守護霊、霊言について のQ&Aを読んで
守護霊・霊言があると言うのは、ブッダの教えに背いていると思いますが、
宗派によって様々な考え方が有るというのが現実なので、仕方ないのかもしれません。
しかし、僧侶が苦しんでいる人を救うことに努めるという事は、
全ての宗派に共通するのではないでしょうか?
最近話題の清水富美加さんが出家した宗教団体、について
>その方々のことはよくわかりません。
と言うのは、僧侶の行を果していないと思います。
その教団に苦しんでいる人、苦しめられたと言う人々が沢山いるのですから、
その様な方々の事に思いを巡らした上で回答するのが、僧侶の責務ではないでしょうか?
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ある意味での仏教の奥ゆかしさ
キムコ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
釈尊は、仏教を対機説法、善巧方便によりお説きになられているため、八万四千の法門があり、現代では、確かに色々な宗派に分かれての様々な考え方もありますが、基本的な原理は、苦・集・滅・道の「四聖諦」になるのではないかと存じております。
僧侶が、迷い苦しんでいる衆生の救済に努めるということも、誠に大切なことではございますが、十分な技量もない未熟な研修医に手術してもらっても患者を助けることができないのと同様に、中途半端な僧侶による救済ほど、実は迷惑なものもないと考えております。
真なる意味で衆生を救済できるのは、悟りを得てからこそ可能となるのであって、もちろん、何もしないのでもなく、智慧の修習と共に、できるだけその智慧に裏付けられた功徳としての福徳の実践は必要であるとは考えます。
考えますが、常にそれは完全ではないことをしっかりと意識しておくべきであり、高慢に陥らないように気を付けなければならないと存じております。
他宗教のことについては、もちろん世間的な功罪について考慮すべきこともあるでしょうが、上記のことのように、何よりも己自身が悟りを開き、仏陀・如来になってこそ、真に一切衆生を救済することが可能になるということから、もしも他宗教において迷い苦しんでいる者が仮にいたとしても、中途半端な救済とはせずに、己が仏陀・如来になってから必ず、完璧に救うのだということで、修行に邁進することが求められるものになるのではないだろうかと考えております。
仏教は、釈尊への梵天勧請のエピソードが示すように、ある種、内向的と言うか、請われるまでは説かないし、無理に他の教え(当時の六師外道など)に対して論戦を仕掛けたり、攻撃したりはしないというところもあり、どちらかといえば、他は他、自分は自分として、何よりも自分の心の修養に努めること(悟りへ向かっていくこと)を第一義とする面もあるかと存じます。
それこそ、応病与薬というか、病気になってから診療を求められて、それから応じるというか、つまり、相手の機根が仏教を受け入れることができるようになるまで待つというか、そんな受け身なところ、ある意味での奥ゆかしさもあるのかな、ということを拙生は感じるところでございます。あくまでも一愚僧の感想に過ぎませんが・・
川口英俊 合掌
おはようございます。
そうですね。おっしゃる通りと思います。一方で救われた方もたくさんいらっしゃり、私たちはそれを否定することはできません。日本において信教の自由は保障されています。
なお、ここでは運営の規約上、特定の宗派の是非を問うことはしません。回答僧は件の質問に対しても上記の前提で回答をしています。その辺りはお汲み取りくださいm(_ _)m
質問者からのお礼
光禪さま
ご回答頂きまして誠にありがとうございます。
特定の教団の是非を問う事を趣旨とするつもりはありませんでしたが、
規約を精読していなかったことを深くお詫びします。
宗教間、宗派間での論争は不毛なものでありますから、
このサイトの意図するものではないということ理解します。
信仰の自由、言論の自由はどちらも諸刃の剣であると思います。
むやみに振り回すことは危険ですが、鞘に仕舞ったままでは飾り物になってしまうと思います。
釈迦に説法、恥の上塗りでしたね。
川口英俊さま
大変ありがたい教えをして頂き、ありがとうございます。
仏道とはそのようなものであると理解します。
しかし、愚痴を言わして頂けるのであれば、
「自身こそが再誕の仏陀である」と仰られる方の言動に、無関心であられますように。
と言わせてください。
別の話しですが、
対機説法についての私の愚論を、こちらに書くことが許されるのか如何か分かりませんが、
あらためて質問させて頂きたいと思います。
済みません。訂正させて下さい。
>「自身こそが再誕の仏陀である」と仰られる方の言動に、無関心であられますように。
「自身こそが再誕の仏陀である」と仰られる方の言動に、無関心であられませんように。
でした。