すことで救われていくことができるのです。
あなたにはどうかこれからお幸せな豊かな人生を歩んでいって頂きたいと切に願います。
あわてることではありませんが、どうか心から人を自分を許すことであなたの大切な方々と共に心から豊かな人生を生き抜いて頂きたいと思います。
いつの日にか皆さんがお互いを尊重しあいながら仲良くお健やかにお過ごしなさってくださいます様にと心から仏様にお祈りさせて頂きますね。
どうか心穏やかになさってくださいね。
人生は「四苦八苦(自分の思い通りにならない)」です。
お釈迦様は❝人生には「自分の思い通りにならない」もの❞が8つ(八苦)あるとおっしゃいます。その一つが「怨憎会苦(おんぞうえく)=顔も見たくないのに合わなければいけない」で、その真逆が「愛別離苦(あいべつりく)=好きな人ともいつか別れなければならない」です。
あなたは今、怨憎会苦>愛別離苦です。しかし、過去を振り返ると、怨憎会苦<愛別離苦だったのでしょう。そのハザマに立って悩み・苦しんでいるのです。
一日の終わりに「今日はどちらだったかな~」と静かに考えて下さい。その内「どちらでもいい。私は私」と自分を受け入れることができるようになると思います。
その時にはキット苦しみが少しは和らいでいることでしょう。
質問者からのお礼
虐げられた祖母の涙と母の苦労を思うと、父を許すのは到底無理です。
父を許してしまうと、祖母と母の苦しみがなかった事になってしまいます。
私にとって父を許すという事はとても難しいことです。
しかし、感謝と尊敬は別物だというお言葉にはっとさせられました。
心の重荷がひとつ消えていったように思います。
次実家に帰省した時に報復まで考えていましたが、そのエネルギーをもっと別の事に費やそうと思います。
ありがとうございました