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菩薩寺がない

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我が家は菩薩寺がない状態です。
昨今は宗派を問わない民間の祭儀場があり、近隣住民もそこを利用しています。

末代の私が宗派変えを言い出したため、総本山で近辺の菩提寺を探してもらったのですが、檀家を取っていないとのことで、菩提寺探しに難航しています。

急ぎで法要や葬儀があるわけではないのですが、私自身が素人信者なため、経験の深いご住職や僧侶様の教えを頂戴したいと考えているところです。

教えを乞う、というのはおこがましいのでしょうか。素人仏教徒にとって必要なものは一体なんでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

色んなお坊さんに出会い、見識を広め、落ち着く処に落ち着く

法話会や坐禅会、各種講のようなお寺のイベントに参加なさり、その中でピンときたお坊さんと徐々に親交を深めていけば良いと思いますよ。いきなり「教えを乞う」とか「仏教の本質」という態度で話しかけられると、お坊さんも緊張します(笑)気軽に接していただければ幸いです。もちろんhasunohaもそのご縁になり得るでしょう。
その結果として、いつかこの人に送り出してほしいと思えるお坊さんに出会えれば、その方が菩提寺になってくれるでしょう。

あるいは私は家の宗派と、個人的な信仰を割り切るというのもお勧めしています。葬儀や年忌供養は親族の問題ですので、自分の思いがどうかだけではなく、皆が安心できる道を選ばねばなりません。それはお坊さんではなく、家族親族とご相談なされるべきことです。そのようにより広く思いやりを持って折り合いをつけることもまた、仏道です。
個人的な信仰については前述の通りですが、もっとこの人の教えに触れたいという人の追っかけをすれば良いでしょう。お坊さんもそうして学びます。

さて、仏教は本来、西洋医学よりも東洋医学に近いものです。つまり病気になってから手術や投薬で治すような方向性ではなく、食事や生活の習慣を調えて病気になりにくい身体を調える方向性です。
経典に残るお釈迦さまの教えも、「自分の行いを誠実に調えなさい。自分の心をつつしみ深く調えなさい。」と口を酸っぱくして何度も何度も何度も説かれているものがほとんどを占めます。

だから本当は、そのための菩提寺なのですよね。菩提寺との関わりが深ければ、法事でお坊さんの法話を聴きます。年に数回の大法要ではよそから招いたお坊さんから、菩提寺とは一風違う法話を聴きます。そして坐禅会や各種講のような実践の場で学びを深めます。それらを道標に、毎日の生活の中で苦を溜め込みにくい自分を調えていただきます。

お葬式や法事もまた、その学びの場であり、同時に実践の場です。仏教は生老病死の苦にいかに向かい合うかという生き方です。ご近所さんを送り、祖父母を送り、親を送り、兄弟や友人を送り、時に自分より若い世代を送る人生。その中で苦をどのような方向性で消化し、昇華していくか?生死の事は仏教の一大テーマですよ。死を学ぶのではなく、死に学ぶ。ただ、出来れば、どなた様にも死を最初の入口とせず、一連の流れの中で生死と向き合っていただきたいものですね。

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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「勧請」

Quentin様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教をしっかりと学ばれたいというお気持ち、誠に大切なことでございます。

また、「教えを乞(請)われる」というのも、実はかなり大切なことなのです。

仏教は、基本的には、教えを求められる者に対してでしか本来説けない教えなのであります。

その有名な故事が、釈尊の「梵天勧請」であります。

菩提樹下にてお悟りを開かれた釈尊は、その悟りの内実に関して、涅槃の境地を静かに喜び、このまま更に深い禅定に入って、もはや再び迷い・苦しみの世界に生まれ現れることのないように、この世界から完全に解脱しようと考えられたと伝えられています。

また、この涅槃へと至るための深遠なる教えについて、例え説いたとしても、誰にも理解してもらえないのではないかと考えられて、教えを説くことを躊躇されたと言われています。

このように釈尊が教えを説かれることを躊躇なされていた時、梵天が現れられて、「そのすばらしい悟り・涅槃へと至るための道を衆生にも大いに説き、迷い・苦しみから衆生を救済して下さい」と、三度も勧められたと伝えられています。

この梵天からの勧請を受けて、釈尊は、悟り・涅槃へと至る道を衆生に説くことを決意され、いよいよ仏教が始まるのであります。

釈尊が教えを説かれることを躊躇なされた真意の一つとして考えられるのは、仏教は対機説法、方便を用いる教えであり、説く対象となる相手の悟りへと向けた機根に応じて(理解できる能力に合わせて)、説かれるものであって、一般的な教えとしてはある意味で成り立たないものもございます。それが故に、ある者に説いた教えが、別の者に対して適用できるかどうかは非常に難しく、かえって誤解や混乱を生じさせてしまい、益にならないかもしれないと考えられたのではないかと存じます。

梵天勧請は梵天勧請として、とにかく何よりも、問題は、教えを請われた側の僧侶が、相手の機根を見極めた上での対機説法・方便に巧みかどうかでございます。

僧侶も正直、玉石混交です。そこはある程度、仏教を学び進めていく中での見極めが必要になるのではないだろうかと存じます。

ご参考までに。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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私達仏教徒にとって必要なものは、やはり仏教です。仏の教え、そして仏に成る教えです。
お経やお坊さんの書いた本を読んだり、お坊さんの法話を聞いたりして学び、それを実生活で実践することです。
感情をよくコントロールして、理性で物事を見て、考えて、行うことです。
他人に慈悲の心で接することです。

菩提寺を急いで探さなくてもかまいません。あなたが納得する教義の宗派、あるいはあなたが信頼できるお坊さんを見つけるところから始めましょう。

なお、あなたの実家が浄土真宗であるなら、阿弥陀仏に全てお任せすればいいと思いますよ。菩提寺がなくても、立派なお墓がなくても、慈悲深い阿弥陀仏はあなた達を決して見捨てることはありません。命が尽きる時には、ご先祖様の居られる極楽浄土に連れていってくれるのです。南無阿弥陀仏。

追記
あなたの親御さんがどのように弔われたいのか、よりも、生きている今どんな親孝行ができるのか?その実践が大切なのですよ。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

聖章様、
ご回答ありがとうございます。
にわか仏教徒ながら、仏教とは(大きくは宗教全体)理論ではなく実践だなあと常々感じております。
立派なお仏壇もお墓もあるので、余計に困っています。
両親はあまり信仰には興味がなく、高齢ですが、どんな弔われ方をされたいのか謎です。
私なら生前おつきあいのあった僧侶の方にお経を詠んでもらいたいと思います。
葬儀社の依頼を受けた僧侶の方でも、ある意味ご縁とは言えるかもしれません。
今は死に際してというより、仏教の本質に迫りたい気持ちでいっぱいです。
私のできる範囲内で修行します。
合掌

川口様、
ご回答ありがとうございます。
日々の勤行で、かなりなめらかにお経が詠めるようにはなったものの、宗派によってはお師匠様によって口述でお経の音階を習うとのことで、このご時世でさえ、インターネット上にはもちろん乗りません。
仏教の本質となると、門外不出というより、理解できない人も多いことと思います。
便利な世の中にはなりました。信仰なしで生きていくこともできます。
ロウソクの灯火を眺めていると、それでも信仰は絶えることがないだろうと感じます。
ちょっとしたきっかけで、仏教徒であるという自覚が生まれました。
困難は多いのですが、お釈迦様には感謝しております。
合掌

聖章様、
重ね重ねありがとうございます。そうですね、親孝行。あまり親子関係が良好ではないので考えることがありませんでした。できることをやっていこうと思います。それも仏教の大切な教えなのですね。

大慈様、
ご回答ありがとうございます。
よく、『批判ばかりしていて優しさのカケラもない人。』と言われます(泣)。
若かりし頃、欧米の哲学書や長編小説ばかり読み漁っていたので、ユダヤ、キリスト教的なものの考え方が身に染み付いているのかもしれません。
お寺に参拝するようになってからは、閑散とした境内に今までの自分をリセットしてもらっているかのようで、人生の後半は別の行き方をしてみようと考えます。
セレブがヨガや瞑想をしているという話はよく聞きますが、一過性のものではなく、柔軟な姿勢でもって、信仰の道を歩みたいと思います。

「お寺全般」問答一覧

お寺でおじさんからナンパ

先日、厄除け祈願のためお寺へ行きました。そこは初めて行く場所でとても楽しみにしておりました。 お護摩まで時間があった為、境内を散策していると、親ほどの年齢の男性に、写真を撮って欲しいと言われたので、写真を撮りスマホを返すと、地元の人ですか?と聞かれたので違います。と答えるような軽い会話をしました。するとその男性はよかったらお食事でもと誘ってきました。断ると足早に去っていき、それ以上は何もなかったのですが、20〜30は歳の離れた男性からお寺という場所でそのような目で見られたことがすごくショックで不快な気持ちになり、とても嫌な思いをしました。 思い返してみれば、写真を撮って欲しいにも関わらず、すぐにスマホが出てこなかった事と、私がお賽銭をいれる直前に声をかけてきたところからそもそもナンパ目的な点とお参りを邪魔された点にとても腹が立ってきました。 その後、無事にお護摩を終え護摩札を受け取りましたが、モヤモヤが消えません。 境内でそのような事(ナンパ)をする方をお寺の方々はどう思っているのか気になり、また嫌な思いをしたお寺は自分には合わないのかと思い相談させていただきました。

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ご先祖の菩提寺を調べたいのですが

自分の先祖の菩提寺が知りたいです。 過去帳で原戸籍以前のご先祖にどんな人がいたのか知ったり、当時何があったかわかる範囲で調べたいと思っております。 今まで、私の祖父は父の顔を見る前に亡くなったと聞かされており父方のご先祖に関する情報はほとんどありませんでした。 父本人も、祖母方の親戚筋ももうおりません。 戸籍の取り寄せで天保年間生まれの曽祖父まで辿れたのですが、それより昔の人のことや歴史上何があったか知るには菩提寺の過去帳を調べて頂いたり口伝で伝わっていることを教えて頂くことだと聞きました。 宗派もわからないのですが、ご先祖の本籍地の周辺のお寺にしらみつぶしにお手紙を書くしかないでしょうか。 現在あるお寺が新しいと意味がないし、逆にお寺がなくなっていることも考えられますよね? アタリをつけるにはどうするのがいちばんよいのでしょうか? ちなみに、途中で分家の際に苗字が変わっているものの、いちばん古い戸籍の戸主の父母の苗字もあり、「ご先祖さまはどこかの村長さんだった」とも聞いた覚えがあるので、過去帳や郷土資料に名前が残っている可能性は大きいと思います。 アドバイスが頂ければ幸いです。

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hasunohaが繋いでくれた幸せの縁

いつもありがとうございます。母の命日にお寺の近くで怪我をし門前の治療院で出会ったご縁、おかげさまで順調です。 その後、異動先でも彼は健気でした。もちろん治療院全体の患者に対する姿勢でもありましょうが、ちょっとした気遣いで人としての器を広げていく仕事環境や切磋琢磨している姿は、とても清々しく素敵でした。 気丈に振る舞いながらも新天地で生まれた弱音をこぼしてくれたこと、カーテンの向こうで波に揉まれている様子、三兄弟の次男らしく、周りに可愛がられながら、彼なりに努力している姿がありました。 帰り際、先輩からビシッと突っ込みがあった時に思わず「すみませんすみません!私の方がウッカリな所があって…」と、異動前にあったエピソード「私が予約を間違えた時に、彼が怒ったこと」や、「山程お客様に頂いた甘栗をそのまま手技療法の治療家に渡すわけにはいかないと、硬い皮をむいて、人数分差し入れた話」をこぼしました。あり過ぎて皮付きのまま渡した分は「僕と〇〇先生で、食べてましたよ」など先輩方には冗談として笑ってもらえたような記憶です。 去年の春まで介護支援記録を書いていたことから、一言一言を記し事実と感情を客観的に振り返る習慣が自分の中に未だにあるのですが、改めて今、彼の言葉の奥にある優しさや気遣い=愛情とその「真逆の言葉との違い」について鮮明になる今日この頃です。 彼が望むものは何だろうか…ずっと考えました。 きっと「自分が尽くせる存在、自分の好意を認めてくれる人」であり、自然と出る優しさ=自分の存在価値を肯定されることで、安心や落ち着き、自信に繋がるのかと思いました。 まだまだ経験を積んでいる段階なので「失敗や弱点などのミスも受けとめてくれる存在」「必要に応じてより良くなるためのアドバイスや、別の視点からヒントをくれる人」が何より有難く映るのかとも…チームそのものが成長したい気持ちに満ちた風土なので、陰からありのままを包み込んで「疲れた時に休ませてくれる存在」がいれば「ひとりでにまた前進していく」そんな風に映りました。そしてそれは、私がかつて施術者として探求、観じていた理想と一致しました。 二人共「精神的な繋がり、思いやり」があればそれぞれが日常の目標・自己実現に向かって頑張れる。そんな絆に恵まれたこと、幸せに結びつくご縁をhasunohaが繋いでくれたことに深謝の限りです。

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周りから「寺社に行くな」と言われた

 いつもお世話になっております。  ここ数週間の間、寺社で立て続けに不審者に遭遇しています。 見つめられる、近寄ってこられる…  私は、色々な寺社で男性信者から性的な前兆事案に遭っています。 「前兆事案」とは、刑事用語で、「犯罪には至らないが、やったら おまわりさんに注意される行為」のことです。  たとえば、見つめる、声掛け、後をつける、触られるなどです。 もっと厳密な意味があるのでしょうが、私の解釈はこのような感じです。  近所のお寺にウォーキングに行っていたのですが、このお寺では 2回ほど不審者に見つめられました。他にも様々な寺社で不審者に 遭っていることをおまわりさんに告げると、 「辛いかもしれないけど、お寺にはもう行かないほうがいい」 と言われてしまいました。  仲良くしているおばあちゃんにも、 「なんであんたは、変な奴が来るってわかってる所に行くんだ。 大馬鹿三太郎のやることだよ」 と言われてしまいました。  結論、「お寺好きの友達と予定を合わせて一緒に行く」という ことになりましたが、友達は医療系専門学校に通っていて、多忙です。  おばあちゃんは、 「なんとか就職できれば」 と言ってくれたのですが、 「まだ先生から、訓練すら段階的にレベルを上げて、という話で、 就職なんてまだ先」 と言われたことを伝えました。  悪しき野心を抱いたケダモノたちのせいでお参りが できなくなってしまうのは、悲しいし悔しいです。  しかし、うちには浄土宗の仏壇があるので、それを大事にして いればいいのでしょうか。でも、私は寺社のあの雰囲気が好きです。  行けなくなるのは、本当に悔しいです。

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お寺の跡継ぎについて

田舎にあるお寺の娘です。 現在、父が住職をしていますが、現在跡継ぎ問題に直面しています。 うちは三姉妹で、両親は、いままでも私たち姉妹に寺を継ぐよう強く言ったことはなく、今回、両親が高齢になってきていることもあり、このタイミングでと思い、私から今後のお寺について相談?した際にも、「わたしたちが幸せになるのが一番だから」と、寺を閉じることも視野に入れて考えているようです。ですが、やはり話をしていると祖父母や代々寺を守ってきたご先祖様に申し訳ない、悲しいという気持ちも汲み取れます。お寺を閉じるという選択は、私にとっても心苦しいものでもあります。ですが、自分自身が出家して尼僧になり、後を継ぐという覚悟も決まっているわけではありません。。 ちなみに次女は結婚して家を出ており、長女は何度かお見合いもしましたがいままでは良いご縁がありませんでした。わたしは現在、一般の方と5年ほどお付き合いしており結婚も視野に入れていますが、私以外に望みがなく、私がお寺の後継者の方とご縁があれば、お別れすることも考えています。 現在の選択肢としては、 1.姉妹の誰かがうちのお寺を継いでくれるどなたかと結婚する 2.姉妹の誰かが出家し継ぐ 3.お寺を終う 上記のいずれかなのかと思います。 跡継ぎ紹介システムなど、検索してみましたが、よくわからず。。 また、父が言うにはうちのお寺は過疎地域にあり、経済的にもここを継ぎたいという人を見つけるのは難しいだろうと。。 確かにお寺だけでは収入は十分ではなく両親は他の仕事もしています。しかしお寺自体は歴史もあり、このまま閉じてしまうのは悲しいです。今後お寺を続けていくにしても、なにかお寺自体も盛り上げていく新しいやり方が必要なのかなと思います。 似たような境遇の方のお話や、跡継ぎ問題、過疎地域にあるお寺の存続問題など関してなにかアドバイスのある方がいらっしゃれば、お答えいただけると幸いです。よろしくお願いいたします。

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所属寺院は…

はじめまして、よろしくお願いします。 ある別院さんの納骨堂でお世話になっています。 今回、使用者名義の母が病気になりいろいろな事が難しくなったので、使用承継のお願いをしました。 書類と説明をしていただいたのですが、その際“所属寺の証明欄に必ずご記入いただく様お願いします”と言われました。 私は幼い頃からこちらの別院さんしかお参りしていないので、他にはない事や今は県外に住んでいる事を伝えると“決まりですので、どこか探してもらえませんか”と言われるばかりでした。 母が手続きをした時はどうしたのかと書類を確認していただいた所、“お母様も同じ様に言われたようで、その時特別に承諾したようですね。ですが今回は決まりですのでお願いします。こちらのお寺の名前を出してもらえばわかってらっしゃるので大体のお寺で記入してもらえるので。”と言われました。 今住んでいる県のお寺さんで探してみたのですが、夫の転勤が多く、居住地が定まらないのでご記入いただけませんでした。 書類と説明をしていただいたお寺さんの“うちのお寺の名前を…”の言葉を信じて、そのお寺さんもある県でも問い合わせしたのですが、“何日か行事に通っていただかないと記入する事は難しいですね”と言われてしました。 私がお願いにうかがうお寺さん選びが悪いのでしょうか。本当に困り果てています。 どうすれば書類に記入していただけるのでしょうか。 どうかお教えいただけませんでしょうか。 よろしくお願いします。

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檀家でない者が法要をお願いするのは

実家は真宗大谷派、私自身は現在実家から新幹線の距離の街に住んでおります。 父の死後、母と兄の私や家族に対する態度の豹変、虚言による中傷の為実家とは絶縁しています。 今年の夏、亡父の七回忌ですが、今住んでいる街で自分達だけの法要をしたいと思っております。ここ1年ほど近所の日蓮宗のお寺で写経会や行事に参加しており、事情を話しましたらご住職より快諾頂きました。 地方も宗派も違うので法要のお布施の額も全く分からず、街の仏具店で尋ねましたら、そもそも檀家でもないのに法要を行うのはその寺の檀家さんからすると義務を果たさず美味しいとこ取りともいえる、かなり図々しいことなのでお布施はこの程度はするべき、と実家の菩提寺の法要のお布施の2.5倍ほどの額を提示されました。そこまでは厳しいので多少躊躇しています。 お寺の写経会は本当にいいの?というくらいお金がかからないし、誘われるまま行事にも参加していましたが、やはり檀家さんからすると余所者がお寺を利用しているという認識もありかな、と思っております。 また、宗派も違うのに法要をお願いするのは常識外れなのではと今になって悶々としています。 住職さんは快く受けてくださいましたが、なら一層お布施くらいは高額納めるべきなのか? そして檀家でもない者が気軽にお寺を利用して良いものか。 助言くだされば有り難く存じます。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ