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お恥ずかしいことをお聞きしますが、

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お恥ずかしいことをお聞きしますが、
先日祖母が亡くなったのですが、逮夜ごとにお坊さんにお経をあげてもらうのですか?
そこの、お寺の住職さんには逮夜は私たちだけでやるので、住職さんは最後の35日に来て下さいとお伝えしているのですが、そこの、お寺の住職さんから、逮夜をしないと、あなたたちに大変なことがおきると、言われたと喪主から連絡があったみたいです。そして次の逮夜は行きますと言われたとみたいですが、この場合どうしたらいいのでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

御住職と話し合いを。逮夜(忌中)参りは大切です。

べんさん、初めまして。

葬儀の際に聞かれたかもしれませんが、死者は亡くなった日(命日)に生の世界を出発し、死者の世界、仏の世界へと旅立ちます。
亡くなった日から七・七日(四十九日)の期間をかけて旅をし四十九日(or三ヶ月にまたぐ場合は三十五日)の法要(仕上げ法要)にて無事に仏様の世界に到着されます。その間、遺族は白木の位牌で亡くなられた方を供養し、僧侶が七日ごとに御宅へ参上し読経供養します。
七日ごとのお参り(忌中、逮夜、中陰)参りなど呼び方は様々ですが大切なお参りです。
逮夜(たいや)とは前夜祭、イブ的なニュアンスで古来より法要の当日0時を迎える日付の変わる前から集まって供養しており、現在は一日繰り上げ前日に参ることで逮夜参りとしました。

七日ごとのお参りは省略される寺院もありますが、本来この期間は葬式で成仏が確定した死者が迷わず無事に仏様の世界に到達できるように応援する期間でもあり、死者が仏様と出会い修行する期間でもあります。特に真言宗では七日ごとに様々な仏様に出会い教えを受け導かれるとされています。残された遺族にとっても葬儀という非日常から日常の生活へ戻る過程の一助となり実際に供養する習慣を身につける練習期間でもあります。

私の寺院では必ず行います。喪主や家族が日中家にいない場合は夜にお参りしたり、事情がある場合はお寺で白木の位牌を預かり供養します。

今回、お寺の住職からの言葉で戸惑われていることもあるでしょうが、基本的に葬儀をお任せした以上、ご住職のご指導には従うようにしてください。
もちろん、質問したり、疑問をぶつけるのは構いませんし、どうしても事情があり七日ごとのお参りを断りたいのであれば、その理由もお伝えしてご相談してみてください。
ケースバイケースに対応されると思います。
ですが、一方的に自分たちで行うから三十五日まで来なくていいと言うのは供養、拝むことのプロである僧侶に対して非常に失礼かつ道理の通らないことでもあります。路線バスに乗りながら、停まる予定のバス停を飛ばして自分の目的地に連れて行くようバスの運転手さんにお願いするようなもの。

この先の仕上げ法要や納骨など供養を続ける上で障害となりかねません。
次回その御住職が来られる際にぜひ話し合われてください。

御祖母様の追福菩提を祈念し回答とさせていただきます。
合掌(^人^)

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未だ愚迷凡夫の身ではありますが、皆様の一助になるようなお答えができれば幸い...
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御住職「その意味」をお聞き下さい。

ウチの寺は、初七日を終えた後、35日もしくは49日まで、二七日、三七日・・・と一週間ごとにお参りに行っていました。
ちなみにウチは逮夜という呼び方をしていません。

逮夜という呼び方が主流のような気がしますが。

しかし最近、4~5年前くらいからでしょうか?
急激に逮夜にお参りすることが無くなりました。

ウチは兵庫県尼崎市です。

流れとしては、葬儀の後、ご遺体を荼毘に付し、収骨が終わり葬儀会館で初七日のお勤めをします。
その後は一週間後とにお参りに行くことになるのですが・・・
遺族で弔うので、次は35日に来てくださいとお願いされます。

割合的には95%くらいです。

私はお願いされた以上、ご遺族の要望に従いますが。

でも、宗派・地域・御住職の在り方で違いが生じてるのが現状でしょう。

御住職がお参りにどうしても来られるとおっしゃる以上、お呼びされてはいかがでしょうか。
そして次、逮夜に来られた時、大変な事が起こる理由を、納得のいくまで聞かれて下さい。
明確なお答えを求めて下さい。

喪主さんが納得されればそれでいいのです。

以前は失礼だ、恐れ多いとの理由で、御住職の言われるがままでしたが、今はどんどん質問されても結構です。

私も先代の時代とは違い、突っ込んだところまで質問されます。

大変な事ってなんだろう?
少なくとも私は疑問に思いますが....

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時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいっ...
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なぜ七日毎、あるいは一周忌等にお坊さんや親族や家族が集まり供養するのか。
浄土宗では、命が尽きるとすぐに阿弥陀様に極楽浄土に連れて行ってもらえると信じています。ですから、亡き人の為に集まる必要は必ずしもありません。(もちろん供養することは意味がありますが。)
それよりも、後に遺されたご遺族の為に、親族達が何気ない会話で励ましたり、お坊さんが説法をして励ましたりすることの方が大切だと思います。
しかし今は親族、家族が遠く離れて住んでいたり忙しかったりで、省略することが多いです。
私も繰り上げ初七日と四十九日のみがほとんどです。

住職がどの様な意味で大変なことになると言われたのかは分かりません。
ですが、供養してくれるのなら、あるいは説法してくれるのなら、お願いしてもいいと思いますよ。もし、お布施が気になる様でしたら減額してもいいと思いますよ。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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「葬儀」問答一覧

海外からの祖父の葬儀参加について

先週に私の祖父が逝去したと妹より一報がありました。 今週末に予定されている祖父の葬儀への参加に悩んでいます。 きちんと見送ってあげたい気持ちがあるのですが、正直なところ複数の理由から、参加を見送ろうかと悩んでいます。 私は初孫だったので特に可愛がってもらったと思います。今でも小さかった時の祖父との思い出が記憶にあり涙が出ます。大人になってからは頻繁に会いに行ってあげられていなかったので、薄情な孫であったことが申し訳ないです。 悩む理由の一つとして、私が今現在海外在住(日本へのフライト時間が半日以上かかる場所)であることです。帰ろうと思えば帰れなくはないのですが、既に一ヶ月後に一時帰国を予定しておりその予定はキャンセルできないため、葬儀の2日間のためにフライトチケットを手配して行くことになります。 帰るなら早急にチケット手配や荷造り等をしなければいけないので、迷う時間も限られています。 また、参加できたとしても直後に家族での遠方への旅行を予定しているために、また帰ってすぐに長距離移動をすることになり精神的・体力的に厳しそうだなと憂慮しています。 もう一つの理由として、私が毒親である両親との縁を一方的に断っているため、もし葬儀に参加できたとしても精神的に受けつけない両親と顔を合わせ言葉を交わすことになることが恐怖に感じています。 (体調が悪くなる可能性があります。) きちんと祖父を送ってあげることに集中したいのですが、夫は仕事の都合で帰国しての参加が難しく、妹も仕事の都合で欠席予定となり、孤立してしまうので、精神的安全がなく、親戚への気遣いも必要な場ではかなりしんどいのではと危惧しています。 こういったときの常識がないため、色々調べ、花が好きだった祖父へ、せめてもの供花を妹夫婦と私夫婦で贈ろうかと考えています。 香典は海外からは送れないため、後日の一時帰国の際に連絡の取れそうな叔母に手渡ししようかと思っています。 (おそらく喪主は長子の父親かと思いますが、一番祖父母のケアをしているのは近くに住む叔母で、話の分かる優しい方です。) 今更ですが、きっと気落ちしている祖母にも声をかけに会いに行ってあげたいです。 帰れるのに帰らないのは、卑怯でしょうか。 欠席の場合、供花を贈るだけでは祖父に失礼にあたるでしょうか。 最後まで言い訳がましい孫で祖父には申し訳ない限りです。

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祖父の葬儀での出来事

先日祖父が亡くなり、生前からの祖父の意向もあり、家族のみ参列し、所謂直葬を執り行いました。 無宗教ということと、以前身内の葬儀の際にお坊さんの振る舞いについてとても嫌な思いをしたことがあったようで、それ以来自分が死んだら戒名もお経もいらないから家族だけで見送って欲しいとのことでした。 祖父の希望通りに直葬を執り行ったのですが、せめて火葬場ではお経を1回くらい読んで貰った方がいいのではないか、と親族の一人から声が上がり、じゃあそうしようということで、その際お世話になっていた葬儀屋さんに相談し、お坊さんを手配して下さるとのことで火葬の前に読経していただけることになりました。 お経が始まり、喪主である祖母がまず焼香し、それに続いて参列者が順番に焼香を行っていたのですが、一人ずつではなく三人ずつ焼香を行って欲しかったようで、お坊さんが読経中ですが参列者のいる後ろを振り返り、すごい目付きで睨んできました。 確かに焼香台は三つありましたが、特に何も言われなかったため、喪主に続き一人ずつ焼香を行っていました。 お坊さんの様子に気付いた火葬場の職員の方が、三人ずつどうぞと声をかけてくださったのですが、その間も時折こちらを睨みつけるように見ており、更には肩を竦めため息を吐いていました。 あまりの出来事に唖然としたと同時に頭にカッと血が登り、動悸が激しくなりました。 そのくらいの衝撃を受けました。 そのお坊さんにとっては数ある内の一つかもしれませんが、私たち遺族にとってはそうではありません。 大切な祖父を侮辱されたようでとても腹が立つと同時に悲しくて仕方ありません。 祖母も気付いており悲しがっていました。 こんなことなら祖父の言葉通り、読経してもらうべきでは無かったと後悔しております。 そのお坊さんへのお布施は一万円お渡ししましたが、お金さえ貰えれば後はどうでもいいのでしょうか? 腹の中で何を思ってようが自由ですが、それを表に出さないようたった数分も我慢できないのでしょうか、それが不思議でなりません。 上記したように、以前にもお坊さんのことで嫌な思いをしたことがあり、それに今回のこともあり、もちろんそんな事はないと分かってはいるのですが、こんな人ばかりなのですか? また、この悔しい気持ちの落ち着け方が分かりません。 アドバイスいただきたいです。 よろしくお願いいたします。

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母の葬儀を神式でやりたい父を理解出来ない

2月5日に、母がガンで他界しました。まだ60代の若さでした。今、悲しみと喪失感に暮れて居ます。 そんな中でも、葬儀の準備を進めなければなりません。我が家は、代々仏教式での葬儀を行なって来ました。 しかし、何故か父が神道式にしたいと言い出したのです。 ちなみに、父は特別神道を崇拝している訳でも無く知識もほとんどありません。 神式では、代々のお墓に遺骨を入れられません。魂も輪廻転生の輪に入れず、神棚に奉られる状態になると聴きました。 私は、生前散々苦労して来た母を、極楽浄土に送りたかったのです。 生まれ変わって、来世こそは、苦労無く、幸せな人生を送って欲しい。 しかし、神式では嫌な思い出ばかりが残る我が家に、魂を縛りつける事になるのでは無いかと心配しています。 父が私に相談も無しに依頼した葬儀屋さんも、神式葬儀の事例はほとんど無く、儀式なども曖昧に形だけやっている状態です。 母の亡骸は、まだ自宅に安置されています。枕直しの儀に必要な小刀などを担当の方が置いてくれました。 しかし、刀の置く向きが違います。葬儀屋さんのスタッフさん側に、神式の知識が無いのです。 用意出来る祭壇も小さく質素で、どうにも必要な用具が足りていません。これでは、あまりにも可哀想です。 まさか、お葬式の件で父とケンカをするとは思いませんでした。 どうしても神式で葬儀を行いたいのであれば、そこは仕方がありません。 ですが、せめて今の葬儀屋さんをキャンセルして、神式の儀式に詳しい、専門の葬儀屋さんに変えて貰いたいのです。 枕直しの儀を取り行ってしまった後のキャンセルは、失礼に当たるので出来ないのでしょうか…。 逆に、儀式をしたにも関わらず、別の葬儀屋さんで2度目の儀式を取り行う事は、 母の魂が迷ってしまったりなどの影響があるのでしょうか…。 葬儀業者をキャンセルして切り替えた経験のある方。 そして、数多くの魂を送って来られた、お坊様。 もう時間がありません。何卒、救いの手を差し伸べて戴けます様、お願い申し上げます。 大切な母親が人生の最後に、主役になれる日が葬儀だと考えています。 とびきり美しく、良いお式だったと言って戴ける様なものにしたい。私が出来る、最後の親孝行です。

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檀家総代について

先日父方の祖父が亡くなり、週末にかけて葬儀等を済ませたのですが 実は父が檀家総代をしているお寺の住職の母親の四十九日が祖父のお通夜と告別式が終わった次の日にあり 父は間もなくその手伝いに向かいました。 亡くなる1ヶ月前から祖父は施設のベッドから落ちて大腿骨を骨折したのちに入院と手術をしていたのですが その際はちょうど住職の母親が亡くなったあたりのタイミングだったため 本来であれば医師からの説明のためずっと病院に居なければならないはずが 檀家総代であるという理由から葬儀をまとめなければならず あまりそばに居ることができないような状況でした 「なんとかして祖父のそばに居てやれないものか」と言っても 父は「俺が葬儀のまとめをやらなければいけない」と返され聞き入れてもらえませんでした その時でも色々と疑問に思うことはありましたが まだ祖父は生きている状態だったので とりあえずはあまり口を出さずにいました でもなんだか今回は話が違うような気がするのです 昔からお世話になっているお寺なので 色々と感謝することがあるのは間違いなく 手伝う義務のようなものがあるのは十分理解しているつもりなのですが 身内の、しかも自分の親を見送るという時に葬儀から荼毘まで最低限のことだけして それが過ぎたあとは先にひかえている他人の葬儀を優先的にまとめるというのは なんだか祖父をないがしろにしているような感じに見えてしまってわたしは納得できません。 せめて四十九日までは自分の親のために集中できないものなのかと ただでさえ葬儀の前も後も大変だというのに… 檀家総代というのは、大切な家族の時間を犠牲にしてまでこなさなければならないものなのでしょうか? 本人に言っても、まわりに相談しても 「仕方がないことだから」と言われて終わってしまいます。 自分の行いは大なり小なり必ず自分にかえってくるものです もし自分があの世に行くときでも同じようにないがしろにされても良いということなんでしょうか。 あまりに薄情な気がしてなりません。。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ