持つ者と持たざる者
こんばんは、いつもお世話になってます。 唐突ですが、私は、世の中には二通りの人間がいる事に気がつきました。
それは、持つ者と持たざる者です。
例えば、 裕福な者と貧しき者 屈強な者と病弱な者 容姿端麗な者と醜い容姿の者
才能のある者と凡人 勝つ者と負ける者 運の良い者と運の悪い者 上に立つ者と下で支配される者 好かれるもと嫌われる者
これらは、全て持つ者と持たざる者です。そして持たざる者が持つ者と同じ土俵に上がった時 持たざる者は持つ者の倍努力しなければならない 私は、そこらへんの図式に気がつきました。仏教においては、この図式とどう向き合うのでしょうか?智慧をお貸しください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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他人と比べると悩み苦しみにつながる
生き物は一匹一匹が違うのです。
比べれば必ず違う部分や優劣はあります。
「人間」という概要を外して、人間以外とも比べてみてはどうでしょうか?
人間とばかり比べるから、負けが気になるのです。
仏教では煩悩が悩み苦しみの原因と説きます。
例えば、慢という煩悩(プライドの煩悩)が強いと、自分と他者を比較して優劣を気にしたくなります。
また、自分は人間だ、というプライドにより、人間とばかり比較したくなるのです。
虫とかと比較したらかなり幸せな生活の人でも、人間と比較するとみじめになる場合があります。
他者と違うのがあたりまえなのに比較して違いを気にする、しかも人間とばかりで比較してしまう、これはプライドの煩悩のせいで、悩み苦しみやストレスの原因をつくっているのです。
仏教は、悩み苦しみの原因である煩悩を制御したり消したりして、日常生活の悩み苦しみを消したり制御したりする教えです。
色んなことを考え学識を深めるのは大いにけっこうですが、考えすぎて悩み苦しみが大きくなったときには、欲、怒り、怠け、プライドなどの煩悩が悪さしていないか、自分の心をチェックしてみてください。
心の向上
のりよし様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
仏教的には、全ては実体の無い「空」であるとしますが、だからと言って、何も無いという虚無や絶無ではなく、全ては、原因や条件などの他に依存して成り立っている「縁起」なるものと申します。
持つ、持たないというのも、まあ、因縁次第。もちろん、自らの努力だけではどうにもならない因縁もあります。それでも因縁次第であることには変わりないものであります。
少しでも自らの希望、目的、夢へと向かうためには、何もしなければ当然にほとんど何も進みませんので、努力できることでの因縁には努力して参りたいものとなります。
もっとも、仏教の場合は、世俗的な幸せの価値云々、持つ持たないはあまり関係なく、自らの「心」の向上をいかに図るべきかということになるかと存じます。
川口英俊 合掌
莫妄想
こんばんは。
「莫妄想(まくもうぞう)」という言葉があります。妄想することなかれ、という事です。
汾陽無業禅師(760~821)の言葉で、無業禅師は、一生の間、修行僧の質問に、ただ「莫妄想」の一句をもって答えたとされています。禅師はまた、もし、人がこの一句をよくよく徹しきったならば、元から具有している智慧や徳相が、たちまちに現前するだろう、と示しています。
「妄想」とは何でしょう?、仏教では「二見にわたる分別心」をいいます。
人は、「損・得」「長・短」「清潔・不潔」「善・悪」「明・暗」など、物事を二つの事象に分けて認識したがりますが、その境目はどこでしょう?そう、境目などないのです。それに気づきなさい、分け目を取り払いなさい、ということです。つまり、仏教では、「持つ者」「持たざる者」などもとよりないと説いているのです。
さて、あなたは裕福な者が、屈強で容姿端麗で才能があり勝つ者で運が良く上に立ち好かれる、とお考えでしょうか?そんな事ないですよね。裕福でも病弱だったり、容姿端麗でも運が悪かったりします。私は人のスペックは、トランプのカードみたいなものだと思います。ないカードは使えません。自分の持っているカードで行くしかありません。また自分が欲しいと思っているカードを持っている人は、逆にあなたの持っているカードが欲しかったりするものです。「持つ者」「持たざる者」という分け方自体がナンセンスな事に気がつくでしょう。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。