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家族と就活

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有り難し有り難し 26

このような質問していいのかわかりません。間違えていたら申し訳ありません。
私は現在公立短大の二年生で就活中です。バイトと奨学金で一人暮らしをしています。
父、母、姉、妹がおり、無職、パート、主婦、高校生です。
父は鬱病とパニック障害にかかりもう10年近く仕事をほとんどしていません。仕事を始めても1月足らずで文句を言いやめてしまうのです。

私は昔から親に何度も大学に行きなさいと言われ、自分自身も行かなくちゃ社会人になれないと思っていたため、国公立に行くために塾にも行かず勉強をしていました。志望大学に落ちたので受かった公立の短大に行きました。この時、父は私に編入を必ずすることと言っていたのです。なのに、2年になった時母が、お金が無く、私の学資ローンも何もかも食い尽くされてしまいそれが出来なくなった、働けと言ってきました。
この時何のためにこの大学に入ったのか理由が何もなくなってしまいました。
慌てて就活を始めたものの試験は全部不合格。ここ最近は無気力で何にもやる気も手にもつかず涙すら出てこない、そんな日々を過ごしていました。さすがにもうだめだと思い病院に行くと躁鬱のふり幅が他の人よりも大きいだけで病気ではないといわれました。

こんなこと家族に、ましてや父に言えませんでした。 言おうと思っても「俺のほうが何倍も苦労している」言ってききいれてもらえませんから。もちろん、精神的に参っているのは分かります。
父親ですし私を育てるために働いたせいで精神を壊したのではっていう思いもあります。 昔は父親が大好きだったのです、だから余計に苦しくて憎くてたまらないです。

なんとか就職活動を続けてはいますがどの職業にも自分には無理だと思うしとにかく続けられる自身も無いです。やりたいことが全く浮かばないのに面接で嘘のことを話してしまうことも、どんな業種があっているのかもわからず人とかかわりが多すぎないところを探したり、本当にばかなんだなって思います。

人とのコミュニケーションも取るのがだんだん億劫になって来て、周りの私立にいって楽しそうにしてる子や、就活成功して遊んでる子たちを見ると死ぬほど虚しくなります。

正直消えてしまえたら、死んでしまえたらと思います。

こんな甘えたの、弱い人間で本当にごめんなさい。でももう分からないのです。どうしたらいいのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏教とはそんなあなたの為にある

私が追い求めて出会った仏教は死にたいとすら思っていた自分を変えてくれて、人様まで助けられる位になりました。真剣に学ばれることをおすすめします。
仏教と言ってピンキリで当たりはずれもぶっちゃけあると思います。
自分にフィットする仏教を見つけることが大切です。
私は曹洞宗で悟りを肯定している「悟り肯定派」の仏教を学びました。
悟りを否定する曹洞宗の僧侶たちの教えは、私には無意味でした。
同じ業界でも法を説く人によって表現や理解のレベルも異なります。
自分自身が好転するような学びがあることは確かです。
昨年は自殺したいという電話相談が何件あったかわかりません。
みな思いとどまってくださいました。
あなたの悩みは泥です。
その泥を活用してください。
蓮は泥沼に咲きます。
悩みも苦しみも多ければ多いほど多くの人を救える力になります。
私はそれを立証して見せている訳ですから、悩んで悩んで、そこから菩提心を以って這い上がって、仏教、仏法、仏道を求めて、自己の想念を断ち切った所にある人間本来の静けさに目覚め、智慧と慈悲の心でどなたかを手助けしてあげてください。

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代わりのきかないあなた

たとえお父様の方が辛いからと言ってあなたの辛さがそれでなくなるわけではありません。

誰かの辛さと比べて小さく感じようとも、あなたの辛さはあなただけの辛さ。あなたの辛さ・苦しみが解決しないとあなたは救われません。

それが「誰にも代わりのきかない私」といういのちを生きているという事。天上天下唯我独尊というヤツです。

しかし、一般世間、つまり社会においてはそんな誰でも代わりのきかないオンリー1な存在が働いているからこそ、誰でも代わりがきくように支えあい・助けうシステムを作ろうとします。
就活というのはそのシステムの歯車に私は合いますよと意思表示し、合わせようとする努力を求められるので、中々しんどいものがあります。
そんな中、何があうのか、何がやりたいのかなど誰にもわかりません。これが運命だ!なんてものもないでしょう。
私は消防士も電車の運転士も看護師もしたことがありません。だから本当はそれらの方があっていたり、自分のやりたいことだったりするのかもしれません。
何が言いたいのかというと、やってみないとわからないのです。やってみてはじめて、「ああ私はこれがしたかったんだ!」とか「これはあわなかったなあ」とわかる世界があります。

それは不安でもあるでしょうが、希望でもあるのです。どこのどんな仕事にも私の可能性があるのだと視野を広く持ち、自分のことを決めつけて可能性を狭めない様にしましょう。

合わなかったら辞めればいいのです。人はやり直すことができます。

しかし、あなたのいのちは誰も代われません。あなたの人生を誰かがやり直すことはできないのです。
甘えたでも、弱くてもいい。社会では強く、厳しい姿勢が求められようと、「本来私はどんな私でもよいのだ、この身このままの今の私こそ私なのだ」という立脚地があればご縁の中を流れるように歩んでいけます。
流されるのでなく、意志をもって流れるのです。流れに逆らう必要はありません、私立大学という川を流れる人も、コミュニケーションが得意な川を流れる人もいます。その子たちはその子たちです。あなたはあなたの流れてください。
最後はみな一つの海にたどり着くのです。「本来の私」という帰れる海の存在を知っていることは大きな支えです。

「どうしたらいいか?」より「どうしたいか?」、今のご縁の中で感じる道にまず一歩を踏み出してみましょう。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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