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動物が可哀想で心が苦しくなります

回答数回答 2
有り難し有り難し 18

 はじめまして、春から大学生になるすずめと申します。女です。
 私のペンネームもすずめなので、少々分かりにくいですね。すみません。文中のすずめは、鳥のすずめです。
 
私は最近すずめがとても好きになったのですが、この間母とすずめの話をしているとき、「すずめ焼き」というものがあると知ってしまいました。
 人間というのは不思議なもので、嫌なものほど見たくなるのですね…こともあろうに、辞書で調べてしまったのです。ありました、すずめ焼き。
 すずめを食べるという文化を知って私は悲しくて悲しくて、どう例えようもない絶望的な気持ちになりました。
 
 しかし、私は今まで当たり前のように動物や植物の命を頂いてきました。植物はまだしも、動物は…生きているときは元気に動いていたわけですものね。最期の瞬間はなにを思っていたのか…なんだか自分がとても罪深い存在だなと思うようになってしまいました。
 
 初めはいわゆるマクロビオティックを始めようかと思ったのですが、私一人が肉食をやめてもなんの解決にもならないなと思い、やめました。(決してマクロビの方々への批判ではありません、ちゃんと良い所があると思っています。ごめんなさい!)
 そこでアニマルウェルフェアという考え方を知り、なるべく動物に優しい方法で作られたお肉を、必要なぶんだけ、感謝して頂こうと思うようにしました。(食物全般に言えることですね)

 しかし、夜になるとまた罪の意識に苛まれて、考え込んでしまいます。

 他の動物の肉を食べることは、自然の摂理にかなったことであるし、自分の手で生き物をさばいたことがないからこんな甘ったれた考えで悩んでしまうのかな、とも思いますが…

 少しでも何か心が楽になるようなお言葉を頂ければと、こちらにご相談させていただきました( ´ ;ω; ` ) 長文で失礼致しました。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

むやみに生き物の命を奪わないことはとても良いことです。しかし私達は他の生き物の命によって生きていますね。その矛盾に苦しむことは当然だと思います。
私達はご飯を食べるときに「いただきます」と言いますね。これは、命をいただきます、という意味です。目の前のたくさんの命に対して、ありがとうございますと感謝するのです。
そして、いただいた命を無駄にせずに精一杯生きていくこと、社会あるいは自然に恩返しすることを誓うのです。
これからはこのような気持ちを込めて「いただきます」と言いましょう。

ちなみに「ごちそうさま」は、その料理を用意してくれた人達に感謝する気持ちで言いましょうね。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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命のリレーですから

拝読させて頂きました。あなたのおっしゃるとおりですよね。聖章 師もおっしゃるとおりむやみに生き物の命を奪わないことは大切かと思います。
ただやはり私達は生き物の命を頂けなければ生きていくことができない存在です。ですから直接的にしろ間接的にしろ生き物の命を頂いている存在です。
仏教徒の戒律には不殺生戒がありますからむやみやたらに生き物の命を奪うことは戒律を犯すことですから罪深いこととなります。
私達はともすれば安易に命を奪うような罪深い存在であるということです。
そのことはやはりいつも念頭に置いて食事を頂くことは必要かと思います。
例えマクドナルドのハンバーガーやチキンナゲットでもポテトチップスでもお米やパンでも生き物を加工して食料にしていることには変わりはないですからね。
私達はその命を頂くことで命をつないでいますからある意味命のリレーであるバトンの受け渡しをしていることにもなります。
私達の肉体も約三カ月で細胞は入れ替わっていきます。食料を頂き新たな細胞が作られて古い細胞は排泄されて別のものに変わっていくのです。
ですから実は自分という存在は常に変わっていっているということができます。そう考えると自分に対する変なこだわりや終着やワガママを言っていることがいかにくだらない愚かなことであるかが少しだけわかるように思います。
私達は自分の生命を与えられて様々な命を頂き生かされています。そこで様々な役割がありますし、生まれてきた意味があることでしょう。その意味はそれぞれ考え感じることかもしれません。あなたにもぜひとも自分が生きる意味や目的或いは夢を持って頂き、大切に毎日を生きて頂きたいと切に願います。

ちなみに私達が生きる意味や目的は有難い人としての生を受けて仏教の教えに巡り会い、仏様のお導きを正しく受けていき皆さん共に争うことなく和をもって円満に仏となっていくことかと存じます。

あなたもこれから様々に学び成長なさる中でじっくりと腰を据えて考えて、身も心も清く生きてくださいね。

あなたのこれからの未来が健やかでありますようにと心よりお祈り申し上げます。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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