私でも瞑想はできるのでしょうか
瞑想はほんとうに
誰でもできるのでしょうか。
私は昔から
はっきりした病名はないですが
体がちぎれるんじゃないかと思うくらいの痛みに悩んでいます。足が地につかない感覚があります。
でも、そんなときに
リラックスしよう
深呼吸しようと言われると
腹が立ってきます。
深呼吸?!どうやってこの痛みの中でしろっていうんだよと痛みに堪えるのに必死で
そんな言葉を言われると
イライラしてしまいます。
そして
リラックスって一体なんでしょう。
リラックスがわかりません。
瞑想は体が柔らかくて、
健康で、
心の余裕がある人じゃないと
できないものではないでしょうか。
体がガチガチで苦しくてたまらないときに、
そんな時こそ瞑想をと言われますが、
そんなときに瞑想なんてできないのではないでしょうか。
それでも
瞑想はできるものでしょうか。
どっちでしょうか
私の甘えでしょうか。
教えてください
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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リラックスではなく観察すること
ゆりかごさん
身体がちぎれるんじゃないかと思うくらいの痛みで足が地につかない感覚ってとても大変ではないですか。病名なしではがまんするしかないのでしょうか・・・そちらの方が心配になりました。
そんな状態で深呼吸と言われたら確かに腹も立ちます、イライラもするでしょう。それほどに痛いときは呼吸も浅く早くなっているし不規則になっているはずです。それは痛みという緊急時の生理的な反応なので、深呼吸をしろというのは理に適っていないのです。
瞑想はリラックスというイメージがありますが、ほんらいの仏教の瞑想はリラクゼーションとはちょっと違います。痛みで苦しいときは、痛みに「気づく」ということです。ふつうはそこで「痛い、大変だ!」「嫌だ、どうしよう!」と反応してしまうので、さらに苦しみが大きくなります。
落ち着いて いま自分の身体に何が起きているのか、何を経験しているのか観察します。その観察がしっかりできると、たいていの物事は自然に変化して消えていきます。あわてず、落ち着いてよく観ることで自然に正しい対処の仕方がわかります。その結果としてリラックスするということにはなります。リラックスしようリラックスしようと思ったら、心理的な反応として逆に緊張してしまいます。
ただし、呼吸を調えることで心も調うし、心が調うと身体も調っていきます。痛みがあってイライラしていて呼吸が速いと気づいたら、深呼吸ではなくて、少しだけゆっくり深めの呼吸で吐くことに意識を向けてみてください。呼吸は鼻でしてください。そして、自分がイライラしているという「感情」にも気づいてください。そうすると少しは落ち着いた感じがするのではないでしょうか。
瞑想は座って目をつぶりじっと静かにしているというイメージだったかもしれませが、瞑想はどんなところでもどんな状態でもできるものです。
1日5分・・・それが難しければ3分・・・それも難しければ1分・・・30秒でもいいから、自分の呼吸に意識を向けてみてください。それも瞑想ですがら、そんなところからスタートしてみてください。
ゆりかごさんの身体が良くなりますようにお祈りさせていただきます。仙如
とりあえず紹介
日本テーラワーダ仏教協会のホームページに、ヴィパッサナー冥想の説明があります。
http://www.j-theravada.net/4-vipassa.html
同じ協会のホームページに慈悲の冥想というのもあります。
試しにやってみてはどうでしょうか。