hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
そらノート 亡くなった人やペットに思いを伝えよう hasunoha姉妹サイト登場

日本の僧侶と中国の僧侶の違い

回答数回答 2
有り難し有り難し 32

日本の仏教と中国の仏教は深い絆があります。
長い時間を経て、両国の僧侶の生活習慣はどんな違いがありますか?
お坊さんはどう思いますか?
どうぞよろしくお願いいたします!


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生活習慣の違い

KOUさん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺 觀音寺 中村太釈です。

海外から質問をありがとうございます。

日本と中国の生活習慣の違いについて私の知っている範囲で書いておきます。
本堂の形や食事の仕方で違いがあります。中国は日本の畳文化がないので本堂に限らず殆どのお堂が土間敷で直立してお経を詠みます。日本は畳の上で座って今日を唱えます。食事も中国は土間なのでテーブルと椅子を使って食べます。日本では畳の上で座って食べます。

畳文化の違いで経を唱える時の姿勢や食事の様子も変わるようです。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の...

みんな違って、みんなイイ。…ですが

昔、世界中の人たちが表面的な違いを乗り越えて仲良くなってもらいたいと思い、こんな歌を作りました。
「うどんも、ちじみも、パスタも、パンも、ナンも、素材はみんな麦。みんな違ってみなウマい。みんな違ってみんなイイ。」です。
ちょっと金子みすずさんの歌も若干パクりましたが(笑)。
宗教も、国の違い、生活習慣の違いも、みんな表面的に形が違っていても、根底が同じであるということを知っていればいいのではないでしょうか。
根底は、見る、聴く、話す、食べる、働く、あそぶ、幸せを求める…、世界民族共通です。
日本でも、宗派が変われば作法もみな違います。
同じ宗派ですら、人はみな違うものです。
表面的な違いよりも、同じ仏教として共通するべき事をこそ、隔ててはいけないと感じています。
(答えになっていませんが)
仏教は、人間のルールに縛られない生き方であるのにもかかわらず、現在の中国では、人間のルールによって、拘束制約されている面があるように中国に行った際に感じました。
人間は、一人一人、それぞれ固有の種です。それぞれ違った花を咲かせます。それぞれ一人一人が、その花を咲かせることだけに一生懸命になればいいと感じました。あれ、どこかで聞いたフレーズ?(笑)
曹洞宗では道元禅師が如浄禅師との出会いによって国境、歴史、民俗を超えて確かなる仏心、悟りが相承されました。
悟りには、表面的な呼び名が色々あって異なりますが、おなじ一心です。
そこが共通している事が一番大切であると思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 質問 📞08020659278 どなたでも。

「お坊さん・僧侶全般」問答一覧

嫁ぎ先がお坊さん便を使うこと

死後の世界はわからないものだとこちらでも他質問でいくつか拝読いたしました。 現代では亡き親族の供養の仕方は様々かと思います。いろんな考え方があって当たり前だと思うのに、いざ自分のことになると気持ちがついていきません。 私は名家出身とかでは全くないですが、両親はあるお寺の檀家として必要だと思うことはやってきておりました。父は亡くなっております。 私自身、それが普通だと思って生きてきまして、嫁いだら私の実家のお墓に入れなくても、宗派は違えども、嫁ぎ先のお墓・御先祖を大切にし、供養や法要等やるものだと思っていました。 しかし、主人の実家では檀家などの概念がありません。そのような考えがない方も現代にはいらっしゃると分かってはいます。 こちらでも、葬儀は必要なのか、法要は必要なのか、お墓は必要なのか、、、などと、類似の質問はあるかと思います。 ただ、義祖父の亡き後、葬儀はお坊さん宅配便…法要は最低限…。なんだか寂しいような、理解できない気持ちになってしまいました。 ですが、そのときに来ていただいた和尚さまには私としては感謝しかありません。 私自身、正直仏教について詳しく存じている訳では全くありませんのでこのような質問をさせていただくこともどうかとは思うところもあります。 ただ、気持ちの置き所をどうしたら良いのかわかりません。厳しいお言葉でも構いません。何かお示しいただけたら幸いと思い、質問をさせていただいました。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

乞食と喜捨に関する考え方

こんにちは、托鉢や乞食に関して、周囲の理解を得たいです。 私は地方都市に住んでいるのですが、街中でよく托鉢を行う人を見かけます。 お財布にゆとりのある時には小銭程度ですが、托鉢を行う方にお分けする事もあります。 …しかし、基本的に一緒に居る連れにはいい顔をされません。 「仏教には喜捨という概念があって、捨て去る事を有り難いと思う、そういった機会を与えてくれる事に感謝するっていう考えがあるんだよ」と説明はするのですが、あまり納得してもらえません。 私は小額で人の為になれれば嬉しい、そんな程度の考えで托鉢をなさる方に施しをします。 ですが、連れには大体の場合、「ああいうのはホームレスとかが僧侶などに変装してやっている。何も知らない人の善意を踏みにじる行為だからそんなものに手を貸すなんて」という具合の反応を返されてしまいます。 連れの言いたいことはわかります。ですがそもそも喜捨に関しては相手が誰だろうと関係ないものと認識しています。 しかし、それを連れに言ってしまうのまるで大事な連れを分からず屋扱いしてるような言葉になってしまいそうな為、いつも「小銭でも喜ぶんだからいいだろ」と終わらせます。しかしその言葉もまた托鉢をしてる方を、私が悦に入るための道具扱いしてるようであまりいい気分ではありません。 ところで私は敬虔な仏教徒ではありません。 人の為にどうのというのも、昔やっていたボーイスカウト活動にて「困っている人を助ける機会は善行を積む機会を頂ける」という考えを持っているからです。(この辺りは喜捨と似ているかもしれませんね) そのせいもあって、あまり詳しい仏教的な教えなどは語れなくもあるのです。 長文乱文になってしまいましたが、要は人は助け合うべきものであり、自分もいつホームレスの方々のようにモグリの托鉢や乞食をせねばならなくなるかわからない以上、誰かに何か出来る時はしておくべきだと思うのです。 こういった考え、仏教的な価値観を持たぬ身近な人に、角を立てずにわかってもらうにはどうしたらいいでしょう? わがままな話ですが、友人は大切なので「アイツは変わり者だ」と思われて距離を置かれるのも、「なんだか面倒くさいヤツだ」と思われて距離を置かれるのも嫌なんです。 支え合いこそ人類の本質にして美徳、そして自己のためでもあるのだとただわかってもらいたいのですが……

有り難し有り難し 19
回答数回答 2

坊さんなのにこれからの将来が見えない

実家が寺で、仏教系の大学に通っている僧侶見習いです。 僧侶が社会システムにおいて必要とされる意義が「人に仮初の夢を見せて心のケアをする」以外しか見いだせなくてこれからの将来に絶望しています。 僧侶は、昔みたいに医者の代わりや教員の代わりをする訳でもなく、月回向や葬儀関連で人々の心を慰めるくらいしかしていません。 僧侶が利益(りえき)を得ることを人々は否定します。実際、聖職であるが故に本来は金銭を対価に何かをするというのはあまりに俗に塗れているような気がします。布施はそれ自体が神聖なものであることは分かっています。 しかし結局のところ、(観光という商売をしている寺は除いて)寺やそこにある僧侶という存在は「嘘をついて金を檀家さんや信者さんから貰う」ものに過ぎないのではないか?と思ってしまっているのです。 道徳を説くならそれはカウンセラーでも哲学者でも構わないわけです。 では僧侶が持つ他とは違うアイデンティティとは何かと言ってしまえば「仏教という仏になる為の指針」なのですが、結局のところ今の今まで人の身で完全に釈尊(応身)と同じステージに立った者もいない訳で。 本当に仏となることが出来るかも分からない教え、しかも数多の偽典があるであろう経典の内容を引いてきて、悩める人々に滔々とそれを説く。自分の中ではこれから自分がなる僧侶という職は、そんなもののように思えてしまいます。 私よりも遥かに経験を積み、たくさんの経典を読んだここにいらっしゃるお坊さんの方々に、私の悩みをただ、聞いて欲しいです。そして願わくは、自分の中の仏教に対する、僧侶に対する悪感情を解く何かを教えて欲しいです。 散文的になってしまい、申し訳ありません。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 72
回答数回答 6

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る