hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

仏教と宗教

回答数回答 5
有り難し有り難し 75

仏教と宗教はどう違うのですか?

宜しくお願い致します。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏教とは、絶対的な世界観(宗教)の一つの見方

「宗教の自由」という言葉があるように、宗教とは極めて個人的な事柄です。したがって、私の答えも極めて個人的な見解とし受け止めていただければと思います。

宗教と言っても、様々な分類がなされますが、仏教やキリスト教などの宗教は、私たちの人生に意味付けをするものだと言えます。現代社会は、一見、科学万能主義的に見えますが、科学は私たちの生き方(人生に対する価値観)を問うことは出来ません。それは科学は相対化された世界を分析することは出来ても、相対化されえない、つまり、他者・他の物事との比較によらない、自分自身に問いかけられた問い(「自分はどう生きていくのか。」)には答えることは出来ないからです。私たちの生き方(人生に対する価値観)を問うとは、私たちの人生に意味を見出すことです。それは決して相対化された世界観ではなく、絶対的な、どのような場所、時間(時代)においても適応できる普遍的なものでなければならないのです。ある人は、科学も普遍的な真理を扱っていると言うかもしれません。しかし、たとえば、水はH2Oだと言っても、H(水素)とO(酸素)がないところでは水は出来ません。太陽は東から昇り西に沈む、と言っても、太陽は永遠に存在する星ではありません。いずれは消滅してしまうものです。また東、西もまさに相対的な認識です。このような相対的な世界に自分自身の生き方を見出すことは、不安定な世界に身を置くことに等しいのです。ですから、人は絶対的な世界を求め、宗教を生み出したのです。

そのような宗教の一つが、仏教です。仏教は「私たちから人生の苦しみを取り除くために、この世界のものはどう在るのかを考察し、そこに我々の生き方(人生に対する価値観)が明らかにされてくる世界」として、この世界を捉えています。つまり、仏教において、この世界が縁起・無自性・空の世界であると説かれる時、「私たちから人生の苦しみを取り除くためには、私たちは物事に対して、無執着でなければいけない。」という、私たちの生き方(人生に対する価値観)に問いかけてくる世界が開けてくるのです。

以上が私の回答です。ご参考になさってください。

{{count}}
有り難し
おきもち


hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
このお坊さんを応援する

宗教とは、宗とする教え

正誤はさておき、一般の方が思い描く宗教とは、絶対的な教祖がいて、その教えに盲目的に追随するものかもしれません。その考えと仏教は確かに異なります。ですから、仏教をあえてカテゴライズすれば哲学だと言う学者もおります。

英語のRELIGION(宗教)は、「神の国を追放された人間が、再び(RE)その地と繋がるためのもの」が原意だと聞きますので、その意味でも仏教はRELIGIONとは異なります。

しかし、日本語の宗教とは、宗となる、宗とすべき教えです。その人の日々の生活の規範とすべきものですから、仏教はやはり宗教の一つです。よく、拝金主義の人を「お金教」とか、ワンマンな指導者を「(その人の名前)教」などと呼びますが、そういった名前の付け方が、日本的な宗教に対する考えに、近いと思います。

{{count}}
有り難し
おきもち


住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...
このお坊さんを応援する

教えそのものが宗教

どんな意味でお知りになりたいかは解りませんが、教え(教義)という意味と、それを信仰する集団(教団)という二種類の捉え方があります。

一般的には、その元となる教えとそれを信仰する集団(教団)の両方を含めて宗教と呼びます。

ですから、仏教も、キリスト教も、イスラム教も、神道も、あのオー○真理教さえも、大きな意味で言えばすべて宗教です。

しかし、仏教もキリスト教他の教えも、各々が同じ信仰を持って集まったものが形になったというだけのことであって、外からそれを見た時に「この教義を信仰して、ここに集まっているから○○教(○○宗)」と言って、分類するために「宗教」という言葉が使われていると言うに過ぎません。

教団(団体)という形で考えるなら
形をなせば宗教
形をなさなければ信仰
ということでしょうか?

日本では、一定の期間、不特定多数の信者を擁して宗教的活動をしていると認定された団体を「宗教法人」として、それを総称して宗教に位置づけています。

ですから、宗教団体としては、古くからある伝統的な宗教と、昨今の「人集め,お金集め」を目的とするかのような宗教や、カルト的な宗教とは、確実に一線を画す部分があることは確かですね。

ただし、厳密な意味で宗教とは?いうならば、教団よりも教えの方にウエイトが移行します。

その信仰に集う人たちが、どのような教義を元に信仰しているか、それを分類する言葉を宗教と呼ぶのでしょう。

私たちは、お釈迦様の教えを信仰して、仏教という宗教に属しているわけですね。

{{count}}
有り難し
おきもち


仏教は宗教の一つ。

1962tronさん、ご質問ありがとうございます。

宗教にはいろいろありますが、(たとえばキリスト教や神道など)
その一つに仏教がある、というのが一般的な答えになるでしょうね。

仏教と宗教の違いとのご質問ですが、そういう観点からだと、
仏教は宗教の一つですから、他の宗教との違いということでしょうか。

思いつくままに ですが。
キリスト教などの一神教とは違って、お釈迦様はたくさんの仏が存在し、
その仏はお釈迦様がお生まれになるずっと以前からおいでであった。

その仏の教えに気づき、体得され、その教えを広く広められたのがお釈迦様であり、
一種の宇宙観であると言ってもよいのでしょう。

{{count}}
有り難し
おきもち


カテゴリー

宗教と仏教はカテゴリーです。
大雑把に言って信仰があり何かに祈る行為が宗教でその中で釈尊の教えを信仰しているのが仏教と考えて差し支えないと思います。

{{count}}
有り難し
おきもち


私は日蓮宗 今治 寺町法華寺の住職をしております讃岐英昌(サヌキ エイショ...
このお坊さんを応援する

「宗教について」問答一覧

どう解釈したら楽になれるでしょうか?

あまり熱心でも無いカトリックの家です。 数年前にヒルティと言う偉人の著書、幸福論を読んで感銘を受けました。只その中に、書物や人との出会いは神の導き、と言う言葉があり、私の知らない宗教の神秘があるのかと信じてしまいました。導きは、タイミングとか、困難が取り除かれるとか、不思議な事が起こる、と書かれていました。 当時出会った女性が、その人!だと、内心はタイプでは無かったですが、自分の内心にも気付かず結婚。でもすぐに苦しくなり、一年で離婚、彼女は嘆き悲しみました。愛してくれていたので。彼女の気持ちが分かるから私も非常に辛かったです。以来4年半経ちますが、離婚した事が神に逆らった様な気がして苦しんでいます。 人との出会いが神の導きでは無いと頭では今は思っていますが、内心がまだそうは思ってないみたいです。神が何故こんな事をしたんだろうと悩んでいます。神は優しい筈なのに、彼女もあんなに号泣して、私も苦しんで。神に救いを求めようと思いますが、発端が神の導き、なので、それも出来ず、、逆に神に腹が立ちそうな、疑念が出来てしまいました。どう解釈したら、楽になるのかなぁ、、偉人のヒルティや古代からのキリスト教の中に間違った教えが含まれてる、と言う事だとは思うのですが、本では繰り返し信仰の重要性を書いていたので、、良い事も沢山書いていましたが、洗脳されてしまいました涙 彼女との結婚、離婚に何か意味があったのでしょうか。彼女が今はどうしてるか知りませんが、2年間はラインが来ていました。辛そうでした。彼女と結婚、離婚して何か良い事があったとは思えなくて。彼女の犠牲を代償に何も欲しくなかったし。神様ひどい、と思ってしまいます。何か意味があったのかなぁ。何卒宜しくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 17
回答数回答 1

我々だけが正しい?

へタな日本語はすみません。日本住んでいるアメリカ人です。 アブラハム系の信仰は「排他主義」だとよく言われます。例えば、多くのクリスチャンやイスラム教徒は、"自分たちだけが正しい。他の宗教の信者は永遠に地獄に落ちる" と考えています。これは公式の教義です。 中世キリスト教の十字軍、イスラム教のジハード、「異端者」の殺害、「魔女」の焼却、「異教徒」の強制改宗など : 西洋の歴史では宗教的暴力はよく見られます。このような暴力は、アジアの歴史に、欧米に比べてめずらしいだと思います。 アブラハムの「排他主義」のせいで、私は家族が信仰するキリスト教に嫌悪感を抱くようになりました。"道徳的な神は、不信者を永遠に地獄で焼かせるようなことはしない"と思った, 子供ときから。 仏教に興味を持ち始めたのは、仏教の方が洗練されていると感じたからです。仏教の方が洗練されていて、心が広く感じられたからです。慈悲深い感じがしたからです。仏教の「方便」という考え方は、真理への道がいくつもあるということですよね。 しかし、日本の仏教にも若干の「排他主義」があるのではないでしょうか?例えば、親鸞上人は「このひどい時代には念仏だけは適切です」と考えていたそうですね。 日蓮上人の「四箇格言」は、他の宗派に対して特に批判的なようです: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%AE%87%E6%A0%BC%E8%A8%80 私は親鸞聖人も日蓮上人も深く尊敬していますが、彼らの信者はお互いに尊敬し合えるのでしょうか? では、21世紀はどうだろう。日本の宗派は調和しているのか、それとも「排他主義」による緊張感があるのか。 親鸞聖人と日蓮上人の両方の書物を愛読することは許されるのでしょうか?どちらの説も、透き通った真実を見ているような気がします。私は、真言宗と天台宗の思想も大好。一方だけを選ぶことは必要でしょうか? 心がズタズタに引き裂かれるような感覚です。

有り難し有り難し 41
回答数回答 2

宗教の両立

実は僕、キリスト教の高校への進学が決まりました。志望校なのでそれはうれしい事間違いないです。 しかし、僕は仏教なだけにキリスト教系の高校に進学後、どうしてもキリスト様やマリア様がいると信じます。 でもそれは仏教の教えに違反しているっぽく、曖昧な気持ちになってしまい、まるで仏様や仏教関係の事を裏切ってしまったとみなされて、死後地獄行きかな?と思いました。 昔はキリスト教の禁止があったため、今もキリスト教を信じるのは厳禁なのですか?でもこれから崇拝も経験になりますし、賛美歌も合唱しますし、聖書も持つ事にもなりますので仏様やのの様、阿弥陀様、そしてその他の神仏様方には大変申し訳ない事ですがどうしても通る道になります。 でもそこで「宗教の両立」は可能なのか?と思うしかありませんでした(本当にあるのかな?と) もしそうだとしたら、僕は仏様とキリスト様はどっちもいると思います。 なぜなら、キリスト教は恐ろしい事に、神の存在を信じなければ恐ろしい事がまっているためです。それはそれで困るのでどっちも信じます。(つまり仏教とキリスト教はどっちも存在すると) でもそれでまた間違った考えを持った罪で地獄行き…(実際にそのような地獄は調べたら出てきました。) 「邪教を信じてはいけない」みたいな事が書かれていたのですが、キリスト教もその一つなのでしょうか? どっちみち「宗教の両立」も無意味なのでしょうか。 果たして、キリスト教を崇拝し、賛美歌も歌っただけでも大きな罪なのでしょうか? 改めまして、仏教とキリスト教は、宗教の自由だけどなるべく両立したほうがよいのでしょうか?ご回答お願いいたします。

有り難し有り難し 48
回答数回答 3

先祖からの因縁で不幸になるのか

13年前に子供が病気になったときある宗教に出会いました。先祖からの因縁を浄めるためおせがきやお護魔をすること、他の人を入信させて育てることで因縁が浄められる、得ずみのためにお布施をするというかんじでした。10年一生懸命信じてきました。でもその娘がまた乳癌になってしまいました。その前も今回も先祖の因縁といわれおせがきとお護魔とお布施をすすめられ入信させた人にもっと精進してもらえば娘が救われると言われました。癌のショック、高額な治療費を考えるとそんなお金でません。信じて信仰してきたのですが、なんについてもお金がかかることや、自分が助かるのに他の人が精進しなければならないのかと疑問が沸いてしまいました。でも先祖の因縁でこれ以上娘が辛いおもいをするのかと恐怖があり、この信仰をやめて何かあったらどうしようと怯えもあります。その信仰は霊能者がいてみてもらうのですが、内容は何でわかるのか?と思う内容なのでそれで信じてしまいました。教えの内容も他のために行動することや、真言宗の阿闍梨が教主なのでちゃんとした仏教で嫌な感じではありませんでした。信者のかたもみなさん優しい方ばかりです。 他の宗教は知らないので仏教はどうなのか解りませんが、本当に先祖からの因縁で不幸になるのでしょうか?

有り難し有り難し 65
回答数回答 3

生霊や神様仏様のお力について

よろしくお願い致します。初めての質問で兄の相談をさせて頂きました。 兄はアルコール依存で鬱の疑い、飲酒運転の果ての接触事故、そして兄に対する母の言動で私は精神的に不安定でした。 俳優さんの自死から私の中にもそのような感情が芽生えてしまったこともありました。 表では笑って人を励ましているのに、その感情と並行するように闇がありました。 しかし、これではいけない、楽しい事をしようと母と京都旅行をする事になり、お寺や仏様・神様などを調べているうちに、神様・仏様がどのような力を持っているのかを知りました。 ---- 頭がおかしいと思われるかもしれませんが、兄には生霊が憑いている気がしてお祓いについて真剣に調べました。 「突然背中を強く叩く」というものがあり、不意を突いて兄に実行しました。 兄は驚いていましたが、表情が変わった気がしました。 次の日に、不動明王様の事を知り、お力を借りようと兄が仕事に出かけた後、部屋の前で「これは兄の言葉としてお聞きください」と真言を何度も唱えました。 すると帰宅した兄が、珍しく「温泉いきたい」と出かけ「さっぱりした」と帰ってきました。 数年続いた鬱蒼とした雰囲気とは何か違うように感じ、不動明王様に感謝しました。 それから毎日私は、「全ての神様、仏様、一日宜しくお願いします」「本日も有難うございました」と挨拶をしています。 その中でも、とりわけ話を聞いてほしい神様や仏様の名前を呼ぶのですが、毎日変わる事もあります。 しかし、沢山の神様や仏様をその時の気分で信仰するのはいけないのでしょうか? 一番お慕いしている神様(または仏様)を信仰したほうが良いのでしょうか? 私は先祖のお墓があるお寺の宗派も知らないし、両親は新興宗教に所属しており、お仏壇にはその宗教のお経を唱えています。 私というと、3年前から安井金毘羅宮にお祀りされている崇徳天皇に惹かれ不思議なことが重なり、崇徳天皇がお傍にいるように感じお慕いしています。 怨霊として恐れられていますが、私にはそのような方には思えません。 また、生霊・悪霊は本当にいるのでしょうか?霊感がないので、除霊などできるはずがないですし、それでも、毎日兄や家族の為に神様に挨拶をすることや真言を唱える事を続けた方がいいでしょうか? 読みづらい文章で申し訳ありません。 宜しくお願いいたします。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る

仏教駆け込み寺 自殺防止・DV・虐待・鬱 相談窓口のご案内
hasunoha YouTubeリスト 回答層YouTuberのまとめ

関連コンテンツ

縁切り供養寺大法寺