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マイナス思考、虚しさ、寂しさ

回答数回答 3
有り難し有り難し 31

初めて相談させていただきます。今の職場に転職してから3年。初めの1年強はみんなからも慕われ、良く仕事帰りにも誘ってもらっていましたが今は誘ってもらえなくなりました。もともとお酒があまり飲めないこと、また役職ががついてしまったことが原因かと思うようにしていますが、どうしても私と一緒にいても楽しくないからではないか、嫌われているのではないかと考えてしまいます。一度一緒に飲んで楽しい人しか誘わないということを間接的に聞いたことがあります。
思い起こせば高校の時から大人数の中では弾かれてしまうことが多く、それが辛かったこと、周りからどう思われてるのかという目も気になることが今も続いています。たまに参加する時(イベント性のもの)大人数の中で浮いてしまう自分がカッコ悪いと思ってしまいますが、普段仲良くしていると思っている人たちの仲間に入れてもらえない寂しさ、虚しさが押し寄せてきます。やはり私の性格の問題でしょうか。こういうマイナス思考が雰囲気としてでているのでしょうか。色々な本などを読んでみてもこのマイナス思考は治りません。
もっとラクに考えられる方法を教えてくださいませんでしょうか。この年になってこういうことで悩み胃炎になってしまいました。そんな自分にも自己嫌悪です。よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

考えの世界から抜け出し行動してみよう

 仲よくしていたと思っている人から誘われないとのこと。
それは、役職の問題はかなり考えられるのではないでしょうか。誘いにくく感じるものです。人は様々な場面で色眼鏡(自分メガネ)で物事を見ます。「あの人は〇〇大学出身だから偉い」「〇〇の職に就いたから私より上」とか「逆に年下のくせに」「最近の若い者は」など・・・
そうした考えすぎたあげくに体が動かなくなるものです。もしかすることそうしたことで、ぴよきさんを見ているのかもしれません。

一緒に飲みに行きたいときは、今度はぴよきさんからみんなに声をかけたっていいのではないでしょうか。この「考えすぎて体が動かなくなる」ということは、ぴよきさんにも言えるのだと思います。本を読んでみたがマイナス思考が・・・というのも全て考えのなかで行っていることです。行動してみてください。断られたらどうしようなんて考える必要なし。断られることの何が悪い。

決して一人ぼっちではありません(飲みを断られても)。もし一人であるのであれば、全員一人ぼっちです。みんなおんなじです。この体を持って行動し生きるのみ。思考に振り回される人生なんて嫌でしょ。リアルを見つめる「リアル人生」、思考に振り回される「妄想人生」どちらを選びますか。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

コミュニケーション能力が足りていない

人から誘われる受け身姿勢ではいけません。
私も連れて行っていただけないでしょうか?とか言ったらどうでしょう?
引っ込み思案なのは、インプットが中心だからです。
自分からもアウトプットしましょう。
そしてアウトプットするなら人を楽しませたり、喜ばせたり、楽しくさせたり、プラスになる事を提供するのです。
マイナス思考、ネガティブ思考は、それで解決するのです。(^<^)
「とてもみんなが勉強になる素敵な質問を有り難うございました。
また是非ご質問なさってください(^<^)ね!」みたく、ウソでも言ってみることです。(ウソでもいいんかい)
鬼を描き仏を描くも同じ筆。
人をそしりホメるも同じ口。
ヒヨコはピヨピヨとしか鳴かないけど、そのピヨピヨの声色一つですべてが分かる。
ぴよきさんも皆を喜ばせられるぴよぴよをいっぱい持っています。
どんどんポジティブなアウトプットをなさってください。
自分なりでいいのです。ポジティブでなくてもぴよきさんらしくピヨティブで良いのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

人はみな孤独です

タイトルにある「人はみな孤独です」は私があなたに言っているのではなく、瀬戸内寂聴さんがNHKのテレビ番組でおっしゃっていたことです。私ごときの言葉ではありません。

しかし、私も五十路の半ばにかかってきましたので、寂聴さんのおっしゃることに少し、「そうかな」と思えるようになりました。住んでいる村では唯一ではありませんがお坊さんですから、「一人」といえます。お坊さん同士は本当は和合しなければならないのでしょうが、残念ながら同業他社という関係にならざるをえません。私はそんなの嫌なのですが……。

あなたの場合、後から入社し、それなのに役職に就いたのが、「お独り様」の原因なのでしょう。「会社の人間関係などそんなもの」と腹をくくってそのようにお付き合いなさると、かえってうまくいくように思いますが如何でしょう。

ただし、その場合、親友とか家族とか、あなたをお独り様にしない誰かが会社以外にいないと辛いですね。

もし、あなたを支えてくれる人がおいでになるなら、会社では役職者を「演じて」そのことでうまく、よい人間関係が構築できるように思います。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な者ではありません。むしろその逆で、しょっちゅう周りの方々にお尋ねして、教えてもらって生きています。質問について考え、答えようと悩むことで私自身が学び、僧侶として少しでも成長していけたら、と思っています。 youtube法話を始めました。私の名前ですぐ見つけていただきます。
本堂までWi-Fiの電波が届かないので、お内仏(家のお仏壇)のお部屋でお話します。

質問者からのお礼

皆様、私のために時間をいただきまして、ありがとうございました。私自身今まで何度も考えた、そうだろうと思いたいということをお返事いただいたことで、考え方は間違っていないのかなと少しですが自信を持てました。ここがまだまだマイナス思考の考え方が治らないところではありますが。自分自身の考え方をもっとポジティブに、妄想ではなくリアルに、を頭の中にいれていこうと思います。一度カウンセラーに会ったこともありますが、ただただ怒られただけで頼れる人なんていないと思っていたところにこちらの皆様にお話を聞いていただけたこと、大変ありがたく思います。ありがとうございました。また躓いた時、お話させていただけたら嬉しいです。

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