祖父母の今後
昨年12月上旬より祖父89歳、糖尿病の血糖コントロール、認知症の祖母がイレウスによるオペで入院しました。祖母85歳は1週間後には退院しデイサービスを利用しながら自宅療養をしています。祖父は入院時の誤嚥性肺炎により発熱し食事が入らず、安定剤により夜間せん妄となり今も個室対応で入院してます。
昨日、主治医よりカンファレンスがあり母と私たち孫夫婦3人でお話を伺いました。胃瘻を勧められましたが、本人が昔から胃瘻などの延命は拒否と言っており母も私もお断りをしました。結果、好きな物を食べさせてあげて肺炎が悪くなればそれに対して治療実施、亡くなった場合は老衰です、とのお話になりました。
現在は3食の病院食を食べられるだけ介助にて摂取しています。せん妄はあり病室に誰かがいるなどの発言や、夜間なども声を上げることもあるようですが昼間は意識もしっかりしていて冗談も言える状態です。しかし、そんな状態ということもあり昨日決めたことが本当に正しかったのか心に引っかかっています。私の両親と私たち孫夫婦で祖父母の介護をしていますが、私は介護の資格はありますが母は介護力は少ないです。祖父母は二人暮らしですがデイに行きながら母と私で通いながら生活を支えて来ました。ですが、こんな退院後の二人暮らしは無理だろうと、最近になり施設を探して祖父が退院と同時に祖母とグループホームに入所予定です。祖母は認知症で鍋を焦がすこともあり一年前にグループホーム入所を決めましたが土壇場理になり姥捨山に捨てるのかと大騒ぎをして家を出て行ったりと結局諦めました。今回はやはり姥捨山に捨てると母と喧嘩ですが母も腹をくくって、入所を決めたと言っています。母は退院した後の行き先が見えて来たことで最近は明るいですが、母本人の気持ちの浮き沈みが激しく、一つ問題が出てくると私に不安の電話が長々とあり、今の私の気持は絶対言えません。言えば母の気持ちも揺らぎ母の不安定にも繋がります。私には祖父母の事でこれ以上母の不安を大きくするとこはできません。
祖父は死を待つような判断でいいのか、私はどのような心持ちで居たらいいのでしょうか。私が祖父の命を切ってしまったようで辛くて仕方ありません。祖父の胃瘻拒否をいいことに、私は祖父の死を待ち、祖母だけの介護で楽になり母も安定する事で私も楽になるからそれを期待している酷い人間なのかもしれません。最低です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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私が高齢者施設で高齢者から訴えられたこと
あ、訴えられたって、訴訟じゃありませんよ。(^-^)懇願されたことです。
これは、ある年輩の方々から息子さんやお嬢さんたちの在り方について困っておられたことを私に助けてほしいとうったえられたのです。
私は高齢者施設に法話やプラス思考講座で通っていた時、此方から法話や講座を続けることに限界を感じました。施設の代表の方からは「法話をしてほしい」と頼まれたのですが、続けていくうちに「この方々は私がお話をするより、もう耳も遠くなっているのでお話を聞いて差し上げた方が良い」と判断し、Q&A形式で質問に答えて差し上げるという形で紙をお配りしました。
「今、お困りのことを書いてください。」
すると、みなさん、ビックリするくらい家族親族に対して困惑しているのです。
簡単にまとめます。あえてパンチを効かせるために、遠山の金さん風なべらんめぇ言葉に致します。
これはあなたに対してではなく、その方々の、そのご家族に対する怒りです。
高齢者たちのホンネが記されていますので、間接的にご参考になさってください。進むべき方向がハッキリすると思います。
「おうおう、テメーら、俺たちがもうボケ老人だとか、もうお迎え👼そろそろだと思ってテキトーにしやがってよぉ。そういうのを合理主義、ご都合主義ってェんだよ。オレはオレの金で好きなようにしてぇのに、オレたちが貯めて来た金をいつの間にかテメエらが管理という名のもとにオレの好きなように遣わせようともせず、実際にこちとら体だってしんどいのに、器具を買うのはもうそろそろだから、もったいないとか、誰の金だと思ってんだ。オメェらは、本当は俺らの心情をくみ取ってねぇんだよ。オメエらがしたいことをしてるだけなんだってことは、こちとらとっくに御見通しよ!」
「アタシたちがもう体が言うことを聞かない、いう事も言わないからと言って、本人の意思を全く尊重せずに、家族同士で自分の意見が正しいだの間違ってるだのと、問題はアンタたちじゃぁねえんだよ!こっちなんだよ。こっち!本当にこっちを心配するなら、なんでそっちで争ってんだ。こっちの声を聞こうとしろや。あんたたちは、こっちを案ずるようであって、結局自分たちの勝手な想定や思い込みを相手にしてるだけでしょうが。」
という趣旨の事が書かれていました。
軽くゾッとしましたが、高齢者は実は弱っているようでも、私たちと「同じ」なのです。