他人を見下して自己肯定
20代女です。
恵まれた環境に育ち、小さな挫折は折々あったものの、とても幸せな日々を過ごしてきました。
そんな自分は、「あの人よりうまくいっている」などと他人と比べ、他人を見下して自己肯定感を高めることがやめられず、自覚するたびにすごく嫌な人間だと落ち込みます。きっとそんな心は相手にも伝わっていることでしょう。
どうすれば相対的な自己評価から解放されるでしょうか。
他人は他人、自分は自分、と健やかで前向きな気持ちでいたいですし、周囲の人を不快にせず、できれば愛される自分でありたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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見下すことは自らを傷つける
人を見下すことで人は満足を得られないと言うことですよね。良いところに気づきましたね。決して自己肯定した事にならないのです。道元禅師は自己と他人ではなく、自己と他己と表現されました。つまり他も己であるのです。見下すことは、己を傷つける事になる。
他を認め、許せると自分の、本当の自己肯定感が身につくのです。
人を見るとき、比較してどうこうではなく、好き嫌い、良し悪しでもない、ありのままを認めることができるといいですね。まずは、相手のいいところ探しでもしてみるところから始めてみましょう。本当に自分が好きになれるし、何より孤独ではなくなります。優しい人になり、人にも好かれますよ。やってみてください。
人を対等に見る。
ぽっこさんは、とても能力のある人と感じました。
文から見えるのはあなたの評価ばかりですので、間違えていれば申し訳ありません。
ところで、ご自身より能力のある方に見下された事はありますか?
私はありますが、これがけっこうキツイ。
まあこの話は関係ないので置いときます。
まず、他人を見下してしまうとのことですが、ぽっこさんのお察しの通りお相手に伝わっている可能性は高いでしょう。
それは、、、
本来は、「自分がどうすべきか」を考えるところを、、、
「他の人にどう思われるか」を優先して行動しているからです。
でも人は、人とくらべてしまう本質を持ち合わせています。
ぽっこさんが自然に生きて来られた結果ですので、間違いではありません。
すべて完璧にこなすことは困難でしょうが・・・
周りの人を「敵」として見出すのではなく、、、
「仲間」としてみなす事ができれば「相対的な自己評価」から、徐々に離れていく意識が芽生えるのではないかと、私は思います。
そういった仲間意思を備えていくことで、他者を愛し、愛される存在になっていけばいいでしょうね。
質問者からのお礼
丁寧なご回答をありがとうございました。
頂いたご回答はどちらも、他者を認め、愛することをアドバイスしてくださっているように感じます。
翻って自分の質問を読んでみると、いかにして他人に認められ、愛されるか、そんなことばかり考えていたことに気づかされました。
少しずつ変わっていけるよう努力します。本当にありがとうございました。