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お坊さんの上下関係は...?

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お坊さんの上下関係は、厳しいですか?
私は以前、テレビで、“お坊さんの上下関係は厳しい”と聴いた事が有ります。お坊さんには、はっきりした官位や地位(僧正、僧都等)が有るので、やはり上下関係は厳しいものなのでしょうか。
又、私は浄土宗の僧侶を志しているのですが、浄土宗でも、上下関係は厳しいのでしょうか?
法然上人の「敬上慈下」という御言葉は、上下関係を意識し、上の者には敬い、下の者には慈悲の心を以って接せよ、という意味ではないかと私は思うのですが、それは、今の浄土宗の上下関係にどの様に影響しているのでしょうか。
これを見て下さっているお坊様方、どうか私に教えて下さい。宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「仏法僧」師匠や先輩は私たちの一番身近なほとけさま

真言宗の僧侶ですが、宗派関係なく、仏教そのものの観点から。

よく、在家の方に質問されるのが
「お釈迦様は平等を説いているのに、なぜお坊さんは上下関係に厳しいの?」というものです。これはもう、勉強不足というよりも稚拙という他ありません。

お釈迦様は、「身分や階級や年齢に関係なく、1日でも早く出家した先輩僧侶を敬え」と言っています。
それは、体育会系のような伝統的、または単に先輩が後輩に偉そうにしたり小間使いにするためのものではなく、あくまで
「師匠や先輩は、自分に仏教を教えてくれる一番身近な仏様」だからです。
仏教で大切なのは「仏・法・僧」の三宝を篤く敬うこと。基本中の基本ですね。この三宝の「僧」こそ、師匠や先輩なんです。
そんな人に「おれたち平等だからタメ口でいいよね?」なんて言いますか?そんな後輩や弟子に何かを教えようと思いますか?
それは「悪平等」というものです。
そりゃ、怒られて落ち込んだり、理不尽な事をいわれてムカついたりします。
しかし、それだって自分を成長させてくれる重要な要素です。観音様みたいな優しさだけじゃなく、お不動さんのような厳しさも必要です。

それが「修行」なんです。

出家するまえに、出家した後のことをごちゃごちゃ考えても無駄です。
どの宗派でも、どんな場所でも、周りの環境がどうであれ、修行とは自分とのたたかいです。
仏教を本や会話だけで表面的にだけとらえては、一生理解はできません。
「教えと実践。」
この両方の翼がなければ決して高みにはいけません。
それを教えてくれる師匠や先輩には、やはり最上の敬意を払うべきです。
しかし、自分がある程度修行した段階になれば、まるで親しい友人のように接してくれますよ。
あくまで上下関係は修行の一部であり、人間性そのもにではありませんから、年齢や修行の段階が変われば、関係も変わってゆきます。

後輩ができればわかると思いますが、厳しく指導するのは先輩側からしてもストレスです。
それでも怒ってくれるのは、後輩への期待と、お坊さんとしての譲れない責任感でしょう。

正直上下関係の理念がないお坊さんは、接しやすいけど、正直個人的には信頼できません。

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上下関係の仕組みは消えつつあります

浄土真宗の僧侶です。現在は一般社会と同じように年齢での区別があるくらいの上下関係です。形式的には寺班、僧班といった位のようなものがありますが、それを基準にして何かを決めることはありません。いわゆる上納金(賦課金)と言われるものを納めるときの基準として使われることはありますが、上に行くほど高いという累進性を持っていますので、お寺の規模による公平性を保つためのものとして一定の効果はあると思います。現在は寺班、僧班のような仕組みは形骸化していて、話題になることも少なくなりました。昔は僧班によって座る席順が決まっていたり、着ることの出来る衣が決まっていたりしましたが、ごく一部を除いて厳格に守られるようなことはないといっていいでしょう。
会社組織で役職というものがあるように、僧侶の組織でも役職はありますが、私は任務分担と理解しています。敬意を表すことはありますが、命令に服するようなことはありません。宗派によって歴史もあり、厳しい仕組みが残っているところもあると思いますが、仏道に精進するために必要な仕組み以外は消え去って行くのではないかと思われます。
法然上人のみ教えからは、上下関係を重要視するようなお気持ちは私には伝わって来ません。

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鳥取市にある浄土真宗のお寺の住職です。36年間のサラリーマン生活を経て20...
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宗派は違いますが・・・。

 修行時代は体育会系の如く、上下関係があると思います。曹洞宗の場合は先輩後輩関係なく修行する仲間として「○○さん」と敬称を付けよと教わりました。修行から下りると、寺院の規模で先輩でも後輩に頭を下げることはあります。逆に横柄な態度にでる後輩もよくみかけます。修行の時にあまり厳しくすると竹箆返しされる先輩もいます。一慨に上下関係が普遍のものではなく諸行無常なのです。
 浄土宗の僧侶と付き合いはありますが法然上人の「敬上慈下」を守ってお互い接しておりますが、人によっては厳しい人もいました。

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「お坊さんのことを知りたい」問答一覧

他人がやってる寺を兼務で引き受けたくない

40代独身で、500件ほどの檀家がいる田舎の寺の住職をしております。 近所の住職死亡後、やり手のない寺を数件、兼務しており、合わせると500件ほどになります。 もともと別の自宅住まいでサラリーマンをしてましたが、途中親が病気にかかり、長男で跡取りだった私に、やってくれと親から頼まれて継いだのがきっかけで、仕事を辞めて継いだのですが、もともと私は他人とコミュニケーションを取るのが苦手なので、現在寺の檀家との関りが大変で、葬式が入る都度、寺の仕事が嫌でたまりません。 そのような状態で、精神科に通院しながら、精神安定薬と睡眠薬を処方してもらいながらなんとか寺の仕事をしてます。独身の姉にも協力してもらい、私が檀家の対応全般、姉は裏で火事全般しながらどうしてもの時だけ檀家の対応・・・みたいな感じでやってます。 近所に檀家100件にも満たない兼業住職がおり、結婚してますが子供に恵まれなかったようで、私はその寺のほうるいという立場になってます。 その寺の行事を手伝っているのは私だけで、ほかにもほうるい住職が数名いますが、書類の名前だけで、何かあっても一切かかわりたくないような状態になってます。 その住職が近々危なく、後もいない状態で、その住職の兄弟などの身内はいても、皆仕事をしており、寺なんかやりたくないと皆いっております。 今後その住職はなくなった際は、ほうるいの私がその寺を兼務として引き受けないといけないのでしょうか? 今現在500件ほどの檀家の対応を私と姉で行っており、相当きつく、これ以上ほかの住職がやってる寺の檀家のめんどうまで見れません。 正直な話、もう今なんとかやってる自分の寺の檀家の対応だけでも相当大変なので、これ以上ほかの寺の檀家まで兼務で押し付けられたくなく、関わり合いになりたくありません。 こういった場合、今後その住職がなくなった際、その寺の兼務を断ることは可能でしょうか? 本山に事情を説明し、頼めばだれか代わりの住職を派遣してもらい、後を継いでやってもらうことはできるのでしょうか?

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お坊さんの勤務形態について教えて下さい

離婚問題で悩んでいる時、バツイチのお坊さんと知り合いました。最初彼から遊びの誘いがあり。失礼な人と断りました。今は友人として付き合っています。 友人関係が続いたのは、後日先日の行動が人として大変失礼な対応だった。反省していると、彼から謝罪があったからです。その際にも、ちゃんとしたお付き合いの話はありませんでした。 私は元夫から多種のDVをうけ男性不信になりました。いつか恋愛出来たらいいなと夢見ながら、男性が怖いです。結婚は絶対に無いです。 加えて彼は寺の跡取りで一緒に家庭を築き、寺に入り子供を産める人を探しています。私は子供を産むこともできません。だからあえてハッキリさせないようにしてました。 その後仲良くなるにつれ、プライベートを明かさなかった彼が以前より私にプライベートを見せるようになりました。気付けば毎日メールで連絡をし、月2~3回程度、昼夜時間を割いては健全に遊んでいます。トキメキはないけど気持ちは【凪】です。友達以上恋人未満の1番いい感じの時 自然と今以上仲良くなる予感があり、仲良くなりたそうな行動が見えたり、泊りがけで旅行に行くような話もチラホラ、ただ、お坊さんの勤務形態ってどうなんでしょう? 私は会社員で有給もあります。毎月月末に翌月の予定が未定。次のデートの約束は大抵決まりません。休みがまだ決まらない。分からないって、そんな事ありますか?もうずっとそんな状態で、深く付き合いたくないから、遠回しにそう言ってるのだと思うようになりました。 嫌なら嫌と言って欲しいのに旅行は行きたい、遊ぶのも仕事終わりなら全然大丈夫、凄いケチなのに自分から遊びにも誘って車も出してくれます。 どうゆうこと?と、モヤモヤしてますが、でも誰にも聞けず、彼もはっきり言わないので、やっぱり遊ばれているのでは?と思う反面、彼は嘘をつくのがべらぼうに下手で、私には嘘をついた事がない為、もしかして本当なのかも?と思いたい気持ちからこちらにお聞きしました。 休みが分かりにくいって業界的に本当ですか?何でですか?ちなみに彼は実家の住職をしながら、別のお寺に本業で務めています。本業の休みの日に実家で法事をしたりしています。 この関係がハッピーエンドにはならないと分かっていますが、一緒にいるだけで気持ちが穏やかになれる相手です。嘘ばかりの元夫の毒が抜けていく気がして魂が救われています。

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尊重とはどこまでですか?

ハスノハのお坊さまのおかげで「他者を尊重することが大事」なのはよくわかったのですが、尊重とはどこまでするものでしょうか? モラルに欠けた発言なども尊重するべきなのかと考えたりします。そもそもモラルというのも曖昧だと思うのです。人によって違うと思うので。 「平和だからこそ戦争が必要だ」なんて言う人もいると思うのです。これは一般的には理解されないし尊重されないことだと思いますが、「他者を尊重することが大事」ならそれすらも認めることになるのかなと思います。 これが"尊重"なら、もし私が仮にいじめを受けたとしても「これ(いじめ)すらもその人の一部なのだな...」と思うのではないかと思います。 いじめや犯罪や浮気や不倫など、世界の"事"全てです。 社会のルールを基準にするのかな?とも思いましたが、それは"社会の思い込み"の可能性もあると思いますし、何よりそれは「他者を尊重できている」のでしょうか? 社会のルールという名の"正義"で個人個人を存外に扱っているのでは?と思います。 倫理も一緒です。全て人によって違うと思うのです。 例. Aさん「別に人をいじめてもいいでしょ?」← これも"Aさんの考え"で「Aさんの一部」なのかなと捉えてしまいます。この場合、Aさんは他者を尊重できていないと思います。ですが、それを注意すればAさんの価値観や考えを否定している(尊重できていない)ことになるのかなと思います。 そうなると無関心に見えると思いますし、この文章の通り「〜と思います」や「〜なのかな」などボヤっとしてハッキリしなくなると思います。 その結果、他人が「〜でしょ」や「〜です」と言うことに神経質になると思います。なぜなら、それがその人の思い込みの可能性があるからです。 でも、その人の思い込み = その人の意見なのでモヤモヤしても無理して尊重する。 尊重とはどこまでですか? 行き過ぎれば無関心に見えてきます。"相手とは違う自分の意見"を言えば否定されていると思われ、注意すれば「他者の意見を尊重できていない」ことになり、じゃあ何も言わないとなれば、無関心と見える。 お坊さまは尊重する際、何を"基準"に持ってらっしゃいますか? 乱文で申し訳ございません。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ