落ち着きがない人でも悟れますか?
私は昔から落ち着きがありません。
じっとしてるのが苦手で、
テストの時とか困りました。
中学の時
一人すごく落ち着きがない人がいるんだよね〜
カンニングみたいに見えちャうんだよね〜
本人は気づいていないみたいだけど〜
と、みんなの前で話されて
先生と目があったことが忘れられません。
私は昔から落ち着きがなくて
いつも不安でたまりません。
ずっとこうなんじゃないかと思うと苦しいです。
悟って楽になりたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏教は心の科学 (瞑想の解説あり)
落ち着きがなくても悟れるか....
答えは、イエスです。
まずは、悟というものを知る事が大切です。
悟るというと、どうしても「悩みも苦しみも全てなくなる」という完璧超人的なイメージになってしまいますが、個人的にはそうじゃないと思います。
真理を体得されたブッダですら弟子の死を悲しんだと言いますから、やはり感情がある限り悩みは尽きません。
悟るというのは「真理に気づく」体験なんです。何かを学びそれを実践することによってふと気づくものなんです。
真理は至る所に転がっています。
例えば、ニュートンが落ちるりんごに疑問を抱き、計算を重ね万有引力という真理を発見したのも一つの悟りです。
悟りとは、なにも仏教だけのものではなく、日常生活にも様々な悟りがあるんです。
なんでもいいんです。科学でも、芸術でも、音楽でも、料理でも数学でも文学でもいいんです。
ただ、相談者様の悩みである「落ち着きがない」ということに関して言えば、やはり仏教がいいでしょう。
何故なら仏教は心の中を研究した「心の科学」だからです。
実践としては、林 浩道さまのおっしゃる通り、仏教の本を読みそして「瞑想」することです。
瞑想は、難しいものじゃありません。坐禅のように何も考えない...というのは難しいし、密教の阿字観のように宇宙と一体になる...のも難しい。
そこでもっとも簡単なのが「数息観(すそくかん)」という瞑想。
半跏座という体勢(無理なら普通のあぐらでもいい)になり、おへその下で軽く手を組み、外の光が糸の様に見える程度に薄く目を開けます。前後左右に体を軽く揺らし、ちょうどいいところで止める。尾てい骨からつむじまで一本の柱があるような意識をします。
そして、「息を数える」ことだけに集中します。
ゆ〜っくりと口から息をはき、お腹をへこませて限界まで吐き切ったら、鼻からゆったり綺麗な空気を吸い込む。
これで「1」です。
最初は、息に集中して数を数えるだけで精一杯ですが、徐々に雑念が湧いてきます。
その時は、読んだ仏教書のことでも思い出しましょう。
初めは5分。慣れてきたら10分、15分と伸ばしてみましょう。とても清々しい体験ができますよ。
週に2回、5分ずつでもやれば、半年後には心に大きなゆとりができるとおもいます。自分の心を客観視できます。
それが、あなたの「小さな悟り」です。
悟る必要はありません
世の中にはアスベルガ-(多動)と診断されながらも、ちゃんと社会で活躍なさっている方々がいます。
人は常に変化し続けています、環境も時とともに変化してゆきます。
努力次第で、良くも悪くもなる。
あとはあなた自身が正しく生きればいいだけ^^
何が正しくて、何が正しくないことか、それはしっかりご自分で勉強なさって判断して下さい。
その時には仏教の本も是非お読み下さいね♪
分からない事があったらこのサイトで質問して下されば、きっと誰かが答えてくれるはずです。
たくさん本を読み、たくさんの人とふれあい、様々な人生を学んでゆくうちに、色々なことが見えてくるでしょう、ひょっとしたら、おさとりも得られるかも?w
悲観的にならず、1日1日をしっかり生きよう。
質問者からのお礼
瞑想やってみます
すみません、
深呼吸って苦手なんですが、
どうしたらいいでしょうか。
仏教は本当に救いを求めます