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嫌な事柄にとらわれて抜け出られません。

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会社や友人関係など、私に対して好意を持ってくれて受け入れてくれる9割の人よりも、私に対して嫌悪を示し受け入れないたった1人の人に心がとらわれて抜け出られません。

たくさんの本を読み様々な方法を試し、私にとって大切な大切な愛すべき人達のありがい褒め言葉や労いの一言を喜びたいのに、どうしても、私を嫌う1人の人に言われた嫌みやキツイ一言ばかりを思い出してしまいます。

無意識に。

そうすると、どんどんその記憶が強く残り、負の連鎖となっていくことがわかっていても、私の思考はそこへと戻っていきます。

私は悩みたいのでしょうか?

つらく悲しい出来事を何度も何度も思い出し、楽しく幸せな出来事よりも大切にしたいのでしょうか?

なぜ私の思考はこうなんでしょうか?

様々な本に書かれた自己啓発のような「変える」という行為は幾度も試してきました。

変えようにも変わらない。

ならばなぜそんな思考なのか、こんな思考の私をそのまま愛せるようにヒントをいただけたらと思います。

わかりにくい文章ですいません。

よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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一病息災

 こんばんは。「気になるのが一握り」で良かったですね。
人間の思い出というのは、実は「辛い事、悲しいこと、嫌なこと」の方が多いのです。上手くいき、幸せで、楽しかったことは「もういい」ので忘れてしまい、「残った問題」へフォーカスをしていくのは、生き物として自然なことだと思います。
 身体についても同じです。
 身長が人より低いと思えばその事ばかりを、喉が痛いとすればそのことばかり。他の部分は「問題ない」のに、そこへフォーカスはしないのです。それは普通のこと。
「たった一人の人に」が過去の事であるなら、もう本当に捨て置いても構わない筈ですよね。でもその「たった」が気になる。その思いがふっとわき上がってきたら、自分に言葉を掛けます。「あーまた同じ問題に悩んでるよ。今、暇なんだな」あるいは「あー今、他に悩むことがなくて良かった」。それでお終い。膝をすりむいて、ズキッと痛んでも、だからといってそこを搔いてしまったら悪化します。それと同じで、フッとわき上がってきた思いを、そのまま放置する。時間に任せる。放置するのに効果的なのは、身体を動かすことです。運動でももちろんいいのですが、場所を変えるだけでも構いません。目に見える視界をかえる。一番いいのは「お仏壇とか仏様を見る」だと思います。
 ちょっと心配なのは、「その問題」に自分がフォーカスすることで、「他の問題から目を逸らす」ことに使っていないかな?ということです。「試験勉強すべき時に掃除を始める」問題ですね。
 何にせよ、私たちは日々まちがいなく老いてゆき、病気になりそうで、思いに任せない事が起こります。日々「取り敢えず今日は安穏に暮らせた」…「一病」はそのままで…を喜ぶ。「ああ、よかった」と口に出す。最初は白々しいセリフでも結構ですが、「言葉にすること」が貴女全体を導いてくれると思います。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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質問者からのお礼

「それが普通の事である」との一言に安心しました。

私は不幸になりたがっている訳でも、ネガティブなのでもなく、人であれば当たり前のことなのだと、そう思うだけで安心します。

もし、なにかまた心がとらわれることがあったら、無理に消したりきを変えようとせずに、「落ち込ませる事が、今、他になくて良かった。落ち込ませる事が、すでに過去の事、終わった事で良かった。二度とそんなことはないのだから…」と付け加えます。

ありがとうございます!

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