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母のこと

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母のことで相談させてください。

母とは決して不仲ではありませんし、生活面や精神面でとても助けてもらっています。

ただ、親族や身近な人への愚痴や悪口が多く、毎日同じ内容を聞かされることが気になります。

大方内容は「自分だけが損な役回りをしている」ということです。

やめるように言っても「私だけが我慢するのは納得行かない」と言って喧嘩になることがあります。

母の苦労は分かるのですが愚痴や悪口で嫌な気持ちを掘り返すのはやめてほしいと思っています。

どのように接したらよいものか悩んでいます。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

毒気を吐いて元気になるタイプ

実はわたしもお母さまと似た傾向を持っています。
愚痴や毒を吐いて、自分を整えようとする傾向です。周りは、わたしの連れ合いは特に迷惑していると思います。
お坊さんと言っても、私の場合はとても弱いこころを持っています。頼りなくてすみません。

ここで私の反省を述べても仕方ありませんが、お母さまのご様子を私自身に重ねてしまいました。

愚痴や毒を吐く行為は、もちろんストレス発散なのですが、周りの同意を得たいという気持ちが半分。
「自分のモヤモヤを一緒になって頷いて欲しい。普段は口に出さないけれど、あなたなら、これだけ恨んで、悔やしい思いをしている私の気持ちに同調してくれるでしょ」
ということ。これは、あなたを心許せる、甘えられる存在だからこそとも言えます。
甘えられる身には迷惑なことですが、心許せる存在であることは、決して悪いことではないでしょう。

もう半分は、毒を吐いて自分を確かめ、省みるということです。私も、無自覚に、無反省に毒を吐いてスッキリする訳ではありません。出来れば悪口は言いたくないし、毒を吐けば、自己嫌悪にも陥ります。
それでも、どこかでガス抜きしたい、どこかで自分の毒を言葉や態度にして、自分自身でそれがいかに愚かなことかを確かめたいという欲求があります。

ただ、お母さまは、私が思い当たる2つの理由のうち、前者の気持ちが強いようです。
いわゆる自己承認欲求というものですが、周りに同調されたい、私を理解されたい、あるいは、私だけが理解されない、損をしている。周りはあんなにうまく世渡りしているのに、、、云々というやつです。

この狭い迷い道から抜け出すには、お母さんの不満の原因をそもそも解決する道を一緒に考える必要もあるでしょう。
まるで不当な理由からお母さんが愚痴をこぼすのではないのだと思います。
それなりの納得できる理由もあるでしょうから、お母さんには一度、いつもの周りを気分悪くさせる言葉ではなく、冷静な言葉を選んで、その不満や怒りの原因を話してくれるよう伝えてみてはいかがですか。

毒を吐いて自分を整えるタイプがいることももちろんですが、吐いたところでその元(原因)は無くならないのだとも、いつも自分に言い聞かせています。

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北海道の内陸にある浄土真宗の寺院を預かっています。法名(仏弟子の名前)、釋 真慧(しんえ)と申します。 私へのメール ichijoji@outlook.jp ウェブサイト http://tompe4.wixsite.com/ichijo-ji お寺のほか保育園/学童保育を運営、日々子どもたちと向き合っています。心身の障害や発達障害の子ども、ご家庭の困難などに丁寧に向き合っていくことを心掛けています。保育園はすべてベクレルフリー食を実践しています。

聞き流したらいかがでしょうか

多分、貴方様は娘だから安心して言っているんだと思いますよ。お母様も色々思うことがあるのでしょう。そして堪えておられるのでしょう。人間堪えてばかりはおられません。どこかで話をするなりガス抜きがいるのだと思います。その場が家なのだと思いますよ。

お母様のことを真剣に考え、その悩みや愚痴、悪口を真剣に受け止められているのでしょう。でも、貴方様もご自分の考えがあると思いますので、流されずに、自分の考えは自分でしっかりお持ちになって、お母様の言いたいことは聞き流してあげたらいかがですか。そうやね〜、うんうん。あ〜そ〜。等々。つまり話させるということですね。

言うことを止めろと言うと、多分お母様もはけ口がなくなっておもしろくなくなると思いますよ。仏教では不悪口戒というのがありますが、それは目安で考えてください。その人に直接言っているのではないのですから。貴方様もしんどくなったら、それは問題でしょうから、その時はその気持をお母様に言われるといかがでしょうか。

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相互礼拝 相互供養
対応できる時間帯は19時から22時です。資格は高野山真言宗阿闍梨(教師)、普通運転免許、防災管理者、英検準1級。

同調を求めているのではないでしょうか。

お母さんはあなたと盛り上がりたいのです。
ただ盛り上がり方がわからないのでしょう。
お母さんを誘って楽しい所に行くことです。
悪口より楽しいことは沢山あるでしょう。
まずはその負の連鎖、負の生活習慣を無くしてあげるためにも外に連れ出してあげたらどうでしょうか。
家の中で楽しめることを教えてあげましょう。
親の世代は親の世代でたのしかったことがあるはずです。
それを教えてもらいましょう。
お母さんにとって悪口より楽しいことを教えてもらう、ということを通して、悪口を離れさせてあげるのです。
それを教えている時のお母さんは悪口を離れていることでありましょう。
w(._. )w
お母さんの目的は悪口ではなく、あなたと何かを共有して楽しみたいというだけであると思います。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

卓阿さま

回答ありがとうございました。
今日も愚痴を聞かされましたが案外つれない返事をしても母は気にならないようで喋るだけ喋ったら自然に愚痴が終わりました。
愚痴を聞くのがしんどくなったらうまく受け流していきたいと思います。

真慧さま

回答ありがとうございました。
愚痴自体は誰しも出るものなのである程度は仕方ないと私も思います。
ただ母はちょっと愚痴が多いので気持ちに余裕がある時に母の不満の根源を探りつつ、何か1つでも肩代わりできることがないか考えてみます。

丹下覚元さま

回答ありがとうございました。
そういえば家族旅行というものを何年もしていませんでした。母と2人で出掛けるということも1年以上なかった気がします。
たまには2人で外食してみようかなと思いました。

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