感謝出来ません。
前回の質問から暫くし、夫の体調が急激に悪くなり(動けない、話せない、水も飲めない)救急で入院しました。約3ヶ月近く入院し、かなり良くなりました。しかし、まだ職場復帰には至っておりません。
なので、お恥ずかしい話しですが生活が苦しく、主人の実家から毎月傷病手当金で足りない分を借りています。
しかし、私は主人の実家に感謝出来ません。多分、主人の体調が良くなるに連れ、私のアラが見えてきた義母が一から十まで色々言うようになったのです。子育てまで口を出して来たこともありました。その事と、もうひとつは義兄の子とうちの子達に多少ですが差をつけられていると感じているから…なのかもしれません。
どうしたら義父母に感謝の気持ちが持てるのでしょうか?
それとも、お金は何年かかっても返すつもりはあるので、あまり考える必要は無いのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
東洋的な
拝読させていただきました。
大変な思いをされておりますね…。過去の質問も少し読ませていただきましたが…。
感謝は無理やりするものではなく、自然と湧いてくるものなので、できないのならしなくていいと思います。
これからの生活が不安、というのは、これから生きていけるか不安、ということで、最終的には、死にたくない、になると思います。子供も死なせたくない。
「私の命」「私の子供」「子供の命」…。この3つ、全て事実ではないです。この「の」というのが苦しみの原因になっているような気がするんです。「私のもの」というのは人間社会のなかだけの解釈で、ほんとの事実としては「私のもの」なんて世の中に何一つありません。
私のもの、は「解釈」でしかありません。「便宜上」でしかありません。
子供を「私のもの」だと思っている世間の親たちがどれだけ苦しんいるか、問題を起こしているか。命を「私のもの」だと思っている人が死ぬ間際にどれだけ苦しむか。
そーゆー人たちは、事実に苦しんでいるのではなく、それを解釈して苦しんでいるのです。
私たち人間は、「私」という意識が生まれる前から生きてます。命がすでにあって、そのあと「私」が始まって解釈するようになったのです。
「命が私として生きている」というのほんとだと思います。全てがそうです。これから外れるものはありません。
…質問の答えにはなっていないのですが、私としては、この根本をすっかり忘れた状態で何を考えようが何をしようが、その苦しい思いからは出られないような気がしまして、このようなお話をしてしまいました。気分を害すようでしたら聞き流してください。
旦那様もいろんな「思い」のなかで苦しんでいるのだと思います。
「思いをどう扱っていくか」が西洋的医学、「思いを手放す」のが東洋的医学、だと私は認識しております。
追伸
お心お察しします。
心と言うと漠然としてますが、2つに分けられると思うんです。一つは思考(脳)、もう一つはハート(からだ)。両方大事だと思います。でもあまりに苦しいと思考だけが大きくなって、ハートを忘れるときがあります。ハートは生命力とか自然治癒力とも言えますが、ハートの支えを実感していてこその思考だと思うんです。思考の出過ぎをハートが和らげてくれるような…。
率直なお礼ありがとうございました。
ありがたいということ
りもさん、ご質問ありがとうございます。
旦那さんの体調はいかがでしょうか。
大変なことだと思います。
ご主人の実家からの援助に感謝出来ない。
人間関係には、難しいところが多いですね。
義母さんに言われること、傷つくことが多いのだろうと思います。
「ありがたい」というのが、一般の感謝の言葉であると思います。
「有り難い」とか「有ること難し」が元だと言われます。
「有ることそのものが難しい」「なかなか無い」といった意味でしょう。
ご主人の体調が悪くなったとき、ご実家の援助を受けられるという状態は、
「有ることそのものが難しい」「なかなか無い」のではないですか?
たしかに、いろいろと言われたり、あるいは差をつけられていると感じたり、
そういうときは、「ありがたい」とはなかなか思えないですよね。
でも、その奥底には、しっかり「ありがたい」状況があるのではありませんか?
そこに目を向けていきましょう。
質問者からのお礼
藤堂様
頭ではなかなかしてもらえる事ではないと分かっています。今までは感謝するのにこんなに心が伴わない事がありませんでした。
なので、どうしたら心が伴って感謝出来るようになるのかな…と思っております。
色々な部分で感謝しなければならない所は沢山あると思いますが、悪い方にばかり捉えてしまっています。今はとても私は悪い考えを持った人になってしまっているみたいです。気持ちがなかなか切り替われません。
最後になってしまいましたが、回答して頂きまして有難うございました。
宗像様
今は無理に感謝しなくてもいいんですね。時が経てばまた変わって来るのでしょうか…
私は子供を自分の所有物の様には思っていません。ただ、主人が病気のせいで悪い影響が子供達に出ないように守ってあげられるのは母親である私しか居ないと思っています。幸いな事に子供達に悪い影響はないようですが…
主人に関してはだいぶ良くなっていますが、仰られたように「思いをどう扱っていくか」あるいは「思いを手放す」と言うことを自分なりに見つけて欲しいと思っています。今のリハビリ期間中はその仕方の練習中でもあるのかと思います。
私はもう少し「物の見方」が変えられるようになれたらいいと思います。どうしたら変えられるようになるのか…少し調べてみたいと思います。
最後になってしまいましたが、回答をして頂きまして有難うございました。
宗像様
少し検討違いしていた部分がありますので、また書かせて頂きます。
「命が私として生きている」と言うのは私には難しく感じています。
上手く書けませんが、「私=心=体」だと思っています。主人の病気でそう感じました。
私自身「生きている」事より「心」の方が出過ぎていたのかもしれません。今まで本当に色々大変でしたので…
「命が私として生きている」と言うのはもう少し自分で考えみようと思います。
有難うございました。