感情に関して
今、自分のことが分からなくなっていて心がしんどく、鬱状態です。
「今」 「ここ」にある自分の感情(憂鬱・自己嫌悪感)に向き合うことから始めようと、試みてますが、恥ずかしながら、嫌だ嫌だと逃げる自分が存在しています。
また、気持ちが整理出来ずに混乱状態でもあります。
禅や瞑想が流行っていますが、心と向き合うことに効果はありますか?
最後まで、読んで頂き有難うございます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それは夜泣きをする貴方の子ども
こんばんは。まだ子育てはしたことないでしょうけれど、聞いたことありますか?夜泣き。大人からはさしたる理由も分からないのに、子どもが泣き叫び続けるのですよ。
一応、原因として「あり得そうな対処」はします。オムツが濡れていないか、ちゃんとフィットしているか。おっぱいを飲んでみたら。暗くしたら明るくしたり。抱っこがいいのか歌がいいのかお散歩か。
果てしなく何度もそれを繰り返し、結論に至るのです。「何故かはわからない。理由は分からない。分かっているのは泣いているということだけ。よし、それでいい。そのままの君に、付き合うよ」という結論に。
自分のはからいを捨てて、「泣いても騒いでも暴れても、とにかく一緒にいるよ」という心境になるのです。するとアラ不思議…泣き止むとは限りませんが、「もう一体…!」という怒りや焦りの気持ちからは開放されますのよ。
自分の中の「憂鬱」という気持ちを感知したら、まずラベルを張りましょう。「あ、憂鬱雲が来た」みたいな感じです。で、何するでもなく、ぼやっとそれを観察します。そして。
自分のはからいを捨てて、「泣いても騒いでも暴れても、とにかく一緒にいるよ」という心境になる…試みてください。我が子をあやすように、我が身をあやす。
練習してみてくださいね。いつか貴方が子育てをする日が来るかも知れませんし。
場合によりけり
シン様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「今」「ここ」と最近よく聞くことがありますね。
しかし、現に「そのような感情」、シン様ならば、憂鬱・自己嫌悪になりますが、それには、それなりの因縁(原因と条件)があって実際にそのような感情になってしまっているのであって、その因縁をどうしかしない限りは、「今」「ここ」としてなんだか傍観者にでもなったかのように判断しない感情の体験によって、負の感情も無くなったように一見みえたとしても、「今」「ここ」から離れて、日常に戻り、現実におけるその因縁が解決されていないのであれば、結局は、また負の感情が現れてくることになってしまいかねないことでしょう・・
向き合うべきは、どうして憂鬱・自己嫌悪になってしまっているのか、その因縁は何か、そして、その因縁は何とかすることができるものなのかどうか、何とかするにしてもどのような方法があり、どのように実践していくべきか、それを冷静にじっくりと考えて実行していかない限りは、本当の意味での解決にはならないこともあるのではないかと存じております。
もちろん、「今」「ここ」の瞑想・体験が有効な場合もありますが、そうでない場合も当然にあるとして、あまり無理せずに、無理なら無理で、もし宜しければ、その憂鬱・自己嫌悪に陥られていることについての具体的なご質問を更に頂ければ、hasunohaでもお答えできることで、解決のヒントになるものもあるかもしれません。
何より現実における因縁を変えることにより、現実の結果を変える。その方が、拙生は合理的かつ有効的であると考えております。
川口英俊 合掌