hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

愛をいただけないでしょうか。

回答数回答 4
有り難し有り難し 50

毎日、心が重く自分一人では抱えきれないように感じます。

カウセリング等もしてみましたが 結局心を開くことができず
やめました。

心を開けれるように励ましていただきたいです。

人を信じたいです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

是非安心してこのハスノハを利用して下さい

おはようございます。

 なるほど。カウンセリングがなかなかうまくいかなかったのですね。私はパニック障害で病院に通っていますが、やはり話すのは苦手で、先生の前であまり話はできません。一方で薬はきちんと飲むようにしています。
 お薬は、痛み止めのように劇的な変化がないので、「効果がないのでは」と思いがちですが、私の経験からは、効果がないとはいえない、と思います。ですから、お医者さんでお薬をもらっているなら、服用していた方が気持ちが楽になると思います。

 ここハスノハはネット公開なので、ご質問は公開になりますが、あなたの自己紹介の「おぼうさんのみに公開」の所は、お坊さん以外は見ることができません。質問する時に内容を気をつけていれば、あなたの個人を特定することはできません。

 言葉だと話せないけど、文章なら大丈夫って事あるよね。ですから是非、安心してこのハスノハを利用して下さい。
 たくさんのお坊さんが登録していますので、様々なお坊さんから答えがもらえると思います。答えによっては「こりゃあ有り難くないな」という答えになってしまっていることもあるようで、私も質問者さんから怒られてしまうことが時々あります。でもね、どのような答えも、質問者さんことを思って時間をかけて答えを書いています。ですからそういう時は、そっと許してくださいね(笑)。

 ご質問お待ちしてます。

{{count}}
有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
このお坊さんを応援する

センシティブですね。

こんにちは。東京の浄土宗のお寺で副住職をしております。
以後どうぞよろしく。
ご質問、光禪師の返答、そして「質問者からのお礼」、読ませていただきました。
「愛をいただけないでしょうか。」なんとも切羽詰まった、苦しいお心のうちと感じられる言葉です。
そのような状態ですので、「これは愛ですか、違いますか」と、反射的に問いただしたくなったのでしょう。
よく見てみましょう、光禪師は、「折角こっちが時間を割いて書いてあげてんだから、"有り難し"付けろよな」とは言っていません。「怒られることが時々ある」、まぁいま現にそうなっているのですが…。そういう時は「暖かくスルーして…」という意図かな、と思います。
ということで、ここは言葉のみのやり取りですから、言葉の勘違いは大変よく起きます。受け取った言葉の「解釈」と、言ったら人の「意図」のズレですね。
貴女は「心を開きたい」と仰るけれど、「今はまだ、怖くてできない」、その「怖さ」が本心なのでしょう?ですから、それをすでに開陳できたと思います。
他の方の問答をお読みになるのは、非常に役に立つと思います。「ああ、こんな人もいるんだ。仏教では、そんな風に考えるんだ」と。多分ここには「生きた仏教」があります。アドバルーンの質問(風向きを調べる質問)から、始めてみては如何でしょうか。「心を開いた分だけ聞ける」とか理屈を考えず、日常のことからが宜しいのではないかと思います。
貴女のペースで。

{{count}}
有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
このお坊さんを応援する

愛は実践

愛を論じても愛は生まれません

愛そう愛そうと目の前の人に接しましょう

愛してくれ愛してくれと心の叫びがあるならば出し尽くしてみましょう

ここはどんな叫びにも応え続ける場ですよ

あなたが一人で抱えきれないものを

共に抱えようとするのか、
一人で抱えられるようサポートすのるか、
そもそも抱える必要なんてないんだよと解放するのか、
実は抱えられているのがあなただよと転回するのか、

方法論はそれぞれですが、あなたが問えば応えます。

愛はあなたの中にあるのでも、私の中にあるのでもなく、愛の中に私もあなたもあるのです。愛に試される私たちは、本当の愛に到達しようと実践し続ける課題を与えられているのです。

またいつでもお待ちしております。

{{count}}
有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
このお坊さんを応援する

仏教の「慈悲」について学ばれてみられる

ゆう様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「愛」という字は、「受」けるの真ん中に「心」がありますように、お互いに心を真正面同士にて受け止め合うことで成立するものであると考えております。逆に言えば、相手が受け取らなければ成立しないものと解することができます。

一方で、難しいことになりますが、仏教にも「愛」に近い概念としての「慈悲」がございますが、それは、相手が受けようが、受けまいが、相手の苦しみを真に思い憐れみ、何とかして苦しみ取り除いて救ってあげたいという心になります。更に、それを特定の誰かという相手ではなく、皆平等に向けていく思いにしていくことが望まれることになります。

心を開くためには、皆に平等に慈悲を向けるというための、その慈悲の滋養が、もしかすると突破口になるのではないだろうかと、少し存じました。

是非、仏教の慈悲というものについて、関心を高くして仏教を学ばれ始めてみて下さいませ。

一番のお勧めは、シャーンティデーヴァ大師の「入菩薩行論」が最適であるかと存じますが、いきなりでは難しすぎるとも思いますので、簡単なものからでも。

分からないことがあれば、また是非何なりとご質問下さいませ。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

光禪様、
早速のお返事ありがとうございます。
この場を提供していただいたこととても感謝しています。

私も心をちょっと開いて率直に意見してみようかなと思えました。
ありがとうございます。

せっかくお返事頂いて恐縮なのですが
私的には許すも許さないも許す側自身の責任だと思っています。
時間をとって書くのは書く人の責任です。
自分のことを考慮してもらって罪悪感から相手を動かそうとするのは 愛ですか?

すいません、私は愛よりも恐れを受け取ってしまいました。

どうにかしたい。。どうにかしたいのです。。
助けてください。

佐藤良文様、
お礼の文まで読んで頂いてありがとうございます。
私の心情に沿ってくれたこと嬉しいです。

私も気づいていました。これは私の受け取り方の癖だということ。
いつまでも親の影を追ってしまっていること。

私の中には悪しか入らない。善を入れることができない。
普通の人とは逆になってしまっています。
どうやって善を取り入れ悪は入らないようにするのですか。

あと、ただ意見を言ったつもりだったのですが自分の意見を言い慣れてないため
問いただすような感じになってしまってごめんなさい。

私を輪の中に入れてくれてありがとうございます。

吉武文法様、
お返事ありがとうございます。
愛の中に私達はいるのですね。

痛いです、愛は痛いですね。
分かります。
いつか不幸だと思いこんでるものの上でも余裕で立てるようになりたいです。

ありがとうございます、私なりの愛を実践してみたいと思います。
私なりの愛は 相手を感じることです。
言葉ではなくその人を感じることです。
今日の体験を通して私はすぐ 言葉にとらわれてしまう癖があるということを
実感として捉えれたので
言葉ではなくて その人自身を感じれるようにしていこうと思います。

皆さんのおかげでとてもいい経験ができました。
運命なのでしょうか?
ほんとに書き込んで良かったと思っています。
ありがとうございます。

こういうことが愛なのですか?

川口 英俊様、
お答えありがとうございます。

愛という字、受け取らなければ成立しない。
おっしゃられる通りだと思いました。
私には 受け取る器ができていません。

慈悲の滋養?突破口、、
難しそうですが読んでみたいと思いました。
簡単なものからトライしてみます。

ありがとうございます、
お坊様達の優しさに心が少し休まりました。
この気持ち、大事にしたいと思います。

改めてお礼を言わせてください。

心が軽くなってきました。
体もゆったりできるようになってきました。
頭も自分のために使えるようになってきました。

人も自分も信じれるようになりました。
本当に嬉しく思います。
助けていただきました。人生を救っていただきました。
ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます、、
何度言っても足りないです。

お坊様のお気持ち、私の心にいただきました。
頑張ります。

ありがとうございました。

それでは
極寒の候ではございますが、皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

あと、
光禪様、失礼な態度をとって本当に申し訳ありませんでした。
本当は私のことを心配してくれてる、気楽に書いていいんだよって
私をホッとさせようとしてくれてるって心の隅で分かっていました。
私は私が助かるためにあなた様を利用してしまったのです。
こんなことはもうしません。
今慈悲について学び始めました。学びます。
申し訳ありませんでした。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ