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ノーと言えない、気の弱い性格で辛いです。

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昔からノーと言えない、気の弱い性格です。

苦手な人からの食事の誘いは、諦めて行ってしまう、誰もやりたがらない作業なども、諦めて引き受けてしまう。

自分でもよくわからないのですが、イエスノーを問われている時はまるで脅迫されてるかのような気持ちになり、「ここで引き受けなければ死ぬ!」みたいな感覚にとらわれます。

また、嘘が本当に下手なので、適当な理由をつけて穏便に断るのが出来ません。

そうやって断れなかった、断らなかった物事を目の前にして、「我慢していれば、時が経ってこの物事から解放されるから、とにかく我慢だ」と考えます。

そもそもはノーと言えない自分が引き起こしている事なのですが、辛いです。

勿論、本当は嫌だという気持ちは誰にも伝わっていないので、私が苦手と思っている人からはむしろ好かれていますし、誰もやりたがらない事はどんどん回ってきます。

大人になるにつれて「スケジュールが埋まっていて…」などの嘘で断る事を少しだけ覚えましたが、それでも食い下がってくる相手からは逃げきれません。

最近はあるおじいさんから軽めの性的いやがらせを受けましたが、その時にもただビビってしまってきちんと拒否反応をしめせませんでしたし、「我慢してとにかく時よ過ぎ去れー」と思ってました。

この件は幸い警察沙汰に出来たのでなんとかなりましたが、こんな事態の時にもノーと言えない自分にがっかりしました。30歳を目前にしてこの弱さ。

今までの人生で沢山嫌な思いをしているのに、何故私は嫌な事にノーと言えないんでしょう。

これ以上自分で自分を傷つけたくないので、気の弱い性格をどうにかしたいのですが、何かアドバイスを頂けたらと思います。

よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それってスゴイことです。

苦手な人には好かれている。

ということは、嫌と言えない性格のおかげで、どんどん自分の世界が広がっているということではないですか?

嫌と言えないから目の前にあることを通り過ぎるまで我慢する。

と言うことは、

嫌な仕事でも、我慢しながらでも全てこなしている。

と言うことです。

あなたは、自分の思っている以上に、何でも出来る人なのかもしれません。

嫌なことをするのは誰でも嫌なものです。
でも、それを嫌だからといって逃げて回る人があまりに多いのも事実です。

あなたは、嫌だけれどもやっている。
と思っているかもしれませんが、出来ないことはやれません。

もしかしたら、それらを通して、自分のやれることがどんどん増えているのではないですか?

自分では直したい性格と思っているかもしれませんが、周りの人から見れば頼めばやってくれる信頼出来る人と思われているかもしれません。

確かに「ノー」と断ることは必要ですが、断らなくても出来ることは、恐らくあなたの役に立っていることも多いのではないかと思います。

どうしてもダメなら、勇気を出して「ノー」と言ってみましょう。
その後のことを心配するのではなく、「ノー」と言えばいいだけです。

でも、その前に、あなたにとってどっちがプラスになるか、よく考えてから返事をして下さいね。

あなたの性格は、自分から見れば「損」な性格かもしれませんが、もしかしたら他の人にない「得(徳)」が隠されているかもしれませんよ。

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断りたい時は断る

ペぷちどさま

とてもお優しい性格のお方なのですね。気がよわいとおっしゃってますが、全てを引き受けるというのはすごい勇気だと思います。なかなかできることではありません。決して弱くはないです。

あなたは、周りにいる方にたいしこわいと感じていらっしゃるのでしょうか。そして、断った場合どうなるとお考えなのでしょうか。

断ったところで、あんがい何事もなく過ぎていきます。周りの方もそんなに気にしていない物です。そして、こわいなんてこともありません。よーく観察してみてください。全てご自分の心の中に、ご自分が根拠もなく作り上げているだけに過ぎません。
相手から感じていると思っている威圧感ですら、ご自分が作り上げているだけです。

あなたは、強く優しいかたです。そして、断った時に、何か困ることになるのであれば、その時、考えればいいじゃないですか。断りたい時は断る。その先を心配しても仕方ない。怖い人間なんていないもんですよ。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

もっと大事にすべきものを優先させましょう。

多分、嫌われたくないのでしょう。
それは、「人から良く思われたいこと」を優先しています。
人の心を求めても得るものなし、です。
たった数秒の迷いによって、数時間を無駄にしてしまうのもMottainaiでーす。
もっと優先すべきことは、自分の負担を無くす、自分の幸せ、自分の本心、自分らしさ、自分の尊厳。自分が望むように行動する。
あなたの尊厳の為にも、こっちを優先させましょう。

あとは上手に断るスキルを3つ4つは身につけましょう。
「ありがとうございます。せっかくなのですが、今日は田舎から身内が来ているもので…」
以下はジョークですが(笑)
「ありがとうございます。今日だけはどうしても、…私の信仰している宗教によりますと、頼まれごとを絶対に引き受けてはイケない日でして…」
「ありがとうございます。できればお手伝いさせて頂きたいのですが、今日は幼い頃に生き別れて地下室で鉄仮面をかぶらされながら幽閉生活を送っていた双子の妹と三十年ぶりに再会するので…、」
あまり、嘘が上手になってはいけません。(._.)
あくまで、自分の身を守るための方便的にライトにということです。
本当は、ちゃんと素直に断れるようになるのが望ましいですが、どうしてもできない時のリーサルウェポンです。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

ノーと言えないことは経験となる

ぺぷちどさん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺 觀音寺 中村太釈です。

ペプチドさんはノーと言えず、何でもやってしまう自分が嫌なのですね。

ペプチドさんがイエスかノーか、と聞かれると脅迫されているように感じるというのは私にも身に覚えがあります。ノーと言ってしまうと、自分がバカにされるのではないか、できないヤツだというレッテルを貼られるのではないかと恐れてしまうのですね。

ペプチドさんが、ノーと言わずにやってきたことは人生における大切な経験です。嫌な人と食事をすることは、誰でもできることではありません。誰もが嫌がる仕事を引き受けると、新しい発見をすることもあります。

しかし、性的な嫌がらせにははっきりとノーと言いましょう。ペプチドさんの身に危険が迫る可能性があります。

中村文昭氏は「頼まれごとは、試されごと」を心に秘めて無一文から成功しました。
ノーと言えないのも個性です。人が嫌がることでも引き受けてみましょう。

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おきもち

徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の月例法話の他に、地域の出張法話の依頼もあります。 出張法話で寺のある地域の特産品「梨」を紹介するので、「梨のおじゅっさん」として有名になりました。 ホームページ http://houwa-kanonji.com/

質問者からのお礼

邦元様

ご回答ありがとうございます。
仰る通り、誰に何をされたわけでもなく、ただ自分で怖がっているだけだなぁと思いました。

私が何かを断ることでこの世が終わるでもないし、私も死なないし、相手も死なないんですよね……良い意味で、力が抜けて楽な気分になりました!

小原観慈様

ご回答ありがとうございます。
確かに、色んな事を断れないまま過ごしてきたら、逆に色んな事が出来るようになった部分もあります。

嫌な気持ちばかりに目がいっていたので、その発想はなかったです。目からウロコでした!

丹下 覚元様

ご回答ありがとうございます。
仰る通り、私が感じている恐怖は人から嫌われるんじゃないかという恐怖なんだろうと思います。

こうやって自分以外の人にハッキリ言って頂けると、自分でも素直に認めやすくなるような気がします。ありがとうございます。

明らかにmottainai以外の何にもならない事については、上手に断れるように努力したいなと思いました。

「ありがとうございます。せっかくですが、事故で死んだ弟の変わりに幼馴染みを甲子園に連れていかないと行けないので…」

中村 太釈様

ご回答ありがとうございます。
ノーと言えないのを個性と考えた事がなく、そしてそのノーと言えない事に対して嫌と思っているのは自分ただ一人だなぁ、と思いました。

結局断らないのなら、嫌な気持ちを持ってる事が無駄なのかもしれないなぁ…とも考えました。

そこで頼まれごとは試されごと、という言葉が見えて、なるほどなぁと思いました。

明らかに関わらなくて良い事(犯罪など)はきちんとノーと言うとして、他の事については「嫌」という気持ちだけで判断しないようにしてみようと思います。

丹下 覚元様②

補足ありがとうございます。
冗談、心得ております。私のお礼が悪ノリが過ぎました、すみません。

かといって「貴方の事が苦手なので、ごめんなさい」の様な、無駄に角が立つ正直な返しも避けたいので、ノーと言う場面では落ち着いて考えて対応したいと思います。

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