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嫉妬で自爆しないためにはどうすれば良いのでしょうか?

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表題のとおりですが、主に恋愛関係等では、相手の状況や実際のところを把握する前に、思い込みで嫉妬して爆発して相手に怒りを向けて、苦しくなって自分から距離を置いたり一方的に去ったりして、いつも関係を自分から壊してしまいます。

先日も、SNSで相手の男性ががモデルのように美しい女性と仲良くやり取りをしているのを見てしまい、
「あなたは本当はスレンダーで髪が長い美人が好きなんでしょう?私のように脚が短くて髪が短いブスなんかよりもずっとね。」
「私の投稿は無視する癖に、他の女の子には優しいんだね。」
と怒りをぶつけてしまいました。

相手の男性からは
「それは君が勝手にそう思っているだけで、僕は何も変わっていない。問題は僕の中にあるのではなく、君の心の中にある」
と言われてしまい、それは全くその通りだと思うのですが、これでもう相手からは見放されたという事で、自分から去って行ったほうがいいのかと思っています。

自分の周りの同年代で、こんな事で恋愛関係を破綻させるような人は他にいないと思います。嫉妬しなくなるには、自分に自信を持つことと正当な自己評価をする事だと思いますが、いつも些細な事で苦しくなって自分を破滅に導いてしまいます。

このままでは自分は一生ひとりだと思います。
毎日が苦しくて仕方ありません。身勝手な悩みだとは思いますが、アドバイスいただけましたら幸いです。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分で答えを出すほかない

(._.)ネガティブな事をブーブ―言っている間に実際にそのスレンダー・ロングヘアな女性に彼をかっさらわれてしまわないことです。
あなたが嫉妬をしていることで発している本心のメッセージは
「そんな女より私の方を向いて!私の方を愛してほしい!」ということでしょう。
あなたが好きなその彼を全ての女性が好むわけではありません。
全ての男性が誰でもスレンダー・ロングヘア女性を好むわけでもありません。
もし見た目だけで選ぶような男性だったら、今後付き合っていく価値はありません。
あなたはその嫉妬の対象の女性よりも、彼のハートをガッチリつかんでいく必要があります。
憎しみ、嫉妬、愚痴、文句、攻撃、疑いを表現することは愛情の表現ではありません。
仮に愛ゆえに出てくる感情であるとしても、それをアウトプットすることは彼にはLOVEとして受け止めてもらえない可能性は高いです。
素直に、嫉妬している、と心情を正直に伝え、自分の弱さをそのまま見せ、彼を愛している事を伝えることです。
その方が彼から行為を持たれる可能性は高いと思います。
ぶっちゃけ選ぶのは彼です。
ですが彼から選ばれるように努力する事は出来るはずです。
その為の努力は、嫉妬にエネルギーを費やすことではなく、愛情表現にエネルギーを注ぐことです。
嫉妬は、不安、疑い、自己否定、劣等感、妄想を生み出します。
その疑いをなくす為にも彼に直接真意を問い、あなたの中の疑いを直接晴らすほかありません。
恋愛においての嫉妬の本質は、実際に無いことを自分の中で想像をふくらまして不安な状態になることです。
それは相手を所有しようとする心から生まれます。
人は自分のものにはなりません。
元々誰のものでもない相手を自分のものとしようとすることが、実際にそうでないために、嫉妬となるのです。嫉妬はコンプレックスを伴います。
仮にその思いに駆られても、それは妄想です。
自分の目の前に起こっていないことを妄想しているに他なりません。
嫉妬の本質は臆測です。
嫉妬に打ち克つには、現在の彼とリアルの実生活で共に過ごすことしかありません。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

誰も自分の所有物ではない

自己評価を高めるのも大事かもしれませんが、逆に、自分の評価をゼロにするのがよいのです。
つまり、あなたの所有物になってくれる他人なんかがそもそもいない、と諦めることです。
「両思い」なんて幻です。
片思いと片思いの矢印が、たまたま向き合っているだけです。
誰しも、理想の異性はいるでしょう。俳優やアイドルなど、憧れの異性はいるでしょう。
でも、理想の相手とつきあうのはまず無理で、互いに妥協してつきあってるのです。
彼氏の理想の美女に、彼氏は相手されない。あなたぐらいしかつきあってくれる女性がいない間は、あなたがつきあえるのです。
それでよいではありませんか。
彼氏の恋心を所有物にして独占しようと思うことは、彼氏の人権を無視するエゴです。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

自分を押し付けず見返りを期待しない愛を

あなたがお気付きの通り、恋愛の時、相手を見るときは、嫉妬や妄想に自分の生活を狂わされてしまうことが多くあります。

目の前に存在する相手の真実と、妄想どちらが大切かあなたはお分かりでしょう。想像妄想、嫉妬は全て嘘だと思ってください。

お相手が目の前にいるということが何より大切。そして、無償の愛情を注ぐことです。相手にこうなってもらいたい。こうしてほしいという気持ちは、自分の押し付けです。

別の存在として、大切にできれば自然と良い関係が築けるとおもいますよ。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

プライドが嫉妬をつくる

嫉妬心は、自信がないから出るのではありません。
正当な自己評価も、基準が曖昧ならばあまり関係ありあせん。

むしろ逆。
自信こそが嫉妬心を生みます。
いや、自身というよりもプライドという言い方の方がしっくりくるかもしれません。

嫉妬とは、自分のプライドが傷つけられた時に起こる感情です。

プライドの高い人は、すぐに相手の欠点を探そうとしてしまいます。
もし自分に自信がない人ならば、嫉妬する前に自己嫌悪を生んで落ち込んでしまいます。

現実には何もないと彼から返事をもらっても、尚、嫉妬するというのであれば、あなたが彼をどういう風に愛していたのか、もう一度考えてみて下さい。

あなたが彼の返事を聞いて、もう見放されたとすぐに答えを出してしまったのも、もしかしたら、彼のことを考えたのではなく、自分のプライドが傷つけられた事が尾を引いていたからではないですか?

相手のプライド認めることは必要かもしれません。
でも、自分のプライドを認めさせようとしてしまうと、それは単なる利害関係になってしまいます。

プライドを度外視した、相手自身を認められるからこそ愛であり、あなた自身を認めてもらえた時に愛されていると感じることが出来るのです。

相手もあなたと同じ一個の人格。
恋愛の相手は、あなたを着飾る洋服でもアクセサリーでもありませんよ。

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質問者からのお礼

ご回答いただき、ありがとうございます。
その後、彼とは別の事が原因でお別れすることになりましたが、自分の傲慢さや身勝手さを知ることができ、大変感謝しております。

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