皆様に大変ご好評をいただき、ご質問が殺到しています。

回答が追いついておりません。お坊さんから丁寧にご回答いただくため質問受付数を制限させていただいております。大変申し訳ございません。

お坊さまの言葉

先日は母の四十九日法要でした。
私は檀家等のつながりが無く某密林サイトにてお坊さまを依頼させていただきました。

来られたお坊さまはきちんと経をよんでくださり法要としてはとても満足のいくものでした。
ただ、経が終わり帰り支度をしながら「次は100日の法要を必ず実施してください。でないと故人はお釈迦さまの元へはいけなくて追い返される」みたいなことを言われました。
今後の法要の予定として言われたのだろうとは思いますがその話だけをしてサッと帰られました。
私はこのお坊さまのおっしゃられた事に間違いはないとは思いますが、もし私がお坊さまの立場なら、お金の余裕が無く簡素なお供えではあるけども、故人を思い一生懸命な遺族に対して今日の四十九日法要を無事に実施できたことに対しての労いと、これで故人も安心して旅立てます、だから残されたあなた達は安心してしっかりと生きていきなさいよくらいのことは言ってあげると思います。
死んだ人だけでなく残った遺族に対しての救いになるような言葉かけて道を照らしてあげるのもお坊さまの使命ではないでしょうか。
単に法要の管理だけならCDで流すお経とあまり変わりはないのかな?なんて思いました。

お葬式・法事
有り難し 30
回答 4
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

坊さんの仕事は人を幸せに導くこと

坊さんの本当の仕事使命は何なのか?
自問自答させるいいご質問だと思います。

ついつい独りよがりのお話をしてしまう、自分中心な自分。
感情に流されて、喪主の方のお話に涙ぐんでしまう情に流されやすい自分。
偉そうに忠告助言をしてしまう唯我独尊的な自分。
お粗末だなと思い知らされました。

葬家の方にとってどういうお話をしたらいいのか?

それは亡くなった方の供養のために、
全身全霊魂魄を込めて、阿弥陀様におすがるするだけではなく、
これから人生を歩んでいかれる方にどのような話をしたらいいのか、
亡き人をご縁して命の儚さ、切なさを語り、
だからこそ、今日一日を前向きに楽しく生きてまいりましょう!
と締めくくるさせていただきたいものですね。

坊さんが発すべきは、やはり【愛語】です。
優しいことば、思いやりのある言葉、
癒える、安らぐ、落ち着く、ほっとする、
そういう言葉を語りかけたいと常に思っています。
そういう意味で、100日法要をしないといけない。
というのは一種の強要です。
そんなことはありません。絶対に!

往生された方はもちろんのこと、
葬家のみなさんも一気に極楽気分になれるような、
お話をしたいですね。
四十九日は納骨、埋葬をしてひとくくりです。
お疲れさまでしたと、ホットするようなお声を
おかけしたいものです。
人生の先輩に偉そうなことを申し上げました。

百箇日は卒哭忌(そっこくき)ともいいますが、
「哭」は、声をあげて泣きさけぶ、「卒」は、終わる、という意味です。
故人を思い、泣き悲しんでいた親族や近親者たちも泣くことをやめる頃、
それが百箇日を迎える頃ということです。
最近は、49日の納骨で一区切りではないぜしょうか。
百箇日法要のお声がかかることは少ないですね。

供養は本来おもてなしです。
ようこそいらっしゃいました。
大したお構いもできませんが、
心ばかりの御接待をお受けきください。
そんな気持ちを大事にしていきたいものでございます。

愚僧は愚かものですが、阿弥陀様に救っていただける
ことが確定しているので、スーと極楽浄土に上がらせて
いただきます。地獄には行きません。

どうぞ、お元気で、そして楽しく明るく
人生をお楽しみください。

回答僧

圓常寺

聖章

この度はお悔やみ申し上げます。
南無阿弥陀仏

あなたの言われる通りですよ。
密林の利点は依頼するお坊さんを簡単に変更できるところだと思います。
いいお坊さんに出会うまで変更してもいいのです。
そもそも100日の供養をしないとお釈迦様の所へ行けないなど聞いたことがありませんし。
法華経にもそんな事は書いていません。

次回は他のお坊さんを要望しましょう。

「仏心」

ふな氏様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

誠に「他山の石」として自省致したいご質問内容でございます。

また、僧侶は、決して、AI(人工知能)には任せられないのだろうと改めて存じました。私たちは法要・読経マシーンではないということでございます。

私たちが、仏教を基に「真心」というものを持って、皆様と向き合うためには、「仏心」(それなりの幅はそれぞれにございますが)が欠かせないものにもなりますが、その「仏心」(あえて他に表現しますと、釈尊成道以来、悟りへ至るための法の流れの存続)は、数字やプログラミングでどうにかできるものではないというものでもございます。(仏教では、難しく申しますと、戯論寂滅とか言語道断、離言真如とか表現致しますが、とても言語化できるようなものでない領域も扱うものとなります。)

しっかりと「仏心」を育てて、その「真心」にて皆様と向き合えますように、日々、努めて参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

ふな氏さんの思い理解できますよ

 この度は、本当にお母さまには心からお悔やみ申し上げます。ふな氏さまの御質問の内容わかりましたが、某密林サイトのお坊さまは何度か招待される事を思われている事で、収入を得られるので、百ケ日のお願いをされたのだと思います。押し売り坊さんですねぇ。自分は地方では考えられない事ですねぇ。
 ふな氏さまが某密林サイトに依頼させて百ケ日の法要されても結構ですし、本山や別院の本堂で命日という事で依頼されれば良いかと思います。いい加減で失礼しました。 合掌


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