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落ち着きがない人でも悟れますか?

回答数回答 2
有り難し有り難し 10

私は昔から落ち着きがありません。

じっとしてるのが苦手で、
テストの時とか困りました。
中学の時
一人すごく落ち着きがない人がいるんだよね〜
カンニングみたいに見えちャうんだよね〜
本人は気づいていないみたいだけど〜
と、みんなの前で話されて
先生と目があったことが忘れられません。

私は昔から落ち着きがなくて
いつも不安でたまりません。

ずっとこうなんじゃないかと思うと苦しいです。
悟って楽になりたいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏教は心の科学 (瞑想の解説あり)

落ち着きがなくても悟れるか....
答えは、イエスです。
まずは、悟というものを知る事が大切です。

悟るというと、どうしても「悩みも苦しみも全てなくなる」という完璧超人的なイメージになってしまいますが、個人的にはそうじゃないと思います。
真理を体得されたブッダですら弟子の死を悲しんだと言いますから、やはり感情がある限り悩みは尽きません。
悟るというのは「真理に気づく」体験なんです。何かを学びそれを実践することによってふと気づくものなんです。
真理は至る所に転がっています。
例えば、ニュートンが落ちるりんごに疑問を抱き、計算を重ね万有引力という真理を発見したのも一つの悟りです。
悟りとは、なにも仏教だけのものではなく、日常生活にも様々な悟りがあるんです。
なんでもいいんです。科学でも、芸術でも、音楽でも、料理でも数学でも文学でもいいんです。

ただ、相談者様の悩みである「落ち着きがない」ということに関して言えば、やはり仏教がいいでしょう。
何故なら仏教は心の中を研究した「心の科学」だからです。

実践としては、林 浩道さまのおっしゃる通り、仏教の本を読みそして「瞑想」することです。
瞑想は、難しいものじゃありません。坐禅のように何も考えない...というのは難しいし、密教の阿字観のように宇宙と一体になる...のも難しい。
そこでもっとも簡単なのが「数息観(すそくかん)」という瞑想。

半跏座という体勢(無理なら普通のあぐらでもいい)になり、おへその下で軽く手を組み、外の光が糸の様に見える程度に薄く目を開けます。前後左右に体を軽く揺らし、ちょうどいいところで止める。尾てい骨からつむじまで一本の柱があるような意識をします。

そして、「息を数える」ことだけに集中します。
ゆ〜っくりと口から息をはき、お腹をへこませて限界まで吐き切ったら、鼻からゆったり綺麗な空気を吸い込む。
これで「1」です。
最初は、息に集中して数を数えるだけで精一杯ですが、徐々に雑念が湧いてきます。
その時は、読んだ仏教書のことでも思い出しましょう。

初めは5分。慣れてきたら10分、15分と伸ばしてみましょう。とても清々しい体験ができますよ。

週に2回、5分ずつでもやれば、半年後には心に大きなゆとりができるとおもいます。自分の心を客観視できます。

それが、あなたの「小さな悟り」です。

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有り難し
おきもち

悟る必要はありません

世の中にはアスベルガ-(多動)と診断されながらも、ちゃんと社会で活躍なさっている方々がいます。

人は常に変化し続けています、環境も時とともに変化してゆきます。
努力次第で、良くも悪くもなる。
あとはあなた自身が正しく生きればいいだけ^^

何が正しくて、何が正しくないことか、それはしっかりご自分で勉強なさって判断して下さい。
その時には仏教の本も是非お読み下さいね♪
分からない事があったらこのサイトで質問して下されば、きっと誰かが答えてくれるはずです。

たくさん本を読み、たくさんの人とふれあい、様々な人生を学んでゆくうちに、色々なことが見えてくるでしょう、ひょっとしたら、おさとりも得られるかも?w

悲観的にならず、1日1日をしっかり生きよう。

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有り難し
おきもち

様々なつらい別れや痛みを、私も経験しながら今日を生きています。 あなたの...
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質問者からのお礼

瞑想やってみます

すみません、
深呼吸って苦手なんですが、
どうしたらいいでしょうか。

仏教は本当に救いを求めます

「悟りとは」問答一覧

悟り体験と仏教との関わりについて

こんにちは 初めて質問させて頂きます。 私は仏教徒ではないのですが20年前に所謂悟り?のような体験をし、以来あの素晴らしい世界観が忘れられず、同様な体験のある方が居るのか知りたいと考えていました。 そのとき、私は宇宙の銀河ような広大な空間に居ました。数多の光が輝き、私はそのうちの一粒の光として存在し、すべての存在と一体感を感じて満ち足りていました。 私達の住む物質世界のしがらみや生物の本能から一切離れて2つの全く違う世界が存在することを知り、目が覚めた思いがしました。 2つの世界の存在を知り、ここには書ききれませんが、如何にこの世界での欲や争いが無意味か知り、死が怖くなくなりました。また、2つの世界を繋ぐものは何か考えてきました。 理想的には皆があの体験をして世界の構造を知れば争いなどなくなるようにも思いますが、しかし実現不可能なことも理解しています。 仏教はこういった世界を体系的に表して広めようとしているものなのでしょうか。私は自分の体験が素晴らしいと思っていますが、どう伝えてもとても他人に理解できるとは思えません。 逆に体験した方にはすぐに伝わると思います。 また、私の他にも同様の気持ちの方は居たりするのでしょうか?

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悟りや天国に優しさは必要ない?

仏教には、達磨大師など偏屈で冷淡な高僧が多い印象があります。自称霊能者の類にも、優しくない人がいっぱい居ます。悟りや天国に、優しさは必要ないのだろうかと非常に悔しく思います。それはきっと、私がなんの取り柄もない代わりに、「こんな優しい人を初めて見た」とよく言われるような人間だからだと思います。そう、まるで自分の唯一の強みが、天国へ行くために必要ないと世界から言われているような悲しさを味わったのです。ちなみに優しくない人とて地獄に落ちていいとは思いません、人類も動物もみんなで一緒に天国へ行くのが私の望みです。ですが、私は聡明で冷淡な人よりも、鈍重でも優しい人こそより高い天国へ行ってほしいという感想があります。ですがブッダを含めた高僧の多くが王族の出身であったりと、天国に行く人はヒンドゥー教でもカーストがあるように人柄ではなく家柄で決まるのだろうか、とも。 酷く冷淡な自称霊能者に突き放されて酷く傷ついたことも先日あったので、天国に行くために優しさが必要不可欠となるイスラム教に、2駅くらい先の寺院へ行って改宗しようかさえ思いました。ちなみに、「浄土教ならあなたも高僧以上の悟りに辿り着けるよ」と広報運動をしている人は居ました。 (実家は浄土真宗です) などなどについて、何かのアドバイスをいただけたら幸いです。これを見てくださっている優しいあなたにも幸福がありますように。

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