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死への感情を比較される

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先日、母方の祖父が亡くなり、お顔を見に父と隣に住む父方の祖父母とともに祖父の元へ向かいました。

祖父の顔を見て大泣きする私に、父方の祖母は「そんな悲しんじゃだめよ。あなたの従姉妹は小学生のときにお父さんが亡くなったんだよ?」と言いました。

父の兄は私が中学生、従姉妹が小学生のときに若くして亡くなりました。

私も従姉妹も一人っ子で、年もあまり離れていないことから、よく引き合いに出してくるのですが、祖父の遺体を前によくそんなこと言えるな、と今になってモヤモヤした気持ちというか、怒りがこみ上げてきました。

母はそんな祖父母に来てくれてありがとうと言ってました。私が母ならありがとうと言えない、と思ってしまいました。

隣同士だから嫌でも会ってしまいますが、一緒にいたくない、もう話したくないって思ってしまいます。
もともと父方の祖父母は私よりも同居してる従姉妹が好きって感じで、それが会話に滲み出てるのが苦手でした。反対に母方の祖父母は優しくて大好きです。

嫌な気持ちになったからこういう比較はやめてくれ、と直接言ってもいいんでしょうか。一時的な感情だと思うのですが、誰にも言えなくてモヤモヤしてしまい、質問させていただきました。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その意味不明な親切心はそれでも婆ちゃんなりの親切心

「その言葉の発せられた理由はその人をしてもっと良い心に向かわしめんとして発せられるものである。」 了叡禅師語録
家族や身内の間柄で発せられるコトバというものは、フツ―に聞くと「何言ってんだ?」と思われる言葉も飛び交っているものです。
それは家族だからなのです。田舎でみた事もない虫を発見してしまったようなものです。
家族という間柄故に遠慮がない。思ったことを何でも言ってイイ関係が家族・親族だからです。
「私が幼少期より、ずーーーーと父方のお婆ちゃんと毎日一緒にいたならば…」
もし、そうだったならばあなたはおばあちゃんの言葉の真意を正しく読み取ってくれたことでありましょう。
私の知り合いに口を開けば差別用語に近い💣爆弾を吐く人がいます。
ですが、私は坐禅・禅定の無私無我ビジョンでその人の話を聞いてみると、なるほどこの人はこの人なりにその相手をよくあらしめたいお気持ちがあってそういう言葉を口にするのであるなぁと感じました。
まぁ、それにしてもその言葉のチョイスのセンスの無さなんとかならんかとも思いましたが、わたしはそれを口にしないことを実践してしまったが為に、その御仁は相変わらず今日も世界のどこかで💣爆弾を吐いて山をフッ飛ばしたり、トンネルに穴を開けたりしていることでしょう。
おばあちゃんはおばあちゃんの角度で月をみてきたのです。
あなたはあなたの角度で月をみているのです。
同じお月様でも眺める時に角度や心情やその瞬間まで考えていた事などによってみえ方、映り方、感じ方、感想は人それぞれ違うもんです。人があなたに言ってくれる言葉というものはここの回答と同じように必ずしも、あなたの為ばかりにお膳立てされた言葉ばかりではないという事を、電車に揺られながら運転手さんが寝ない様に願いつつ、載せてくれてありがとうとか☀思いながら、おばあちゃんの意味不明な親切心にもちょっと感謝しましょう。👏🌷
電車で居眠りをしてしまった運転手さんはなぜ眠くなったのかについて問われた時に「暖かったから」だったそうです。もっともな理由ですね。世間は彼を非難するでしょうが、誰か一人くらい擁護する人がいなくてはいけません。そんな気持ちでそのおばあちゃんの意味不明な老婆親切心を受け止めてあげてください。
禅語【老婆親切心】をご検索ください。
お婆ちゃんに対する心の角度が変わるかもしれません。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

あなた自身が心を込めて供養すること

拝読させて頂きました。大変悲しみに打ちひしがれていらっしゃることですよね。
あなたのその大切な方を亡くされた悲しみを心からお察し申し上げます。
その様に言われても聞き流してください。
あなたが今もお向かいなさって心を込める方はお亡くなりになさったあなたにとって大切なお祖父様です。生きている方がとやかく言おうとも気にする必要はありません。

今ただ一向に一心にお祖父様にお向き合いなさり、様々な思い出を心からお伝えなさり、今まで有難いご縁を頂いたことを心から感謝して、そしてしっかりとお念仏おとなえなさってお祖父様が仏様に導かれていくことを見送ってあげてくださいね。

あなたのその真心は必ずや仏様やお祖父様に届きます。
そしてお祖父様は心から喜んでくださいます。
そしてこれからもお祖父様はかげひなたとなりあなたを守ってくださいます。正しく導いてくださいます。

どうか安心して心からこれからもお祖父様を思いご供養なさってくださいね。

あなたとお祖父様のご縁は誰に邪魔立てされることでもありません。永遠に深く繋がっているのですからね。

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おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。自分の気持ちを大切にしたいと改めて感じました。感じ方、考え方はやっぱり人それぞれなんですよね。小さなことに感謝の気持ちを持てるようにしたいと考えます。今日もモヤモヤすることがありました。しかし、この人はこういう人なんだ、と受け流せるようにしたいと思います。

ご回答いただきありがとうございました。少し気持ちが楽になりました。

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