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孤独に打ち勝つには

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現在実家近くで一人暮らしをし二年ほどになります。更新月を期に同棲の話が出ていましたが破綻になりました。
恋愛が上手くいっていないことが大きいかと思いますが、最近孤独感に押し潰されそうになります。
職場の方は皆さん家庭をお持ちで、誰がしかと同居されています。
私はといいますと、母親と二人暮らしでずっと暮らしてきましたが自炊の練習の為に一人暮らしを始めました。今は家事も慣れ戻りたい気持ちもあったのですが、母は母で新しくできた彼氏との生活もあり実家に戻りにくくなりました。

家に帰って一人で部屋にいる時間が日々苦痛に感じてきてしまいました…。どのように気持ちを持っていけば良いのでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

みんな一人だということに気づく

恋愛がうまきいかないときは、周りの友達やカップルを羨ましく思い、自分だけ一人ぼっちのような気がすることはよくあります。一人暮らしをしているとさらにそんな気がするのでしょう。

しかし、よく考えてみてください。わたし、という存在は、生まれてこのかた、ずっと一人ですよ。この身を以てずっと生きています。結婚して家族を持ち、子供がいてもみーんな、自分の体でしか生きることはできません。相手の心の中まで全部見えることなんて絶対にありません。

人とはそういう存在なんです。しかし、それで満たされています。孤独なわけではありません。自分の過去や他人と今を比べてどうこう言っても愚かなだけでしょう。この世には今しか存在してないのですから。そして満たされていることに気づいてください。恋人がいる事人生のすべてではないですよ。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

孤独なのも今のうち。

家族のある人は、逆に「ひとりになりたいな~」と思っても、
なかなかそういう時間がとれなくなります。
今はそういう時期なのだと思って、思いっきりひとりを満喫してみるのはいかがでしょう。

読書してみたり、テレビゲームにはまってみたり、
自分好みのDVDを観倒したり…。

ひとり飲みして、どんなに泥酔しても、どんなに遅く帰っても、
誰にも文句を言われません。
なんと楽しい日々なのでしょう。

そんな生活をしているうちに、きっと、
趣味を通じて仲間ができたりして、
孤独から解放されます。
楽しく過ごしている人のまわりに、
人は集まるものです。

だから、孤独なのも今のうちと思って、
今のうちに満喫しておいてください。

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おきもち

浄土宗の佐山と申します。 浄土宗教師の資格を得たあと、10年間のサラリーマン生活ののちに、この羅漢寺にお世話になり、2014年に住職として晋山いたしました。 現在は、「ここより」というサイトの編集長を務めています。 まだまだ悩める道の途中ですが、少しでも皆さまの力となれるよう、がんばります。

仏法僧

仏は大いなる導きの師
法は苦を癒すよき薬
僧は和合の集いにしてすぐれたる友

自分の存在は天地にたった一人です。
絶対なのです。
天上天が唯我独尊。
誰もが皆それぞれ固有の生命体です。
カブトムシはカブトムシを、キューリはキューリを、人間は人間を、私はわたしを生きています。
同じ感性の人と出会うことをお勧めします。
仏法僧の僧とは、僧侶の事ではなくて「真実・やすらぎを求める和合の集い サンガ」です。
個人思想や個人快楽に走る人たちもみな孤独なのです。
でsも、それは相手がいなくなればいつか滅びます。
壊れないものをよりどころとしてください。
それが仏法僧です。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

御礼が遅れまして大変申し訳ありません。
心温かい回答ありがとうございました。

邦元様>失恋し、視野が狭くなっていました。人は全て、平等に一人ですね。
そして自分が今、周りに支えられ満たされていることに気づくことができました。ありがとうございます。

佐山拓郎様>ありがとうございます。現在は一人でいることに以前より孤独を感じることなく、共通の趣味を持つ仲間と知り合い心が満たされてきました。今のこの時期を満喫して、楽しみたいと思います。

丹下 覚元様>自分だけが孤独なのだと思っていましたが、誰もが孤独なのですね。
私は私の命を、もっと大切に生きたいと思います。感性の似た人と出会えるよう、もう少し外へ出る機会を、気持ちを前へ持っていけるように心がけます。

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