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イジメからの脱出について

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有り難し有り難し 42

はじめに、私は、崇教真光の信者であり、母の勧めで入信しました。
そこでの人間関係と、奉仕活動を続けるか悩んでいます。

元職場で問題があり、そこでの第一人者が同じ信者でした。
私は、上司や労働基準局などに相談せず、なんとかやり過ごせないか考え、精神科と母には相談しました。

しかし、強引にそれもチクッたことにされ、激しい鬱になり、職場を離れることにしました。

それを納得しなかったらしく、ずっと根に持っていたらしいです。

宗教の集いの場でこそこそ悪口を言っていたのですが、それを聞き留め、匿名で公共の相談場に告げたところ、割り出され、性同一性のような記載をしたのを言い触らされ、周りは田んぼばかりの田舎で、精神的なサンドバックのように扱われています。

12月まで、奉仕活動があるのですが、原則欠席は認められていません。
ギリギリの精神状態でも最後までやりきるほうが良いのでしょうか。
その後脱退するのは決めています。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

実質を生きる

表向きの看板を除いて、実質的にあなたが、そこで本当に救われているかどうか。
おそらくあなたにとって答えはすでに出ているでしょうから本心に忠実に生きる方が負担はないと思います。どんな活動であれ、人間的にその人たちがどうか。
宗教業界の中にあっても、宗教的ではない人たちもいます。
宗教組織に所属しているという意識はあっても反宗教的な人たちはいるものです。
表のラベルより中身で選んだ方がいいと思います。
これは宗教においてばかりではなく、あらゆる分野において言えることです。
物事の本質を見極める目を持ちましょう。
宗教の前に人間があります。
人間が思想、宗教を自ら選んでよいのであって、宗教によって人間が支配、操作されてはなりません。(^<^)
どんないじめがあっても、自分が自分を生きるほかありません。
まわりのひとがああ言った、こう言った、と取り扱いを起こすのは自分の中です。
そのカラクリに気づいて、自分の心の中の情報、脳内に振り回されずに生きることが不動心です。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

あなたは変われる、変わってよい。

脱退を決めているなら、欠席しても気にする必要はないと思います。
悩んで落ち込んでいるときは、できることまでできないと思い込んでしまう場合があります。
欠席くらい、「欠席します」「はい、そうですか」ですむかもしれません。
「出席してもらわないと困る」とか言われても、どうってことはありません。
法律で決まってるものじゃない限り、
あなたの行動はあなたが決めてよいのです。

人は、自分で自分のキャラというか縛りを作ってしまい、他人からもそのキャラだと見られているはずだと思って、自分のキャラを破ることに抵抗を感じてしまいます。
毎回出席するキャラを破りにくいのはわかりますが、物質は瞬間瞬間に変化しており、過去のキャラと今のあなたは別の物体です。
変わりたくないのは、怠けとプライドの煩悩です。
今回はちょっとだけ、煩悩と戦ってみませんか?

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

自分を喜ばせることを考えて!

奉仕活動があなたに心の苦痛を及ぼすようなら、今すぐに辞めて下さい。

修行に苦痛は付き物という考え方もあるでしょうが、修行とは志して行うもの。
誰かに強制されてするものではありません。

信仰が元になって成り立っているのが宗教です。
信仰のないところに宗教は在り得ません。

宗教団体にいることが心を乱す原因になっているなら、あなたにとって、そこはただの団体であって、既に宗教ではありません。

宗教とは人の心に安穏をもたらすものでなければなりません。

ならば、宗教の集まりで他人の陰口を言い、人格を貶めるような言動を取るような人があれば、その人もまた既に信仰者ではありません。

お母様のすすめで入られた宗教を脱退することについて、お母様やお家の方は何と言っておられるのでしょうか?

脱退するか否かについては、あなたの意思で決められたら良いと思いますが、それよりも、家庭の中でのあなたの立場が心配です。

前回までの問答も読ませていただきましたが、あなたは宗教的なことを含めて、ご実家でのご自分の在り方を思案しておられるご様子。

幼少期は別にして、あなたの今のお悩みの原因には、どこかでその宗教を取り巻く人間関係が絡んでいるような気がしてなりません。

いじめをしたり、人の陰口を言う人は、常に人の目を気にして、自分を守ろうと虚勢を張って、自分から人が離れていかないように、こっちを向いてもらおうと必死に他人をダシにして、一生懸命に人の興味を惹こうとしている、寂しがり屋のかわいそうな人たちです。

そんなか人たちの言うことを真に受けて、いつまでもあなたが相手をしてあげている必要はありません。

あなたはあなたの人生を楽しまなければなりません。

どなたか、しがらみのない仲の良いお友達とか信頼出来る方に相談されることも必要でしょう。

どちらにしても、あなた自身が動かないことには、誰もあなたをその悩みから救ってはくれません。

一度、お家を出ることも含めて考えてみては如何でしょうか?
田舎の限られたコミュニティーの中から出てみると、また気分も変わるでしょうし、外野からお家を見ると、また違った見方も出来るはずです。

他人に合わせながら生きる人生ではなく、あなたはあなたの中にあるあなたを喜ばせることを一番に考えてあげて下さいね。

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有り難し
おきもち

宗教とはすくわれるものでなくてはなりません

あなたは、すでに脱退を決めていられるということでしたので。
それは、それとして。

宗教は、様々な人が、安心して生活できるようなものでなくてはなりません。
来るもの拒まず、去るもの追わず。
欠席するのも自由でなくてはならない。
すくわれたい人にプレッシャーをかけたり、苦しめたりするものであってはならないと思います。

違和感を感じたのであれば、それが真実ではないでしょうか。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

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