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消滅という言葉って曖昧ですよね
道元禅師の中国留学中、坐禅をしていると物凄い剣幕の怒鳴り声が聞こえました。
「坐禅とは心身脱落じゃ!だのに居眠りするとはどういう了見じゃ!!!」
横の方で居眠りをしている修行僧がおり、お師匠さまが叱ったのです。この言葉で分かりますね。眠っていても心身脱落(我を離れる)になっていないという認識です。
眠っている状態は確かに自分の意思がハッキリしていません。その自分の意思がハッキリしていないのが悟りなら、ドラッグやお酒で意識がブッ飛んでいる状態も同類になるかもしれません。でも、我を離れることと自分を失うことは別物なんです。
坐禅が良い感じになると意識が無くなるのではなく、逆に神経が敏感になるんです。ある老僧さんは線香の灰が落ちる音まで聞こえていたそうです。
で、また別件で大学で脳波をはかる実験をしてみると、音が鳴った時、経験の浅い人とそこそこ坐禅経験の長い人で同じように反応したそうです。でも経験の長い人の方がスッと元どおりの脳波になり、経験の浅い人は戻るのに時間がかかるそうです。面白いでしょう?そんな方向性だと思えば、寝れば良いってもんじゃないんだなと何となく感じていただけると思います。
それに一言で寝ると言っても、良い睡眠と悪い睡眠とありますしね。睡眠の質としても、手段や目的としても。
寝ていても…
ゆりかご様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
寝ているときは、もっとも粗い意識が落ちているだけで、粗い意識が落ちても、まだもっとも粗い意識よりも、少しだけ粗い意識が活動していますから、自分が消滅しているわけでもなく、悟りの障りとなっている煩悩や無明もまだまだ意識(心)に潜在している状態であり、悟っているとは言えないものとなります。
そして、また目覚めれば、もっとも粗い意識が働きを始めて、煩悩、無明の影響下にて引き続き活動をすることになってしまいます。
とにかく、悟りの障りとなっていて、悪さを繰り返す要因である煩悩障と所知障を、仏道をしっかりと修して、断滅させて参りたいものとなります。
共に頑張って参りましょう。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
寝ていても、
悟りとは遠いものなんですね、
ずっと勘違いしてました。
ありがとうございます