お坊さんからの回答 2件
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自分を知る
ananさんこんにちは。
ご自分のことがお嫌いですか。私は自分大好き人間です。いや、正確に言うと好きな自分も嫌いな自分もいますがどの自分も自分だなあと認めています。私が認めるもなにも自分なんですけどね。どの自分も自分でしかない-WE ARE THE オレ!という感じでしょうか。
「嫌い」という言葉にはそれを「好ましくないもの」として遠ざけたい。排除したいという印象を持ちます。
しかしそれが自分である限り排除は出来ません。だから私は嫌うというよりもそんな自分ととことん向き合い、落ち込み、苦しみます。
人と比べてしまうことはよくある事と思います。むしろ比較を通してしか物事を考えられないのが人間かもしれません。
ですが、それでご自分を責めるという事は、そういう自分は無い方がいいものとして、もっと言うならば無くすべきもの、無くすことができるものとして考えてはいませんでしょうか。
そうではなく、比べてしまう自分をはっきりと知り、その自分ととことん向き合うことで「自分を嫌う」という方法から一歩進んだ道が開けてくるのかもしれません。
かく言う私も今ほど妻と大ゲンカをしてしまい…いや、今もその真っ最中です。どうしたものかと悩んでいます。その悩みはケンカなんかしなくてすむはずなのになぜしてしまうのか、という悩みではなく、ケンカしてしまった私が妻とどう向き合っていけばいいのか、という悩みです。
どんな苦しい事実からも目をそらさず、どうするか問い続け、さらには実践していける道が仏道だと私はいただいております。
お互いにまずは自分をハッキリと知り、その自分を嫌うのではなく向き合う所から始めてまいりましょう。
誰にもいいところと悪いとところがある
ananさんの悩みを拝見しました。自分のことが嫌いになる。いわゆる自己嫌悪感は、誰もが感じることがあるものです。どういう方がなりやすいかと言いますと、理想が高く、完璧に物事をこなそうというタイプの方が多いようです。また、他人と比較して、自分の方が劣っていると考えてしまう人も、陥りやすいと言えます。
理想を高く持つのは良いことですが、ハードルが高すぎると越えることが困難になり、挫折感を味わうことになりますので、少し頑張れば出来るかも知れないくらいの高さから挑戦する方がいいと思います。また、完璧に行なうことは気持ちいいかも知れませんが、他人が口出しする隙もなく、素通りするしかなくなります。また、完璧なのはその時だけであり、時とともに劣化して行きます。技術、精度、仕組み、方法のすべてが進化して行くのです。
ananさんが陥っている他人との比較は無意味だと思います。上には上があります。いちいち比較していたのでは、切りがありませんし、他人のいいところばかり見て、全部を見ようとしなくなります。誰もがいいところと、他人に見せたくないところを持っています。早くそのことに気付いて、自分を責めるのを止めて欲しいと願っています。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。きっと弱い自分も全部ひっくるめて認めてあげないといけないんだと思います。私はおそらく完璧主義者なので、自分の嫌な部分にばかり目が行き、それが受け入れられないから自分が嫌いなんじゃないかと。
少しずつですが、自分と向き合っていこうと思います。ありがとうございました。