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お坊さまの言葉

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先日は母の四十九日法要でした。
私は檀家等のつながりが無く某密林サイトにてお坊さまを依頼させていただきました。

来られたお坊さまはきちんと経をよんでくださり法要としてはとても満足のいくものでした。
ただ、経が終わり帰り支度をしながら「次は100日の法要を必ず実施してください。でないと故人はお釈迦さまの元へはいけなくて追い返される」みたいなことを言われました。
今後の法要の予定として言われたのだろうとは思いますがその話だけをしてサッと帰られました。
私はこのお坊さまのおっしゃられた事に間違いはないとは思いますが、もし私がお坊さまの立場なら、お金の余裕が無く簡素なお供えではあるけども、故人を思い一生懸命な遺族に対して今日の四十九日法要を無事に実施できたことに対しての労いと、これで故人も安心して旅立てます、だから残されたあなた達は安心してしっかりと生きていきなさいよくらいのことは言ってあげると思います。
死んだ人だけでなく残った遺族に対しての救いになるような言葉かけて道を照らしてあげるのもお坊さまの使命ではないでしょうか。
単に法要の管理だけならCDで流すお経とあまり変わりはないのかな?なんて思いました。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

坊さんの仕事は人を幸せに導くこと

坊さんの本当の仕事使命は何なのか?
自問自答させるいいご質問だと思います。

ついつい独りよがりのお話をしてしまう、自分中心な自分。
感情に流されて、喪主の方のお話に涙ぐんでしまう情に流されやすい自分。
偉そうに忠告助言をしてしまう唯我独尊的な自分。
お粗末だなと思い知らされました。

葬家の方にとってどういうお話をしたらいいのか?

それは亡くなった方の供養のために、
全身全霊魂魄を込めて、阿弥陀様におすがるするだけではなく、
これから人生を歩んでいかれる方にどのような話をしたらいいのか、
亡き人をご縁して命の儚さ、切なさを語り、
だからこそ、今日一日を前向きに楽しく生きてまいりましょう!
と締めくくるさせていただきたいものですね。

坊さんが発すべきは、やはり【愛語】です。
優しいことば、思いやりのある言葉、
癒える、安らぐ、落ち着く、ほっとする、
そういう言葉を語りかけたいと常に思っています。
そういう意味で、100日法要をしないといけない。
というのは一種の強要です。
そんなことはありません。絶対に!

往生された方はもちろんのこと、
葬家のみなさんも一気に極楽気分になれるような、
お話をしたいですね。
四十九日は納骨、埋葬をしてひとくくりです。
お疲れさまでしたと、ホットするようなお声を
おかけしたいものです。
人生の先輩に偉そうなことを申し上げました。

百箇日は卒哭忌(そっこくき)ともいいますが、
「哭」は、声をあげて泣きさけぶ、「卒」は、終わる、という意味です。
故人を思い、泣き悲しんでいた親族や近親者たちも泣くことをやめる頃、
それが百箇日を迎える頃ということです。
最近は、49日の納骨で一区切りではないぜしょうか。
百箇日法要のお声がかかることは少ないですね。

供養は本来おもてなしです。
ようこそいらっしゃいました。
大したお構いもできませんが、
心ばかりの御接待をお受けきください。
そんな気持ちを大事にしていきたいものでございます。

愚僧は愚かものですが、阿弥陀様に救っていただける
ことが確定しているので、スーと極楽浄土に上がらせて
いただきます。地獄には行きません。

どうぞ、お元気で、そして楽しく明るく
人生をお楽しみください。

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おきもち

浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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この度はお悔やみ申し上げます。
南無阿弥陀仏

あなたの言われる通りですよ。
密林の利点は依頼するお坊さんを簡単に変更できるところだと思います。
いいお坊さんに出会うまで変更してもいいのです。
そもそも100日の供養をしないとお釈迦様の所へ行けないなど聞いたことがありませんし。
法華経にもそんな事は書いていません。

次回は他のお坊さんを要望しましょう。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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「仏心」

ふな氏様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

誠に「他山の石」として自省致したいご質問内容でございます。

また、僧侶は、決して、AI(人工知能)には任せられないのだろうと改めて存じました。私たちは法要・読経マシーンではないということでございます。

私たちが、仏教を基に「真心」というものを持って、皆様と向き合うためには、「仏心」(それなりの幅はそれぞれにございますが)が欠かせないものにもなりますが、その「仏心」(あえて他に表現しますと、釈尊成道以来、悟りへ至るための法の流れの存続)は、数字やプログラミングでどうにかできるものではないというものでもございます。(仏教では、難しく申しますと、戯論寂滅とか言語道断、離言真如とか表現致しますが、とても言語化できるようなものでない領域も扱うものとなります。)

しっかりと「仏心」を育てて、その「真心」にて皆様と向き合えますように、日々、努めて参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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ふな氏さんの思い理解できますよ

 この度は、本当にお母さまには心からお悔やみ申し上げます。ふな氏さまの御質問の内容わかりましたが、某密林サイトのお坊さまは何度か招待される事を思われている事で、収入を得られるので、百ケ日のお願いをされたのだと思います。押し売り坊さんですねぇ。自分は地方では考えられない事ですねぇ。
 ふな氏さまが某密林サイトに依頼させて百ケ日の法要されても結構ですし、本山や別院の本堂で命日という事で依頼されれば良いかと思います。いい加減で失礼しました。 合掌

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おきもち

山寺の住職です。他の仕事と兼務してます。
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「お寺とのトラブル・嫌なできごと」問答一覧

住職さんが怖かった

生前沢山可愛がっていただいた親戚のおじいちゃんが亡くなり、葬儀に参列して来ました。その時の住職さんが怖かったので、相談させてください。 先日、親戚のおじいちゃんが亡くなったと連絡が入り、ショックでした。 お葬式の時にきちんとお別れしよう。と思い、お寺に向かいました。 お寺に付き、葬儀が始まりました。住職さんは真っ赤な服を着てだるそうに部屋に入ってきました。服が真っ赤だった事も驚きですが、あまりにもだるそうでしたので、「お疲れなのかな…?」と思いました。 住職さんは部屋に入り、遺族や参列者にお辞儀もお話もなく、一直線でお焼香台へ行き、お焼香をし、そのまま葬儀が始まってしまいました。普段お世話になっているお寺では、葬儀が始まる前に住職さんから一言挨拶が必ずあったので驚きました。 その後、滞りなく葬儀は進み、住職さんから「お焼香。」と一言あり、遺族の方がお焼香台へ向かいました。コロナ禍でお焼香は遺族だけに絞るお寺もあると聞いていたので、私達は行っていいんだろうかと他の参列者の方とソワソワしていました。そしたら住職さんがお経を読むのをやめ、「何してるんですか?続いてください。」と怒ったように発言し、怖かったです。 その後、何とかみんなお焼香を済ませ、住職さんから「これで葬儀は終わりです」などの言葉はなく。黙って座った状態で恐らく葬儀が終わりました。喪主が え? という風にキョロキョロしてると、住職さんが「ご挨拶。あるならしたら。やるなら今やって。今しか時間ないよ。」ときつくいいました。喪主が「孫から祖父に向けた挨拶もあるのですが…」と伝えると「は?なに?」とすごく大きな声で聞き返し、喪主の人がもう一度伝えると「それ必要?」とバッサリ… 結局お孫さんからの挨拶はなく、喪主が手短にご挨拶をして終わりました。喪主がお話している時、住職さんはいそいそと片付けをしていました。 その後、四十九日法要も続けてやったのですが、その時の住職さんの服装もミントグリーンのすごく派手なものを身に付けていました。 お疲れだったのかもしれません。でも、最後のおじいちゃんとのお別れが台無しにされたようですごく悲しかったです。 このような方が住職でいいのでしょうか? また、法要の際に住職さんが派手なお色の服を着ていいのか。法要ごとに服を変える決まりがあるのか。気になったので教えて頂きたいです。

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お寺が性犯罪の温床になる危険性

 いつもお世話になっております。  私は、13歳から発心し、以来、様々なお寺にお参りしてきました。 長い間お寺に通ってきて、気が付いてしまった事があります。  「性的な野心を持って門を潜る男性信徒が多い」 ということです。  今まで参詣した全てのお寺で、 ・突然見つめてくる者 ・堂内がガラガラに空いているのに、わざわざ距離を詰めて向かい 合わせや隣に座ってくる者 ・後をつけてくる者 ・声を掛けてくる者 ・ナンパをする者 このような、恐ろしい淫魔のような男たちに遭遇してきました。 一人や二人ではありません。  目撃者になったこともあります。そのときは無知だったので、 被害女性を助けられませんでした。  最後は、私自身が実際に最近被害に遭いました。しかし、 地元警察の生活安全課様が懸命に対応してくれ、難を逃れることが でき、感謝しています。  私は、戦うことを決めました。お寺で少しでもそのような 動きをする者がいれば、110番をしてお巡りさんに怒って もらいます。お巡りさんはプロなので、加害者は言う事をきく ほかありません。  今回対応してくださった刑事さんも、私がこの話を告げると、 「なるほど。何かに縋りたい方が行く場所ですから、そういう事も ありえるかもしれませんね」 とおっしゃっていました。  世間一般では、 「若い人がお寺に行くのは、大きな悩みがあり、弱っていて、 自分に自信がないから」 と認識されています。事実そうです。それに乗じて、邪な 男たちが活動するのです。  「私なんか、ナンパされる器量じゃない」 「お寺に悪い人は来ない」 「私なんか、誰も友達になってくれない」 そう考える彼女たちに、まず挨拶から近づき、若いのに偉いね、 とおだて、世間話をして懐柔します。彼女たちは、 「こんな私でも、友達になってくれる人がいる」 と油断します。男は、そこで、 「今度ゆっくり話そう」 と言って個人情報を聞き出し、連れ出し、加害に及ぶのです。  先程、全日本仏教会様に意見しました。こういう事が起きている ので、お寺に対策を、信徒に注意喚起をしてくださいと投書しました。  私は、どうしても許せません。お坊様方にも、何某か活動して いただきたいです。  先生方は、どうお考えでしょうか?

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回答数回答 1

住職である両親の態度に怒りが収まりせん

以前、寺の跡継ぎであった私と妻に対する、私の両親をはじめとした寺の者達の態度に納得がいかず、相談させていただいた者です。 いただいたご助言もあって、現在は、実家の寺を離れる事に踏ん切りが付き、実家と関わりを断って生活していく事を決めています。 しかし、関係を断って暮らす前に、残しておくと面倒事になりそうな事を父にメールで確認していた時の事でした。 「私が生まれてすぐに跡継ぎに指名していたくらいだから、後継ぎがいなくなる事は寺にとって大問題なんだろう。私が辞めた後、どうするつもりなのか聞かせてくれ」と私が問うと「跡取りを辞めたお前には関係ない」と父から切り捨てられました。 しかし、私は「物心がつく前から親に勝手に」寺の跡取りにさせられて、成人してから継ぎたくないなら継ぎたくないと言えば良かったと言うのは正論ですが、生まれてからずっと受けてきた親からの精神的呪縛を解くのは容易ではなく、そもそも跡取りになろうとしていたのも檀家さんの為、親の為に選んでいた事で、「私個人が住職の仕事を継ぎたいか継ぎたくないか」等という単純な理由ではないのです。 そして跡継ぎを辞退するに至った理由も私のわがままではなく、最後まで自分が継ぐ為に実家と話し合おうとして、それを拒否したのは両親なのに「”お前が”辞めると決めたのだから」もうお前には寺は関係ないと切り捨てられたのです。 実家の寺は単純に切り離せるものではなく、理不尽に関わらされたとはいえ私の人生の一部でした。 それを親から突然「もう関係ない」と言い捨てられたのは、半身をもぎ取られるような思いでした。 いくら跡取りを辞退しようと「自分の意志とは関係なく生まれながらに寺と関わらざるを得なかった人生」の私には、父達が今後の寺をどうやっていくつもりかを聞く権利があると思っています。 しかし、それは実家と揉めた事で私の精神がねじ曲がってしまっているのかもしれないとも感じています。 もう寺の事などは気にしないで自分の人生を生きた方が良いとはわかっています。しかし、上記のような思いがあり、寺を気にしない生き方がわからないのです。 今回は言われたのがメールだったから良かったのですが、目の前で直接言われていたら、私は父を殴っていたかもしれないと思う程でした。 そういう自分がとても怖く、気持ちを切り替える術が何かあればご助言いただきたいです。

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旦那の不倫相手にどう考えていくか

閲覧有難うございます。どうぞよろしくお願いします。 すでに離婚も裁判も終わっているのですが、旦那がイベントで知り合った僧侶と不倫をしました。 私は、結婚していても他の人を好きになってしまうのは自分ではどうにもできない、と思っており、発覚当初は二人が誠心誠意謝ってくれれば許そう。二人の結婚も祝福しようと思っていました。 しかし、裁判中、私を侮辱する発言や、寺ぐるみでの所得隠し、嘘の報告での減額の要請などがあり、結局は謝罪を貰うこともできませんでした。 誰かに吐き出したい。こんなことされた、あんな事言われたと言ってしまいたい。 ですが、親兄弟や友人に相談することもできず、死にたいと思っていても、私が死んだ後の事を考えると躊躇してしまい、死ぬこともできません。 そんななか、不倫相手が旅行に行ったり、楽しそうに他の方とSNSをしてるのを見かけると、なんとも言えない気持ちになります。 SNSを見なければいいのですが、仲良くしてくださってる方に、不倫相手の活動が好きな人がいて、どうしても耳に入ってくるのです。 彼女の僧侶としての活動は、誰かを元気にする有意義な活動だと今も思ってはいます。 しかし、僧侶としての活動と不倫は関係ないのに、どの口が法を説くのだろうか、と、否定的に捉えてしまいます。 彼女の活動は、本当に正しいのでしょうか? また、娘の不義と向き合うのではなく、共謀して、所得隠しまで手伝う住職のいる寺は、必要なのでしょうか? 私には必要ない、でも、誰かにとってはどちらも必要で大切なのです、その事実と折り合いをつけることができず、悶々としてしまっております。 不倫のこと、裁判でされた事を本山に訴え、何かしらの罰を受けてほしいと思っております。 その場合、プライバシーの侵害で、私が罰金刑等を課せられる場合もありますが、彼女に活動してほしくないという気持ちが強く、そうしてしまおうかとも思います。 彼女に活動は続けてほしくない、しかし彼女の活動で助かってる人もいる。 なにが正しいのかわからず、ずっと苦しい思いが続いております、どう考え、心に折り合いをつければいいでしょうか。 長文読んでいただきありがとうございます。 空行が反映されず、読みにくかったらすみません。

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住職に墓守を頼んだ結果

私の家は絶家の運命にあります。 ですが、家族だけで永遠に穏やかに安心して眠れるお墓を建てたいと思い、公営墓地にお墓を建てることにしました。 公営墓地は承継する人がいないと墓地の取得は出来ないとの事でしたので、お寺のご住職に相談したところ、墓守になってくれることを了承してくれました。 その後、墓地の申し込みをしました。 こちらも何もお金を出さないつもりではなく、父が残したお金の中から自分達に出来るだけのお金でお願いするつもりで、ご住職にどれくらい必要か、思い切って聞いた方が良いと思い、聞いてみたところ、とても支払えない高額な冥加金や懇志を請求されました。 墓地の修繕や管理にかかる費用は別です。 合計すると600万円を超える額です。 墓地代をすでに市役所に支払ってしまい、返してもらうことが出来ません。 こちらの家計の話をし、もう少し、なんとかならないか相談しましたが、払えないならこの話は受けられないとの一点張りです。 このようなことをお願いする場合、これくらいの金額は妥当なのでしょうか? もったいないですが、お寺さんに支払えないので、墓地は泣く泣く手放し、もうこのお寺様にはお参りに来てもらうのをやめるつもりです。 若い住職で普段からお金の話と他人の悪口や葬儀社や出入りの業者の悪口などを話し、故人の話やこちらの体調などを気遣ってくれる方ではありませんでした。 大切な家族を亡くしてから、体調を崩しているから月命日のお参りを休んでいたのですが、少しの時間我慢できないのか?とかずっと月命日はお参りした方がいいと思うよ、成仏出来ないよ、と言ってきました。 同じ職業の方の悪口になり申し訳ありませんが、皆様のご意見をお聞かせ頂けませんでしょうか。 よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 29
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生霊か神通力、お寺の方との関係、家の供養

感応 思念の伝達のようなものを感じます。 お寺の方からよく思われておらず、そこの一家から中傷の言葉をよく感じ取ります。 こちらが悪いことを言ったちゃんとした生き方や性格をしてないから快く思われていないという理由も、私自身の性格の汚さが原因なのだろうとは思います。 心の中なので汚く罵りました。 私のことなど、何をしているのか見られているようです。   また、おりんを鳴らしたら知らない女性と見えないもので繋がってずっと詰られていたこともあります。 その女性のことをお寺の人は擁護しました。 直接は聞けていないです。 一応薬は処方してもらってますが効果があるのかは体感としては分かりません。 ずっと批判されている中傷軽蔑嘲笑されているようで、精神的に怒りがおさまらないこともあります。理不尽に感じます。 こちらから心の中で、なじって軽蔑嘲笑したことがあります。 心の中でその人の意思が出てきて声を聞く、など体験しました。 寝ている時に夢の中や起き抜けや入眠前の微睡で声はよく感じます。 お寺の方にご供養のことや御供えの仕方など子供の頃に聞けなかったことが後悔です。 まるで神通力?霊視?のようです。 心臓にダイレクトに来て辛い時があります。 全てを環境のせいにするあなたにわかりません、と言われたのを感じました。 ふとした時にふわっと考え事をしている時に、地獄に堕ちろ、という声が響いて驚きます。 衝撃で勝手に決めつけられたように感じ、それを感じ取り悲しみと怒りで心の中で詰りました。 悲しさと傷と過去のこと、どうしたら良いのかわからなかったことも一方的にキツく言われているのを感じました。 心の中に響きます。 自分自身の汚さもよく感じました。 家の供養のことなど正しい行いを聞かなかったことが自分自身で悔しいです。 おかしなことが起きた時にお寺の方はそれを正しいのだと認めることを言っていたように感じます。 間違えたことはしていない、とも言っていました。 お寺の方と対立し、忌み嫌われたことが悔しいです。 取り留めがなくてすみません。誰かに言いたかったです。

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院内得度しましたが、お寺に行きたくない

ご縁あってあるお寺に通うようになりました。元々神仏様はとても好きで、興味がありました。お経とか読めたらご先祖供養が出来て素敵だなーと思ってました。御住職の法話や説法がよくて1年くらい通ったある時、院内得度の話しがでました。しかし自分は自営業を営んでおりますし、お坊さんになるつもりはなかったのですが、『得度をすると先祖供養にもなるし、たまにお寺に来てお手伝いをしてくれるだけでいいから』と言われ、院内得度をしました。しかし、得度して早々直ぐに叱られたり、月の10日くらいはお寺に行かなくては行けなくなり、自営業の方に影響が出るようになり、気持ちがモヤモヤ、うつうつするようになってしまいましま。でも、得度をやめた人の末路は最悪だと言われたり、神仏を怒らせる事になると言われ怖くて辞めるなんてとても言えない状況です。本山得度は考えておりません。自分は自営業の仕事が好きだし、仕事をもっとやりたいのですが、半ば脅されてる感じです。自分以外にも数人仲間がおりますが、皆、こんな筈じゃなかったと落胆してる始末です。少し福住職(奥さん)の気に触ると集中攻撃されて皆泣かされております。だから仲間は皆、副住職の目を気にしながらオドオドするばかりで、何のためにやってるのかわかりません。お二人が旅行などでお寺を空ける時は仕事が休みの人にお寺のお留守をしないとなりません(皆仕事をもっております)。当然のことながら日当などは出ません。副住職曰く、『お寺でお手伝いが出来るんだから徳の貯金が出来る有り難い事です』と言われます。 最近は家族から呆れられて行かないでくれと言われます。もう辞めたいです。でも辞めたら祟られそうで怖いです。

有り難し有り難し 14
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ