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人と比べたがるのをやめたいです。

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私は、専門学校に通っていて、現在就職活動をしているものです。
私の周りの友人は皆、就職先が決まりなつやすみを謳歌しています。別に怠けていたわけでもなく、就職活動をしているのに私はなかなか内定がいただけず、このまま学生最後の夏休みが終わろうとしています。
皆にできて、自分にできないはずが無いと、考えれば考える程、しんどく思ってしまいます。
そして、友人を妬ましくも思ってしまい、そう思う度に、友人は私以上に努力したから、内定をいただいた…私はただの努力不足と考えるようにしていますが、そう考えれば考えるほど自信を失ってしまいます。
私のように周りと比べたがる人は、どの様な考え方をすることで、この苦しみから逃れられるのでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

別のことを考える

周囲と比べてしまうことは良くない癖であり、その癖が自分にあることは理解されてるんですね。
しかし、その癖は簡単には消せませんよね。
だったら対処療法としては、できるだけ他人との比較について考えない、他人との比較を考える時間を短くし、頻度も減らすことです。
そのことを考えてる時間は苦しいんだから、苦しむ時間と回数を減らすのです。
妄想雑念という台風が来たとき、台風にさらされっぱなしにするより、できるだけ早く雨戸を閉めて台風から守るほうがよいのです。
具体的には、別のことを考える、ということです。
瞑想や念仏でもよいし、就職のための勉強をするのでもいいし。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

自分の大根を生きる

あなたがダイコンだとしたら白いッスわ。
太いッスわ。
ですが、ニンジンやトマトみたく赤くはなれない。
スイカみたいに丸くもなれない。
メロンみたく甘さは無い。
だけどニンジンやゴボウやメロンは側に合わないし、おでんにも不向きです。
あなたのダイコンの白さ、辛さ、染まりやすさは力なのです。
他の野菜には真似したくてもできないのです。
だから、ニンジンを欲するところはニンジンを採用する。
トマトを必要としているところはトマトを採用します。
あなたは大根ですから、大根を必要としている所を見つけることです。
そうすればこの世には比較は無く、絶対しかないという事を悟るでしょう。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

今のあなたに目を向ける

努力をしたから受かる、しないから受からないというのは、根拠のないあなたの妄想です。
ひとはひとであり、あなたではありません。
他人事を勝手に自分に取り込んでいます。だから悩むのです。比べるのではなく自分の有り様を見てください。人が受かった。それはそれ。そのままを受け入れます。

焦る必要なんてない。人の評価なんて関係ない。大切なことは、あなたが今の有り様に目を向け、生きていること。そこに向き合っていることです。

広い視野で物事を捉えてください。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

ありがとうごさいます。
しかし、考える回数や時間を減らすのは、相当の訓練が必要そうですね(汗)
頑張ってみます。

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