hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

義母発言「ママいらない、バイバーイ」辛いです。

回答数回答 2
有り難し有り難し 34

義母が遊びに来て、泣きそうな1歳3ヶ月の娘を抱っこしながら「ママいらない、バイバーイ」といってきました。娘はこっちを見て抱っこって手を出してきたので抱き抱えました。
言われた時にあまりの衝撃で反論出来ず、次から言わないように返したらよかったと後から怒りがこみ上げてきました。
ママいらないとか娘にも悪影響な言葉なので絶対辞めさせたいです。
普段から冗談とか悪気がないといいながら口が悪く自己中です。やんわり返しても応えず、逆に口喧嘩するのが好きみたいで。。。口では敵いません。
旦那にいつも相談しても年寄りだからとかかばって余計悲しい気持ちになります。距離を置きたいと言っても、俺の子供やしとかいって親に月一で会わせます。会うたび苦痛で仕方ないです。
義母はおやつをいっぱいあげたがるので将来娘が懐くかもしれないと思ったら辛いです。
平気で言ってはいけない言葉を使ったりするので、娘が覚えたらどうしようとか考えたらきりがないです。
本当に困っています。
旦那に伝えてもらうのは無理です。息子なので言われても〇〇さん気にせられんよとかいってきます。
すごいしゃべるし、すぐ話題が変わるのでなかなか反論する隙もありません。

今後、同じようなことを言われたらどう対応すれば全く言わなくなりますか?
そして嫌味をいわれてもどうしたら平気になりますか?
娘は懐くと思いますか?
娘に口が悪いのが移りますか?
こんなキツイ姑に当たったのには何か理由があるのでしょうか?(運気が上がるとか…)
このままでは心が折れそうなので、これからの長い付き合いを頑張れるアドバイスを頂けたらありがたいです。

長々とご覧いただきありがとうございました。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

旦那に会いに行かせるのがベスト 嫁の知らない負の連鎖

そもそもあなたがシュートメの立場になればすべてが氷解します。
「ああ、ホントだわ!嫁要らね…!」
その気づきは30年後に経絡秘孔で目覚めますからご安心を。
稀にうまく行っているヨメシュートメさんもいますが、その頃は天然記念物に指定されているでしょう。
基本的にはシュートメは自分の子がカワイイ、自分の孫でも自分の一族に似たところのある孫がカワイイもんで嫁なんぞ要らんのが本音です。全てのシュートメさんがそうだとはいいません。私の独自のテキトー調査によると67%のシュートメが嫁嫌いというデータが出ています。
ドラマで娘を持つ父親が結婚相手とうまく行かないのをみることがあるでしょう。
ああいうのを見てどう思いますか。
女性からするとバカじゃないの?ワケワカランと思いますが、私どもからすれば同じです。
少なくともあなたのシュートメザウルスはそういう習性なのですから、それはそういうものなんだと、自覚してしかるべき対応をすればよいのですよ。
この世は無理をしてまで仲の良くない相手と付き合う必要がありません。
私も嫁とシュートメに挟まれて苦労したことがあるので、完全にホットケサマです。
個人的には人間誰とでも友達になれればいいとも思うのですが、ホンットにうまく行かない関係もあるのです。みんな違って当然。
よって坊さんから「こういう提案があった」といって旦那さんに子供を連れて行ってもらえばいいのです。
うちはそれで無問題。そうすればあなたはハンズフリーで好き勝手なことが出来ます。
以下は冗談ですが、私は世の中の女性に嫌われてでも真実を申し上げます。なんでわざわざ苦労してまで、馬の合わない義理の家族と関わるなんてストレスの多い道を歩むのか、意味が分かりません。
子供たちが義理のダンナの家族に会うなら完全に旦那に預けて任せて、一族水入らずで好きにさせてあげれば一番丸く収まるのにどうして、お盆や正月をはじめ、どうしてわざわざタイプや価値観の違う相手の実家に行って、さらにストレスを抱えるようなことをするのでしょう。子供置いてでも自分の実家に帰るか、お互い自由にすればいいのに、って思います。そもそも相手だって嫁が来るなんて望んじゃいないのに「私が行かないと顔が立たない」みたいな妄想を信じて戦地に赴いて旦那や義理の父母に嫌われようとなさるのでしょうか。お呼びでもないのに。笑

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

だからさぁー(沖縄弁)

こんにちは。昨年10月に「バトっておいたら?」と書いた者です。あの時は確か「言い方が参考になりました」って返してくださったと記憶しているけれど、実行してみました?
今回のご相談については、基本的に同じです。ですが、「ママ〜と言ってきた」、その直前の経緯を書かないと、多分皆さん何とも応えられないと思いますよ。「何もしてないのに…」なのかも知れませんが、それじゃあ「相手の気持ちを理解」ができないのです。「何にもなく、イキナリそれを言って来る」人だとしたら、対応も少し変化しますし。
前回、釈師からは「それでも何処かしら人生の師と思いなさい」とありましたが、そういう部分はありませんか?あればね、前回の言い方、「…は有難いし尊敬もしています。けれど〜」という言い方が使えるんだけどね。無いと単純な全面対決になっちゃう。あった方が有利なんだけどな。
ということで改めて「バトっておいたら」をお勧めします。あと、旦那さんにそれを予告しておく。「キレて
勢いでバトるのではない」、その証人になってもらいましょう。間に挟まれることを考えたら、ずっと楽ですから、ちゃんと引き受けてもらいましょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

煩悩スッキリコラムまとめ