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初盆の檀家さんに配る冊子でオススメがあれば教えてください!

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hasunohaのみなさまいつもお世話になっております。

浄土宗の僧侶 なむたろうです。

まもなく8月のお盆を迎えるわけですが、毎年この時期になると初盆のお檀家さんから「お盆の飾り付けはどうやればいいですか?」といった質問を受けます。

そこで、お檀家さん向けにお盆の冊子を配ろうと思うのですが、オススメがあれば是非教えてください!

どうぞよろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

寺報の中に お盆の特集として書くこともあります。

8月お盆、もうすぐですね(7月盆の地域もあるでしょうが)。

私は浄土真宗本願寺派ですが、毎年 出版社で、100円で、ご門徒さまに向け 冊子が作られます。浄土宗でも、そういったものがありそうな気がしますが?
そういう冊子や資料を参考に、お盆のお便りを書いて配っています。
冊子を買って お配りする時もあれば、自分で 寺報の中に お盆の特集として書くこともあります。
短めで 読みやいもの、分かりやすいものが、一番ですよね〜(*^^*)

暑い夏を、頑張って乗り切りましょう!

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はじめまして(*^^*) 中田みえです。 住職として、高校生の息子の母親...

自作も良いかと思います

なむたろうさま

おお、お坊さんからの質問って初めてではないでしょうか!?
真宗高田派の浦上哲也と申します、よろしくお願いします。

お盆に限らず、仏事のしきたりや作法など、地域によってかなり違いがありますね。
もちろん宗派によっての違いもありますし、宗派・地域が同じでもお寺によって違いが出ることもあるかと思います。

私が最近考えたのは、「自分のお寺用 初盆リーフレット」を作ろうかな、ということです。これでしたら、各ご住職の考えに沿った内容をお檀家さんにお伝え出来ます。

最初は少し大変ですが、一度作れば毎年使えます。
私は、今年は間に合いませんでしたが(7月盆地域なので)、来年に向けて考えてみようかと思っています。

ちなみに、通夜葬儀用のリーフレットは自分で制作し、印刷会社に刷ってもらいました。
ご親族と弔問者の予想人数をお聞きし、お通夜の日は早めに会場に行き、受付に置いてもらっています。

直接のお答えでなく、申し訳ありません m(_ _)m

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

絵本もしくは自作されては

こんにちは!
浄土宗のような大きな宗派でしたら、宗派出版のものがございませんか?
仏教関係の各出版社でもいろいろと出しておりますが、正直、内容が難しいな、と感じるものが多いです。

予算がおいくらか分かりませんが、高くてもいいのなら市販の絵本などいかがでしょう。
『いつでも会える』菊田まりこ 学研
・こちらが思えば、亡くなった方にいつでも会えるんだ!
『おじいちゃんのごくらくごくらく』長谷川義史 すずき出版
・浄土宗だとこちらはいかがでしょう。ごくらくという言葉でおじいちゃんを思い出します

他にも「死による別れ」を扱った絵本はたくさんありますので、なむたろうさんが伝えたいことに合致したものを選ばれては。

またせっかくのチャンスですからご自身でリーフレットのようなものを作られたらいかがでしょう。うちの寺は、7月の終わりに新盆の各家にお集まりいただいて、自作の資料を配りつつ90分ほどかけて、お盆の起源、お飾りの仕方とその意味、お迎えや送り、etc.&法話、法要を行っています。お飾りについては地方により特色があるので、なおさら自分で資料を作るべきだと思います。

※後半、浦上さんと重なってしまいました(^^;) 毎年少しずつ改訂されればいいと思います。私も今配布しているものに行きつくまで10年近くかかってます…

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住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...

法施

なむたろう様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

施本・・拙生も法施として皆様に配布させて頂くものについては、いつも悩むところでございます。それぞれネットにても発表(題名を検索して頂けましたら内容を見て頂くことが可能です)をさせて頂いてはおりますが、ネットを見られない、見ない方のことも考えますとやはり紙媒体としても施本をお渡しすることは必要であると考えております。

法要の際には、自作の施本と、そして市販のもの、隔月発行の寺院だより(A4一枚・表裏)と併せてお渡しさせて頂いておりますが、市販のものは、たいてい転法舎にて調達をさせて頂いており、たまに梵企画のものも調達させて頂いております。

転法舎
http://members3.jcom.home.ne.jp/tenbou/
梵企画
http://www.bonplan.co.jp/

拙生の場合、これまで自作の施本シリーズとしては、下記のように発行をさせて頂いております。当初は拙生の自費にて作成させて頂いておりましたが、そのうちに役員会で認められてお寺から出させて頂くこととなりましたものの、初期の施本は予算的に500部で30~40万円ほどと高額なものでありました。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」
施本「仏教・空の理解」
施本「仏教・空の理解から学ぶ」
施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」

最近ではあまり高額なものは、やはり経費を圧迫するため、自作コピー機にて小論を配布する資料として作成致すものと、ある程度文量がございますと印刷業者に頼んでホッチキス止めの簡単な体裁として調えるもの、予算的には500部で5~7万円前後と、分けて作成をさせて頂いております。

最近の小論・自作コピーとしては、

『空と縁起』~勝義菩提心と勝義方便~
『空と縁起と』~仏教の存在論~
『東日本大震災に思う』

簡単な体裁として調えるものとしては、

『十三仏 追善供養を司る如来・菩薩たち』
『菩提心論』
『自らを灯明と化した菩薩たちの願い』~チベット問題・焼身抗議を考える~

などがございます。

法施においては、市販のものだけに頼るのではなくて、やはり、法話と併せて自作の施本も加えて、これからも精進して法施についても努めて参りたいと存じております。

川口英俊 合掌

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質問者からのお礼

hasunohaのご僧侶の皆さま

使い方が分からず、返信が遅くなってしまいました…たいへん失礼いたしました。

この度は、お忙しいところご回答賜り有り難うございます。

やはり自作がよろしいという結論に達しました。
自作を逃れたくて、なんとかいいものはないかと尋ねたのですが…納得いたしました。

どうもありがとうございました。

なむたろう 井上広法 九拝

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【高野山真言宗】亡僧位牌の書き方

曹洞宗僧侶です。 真言宗、特に高野山真言宗の先生にお伺いしたいことがございます。 先月、10年以上、日々托鉢と托鉢行で縁のあった方のご法務のみで、如法に生活されていた高野山真言宗の僧侶が遷化されました。(この話でどなたかお分かりの方もおられるかもしれませんが、詮索はされないようお願い致します) 私も現在、お寺に身を置き法務を主軸に生活はしているものの、暇があっては托鉢は極力欠かさぬよう行っておりますが、今日そのように行乞に歩めるのは、その真言宗の先生が、托鉢の先達として現代社会での(道場ではなく個人での)托鉢の在り方を、言葉や姿勢で示して下さったからこそにあると思っております。 件の先生とは、私が托鉢を始めてから間もなくご縁があり、以来、宗派こそ違えど同じ托鉢を行う比丘として垣根なく接して下さりました。 その先生なくしては、私は今日まで托鉢を継続することは出来なかったことでしょう。 その報恩感謝を示したく、遷化より四十九日に当たる日に件の先生が托鉢されていた地にて、ささやかながら亡僧諷経をお勤めさせていただこうと予定してております。 そこでなのですが、当日はその先生のお位牌をご用意し、お経をお勤め致したく考えておるのですが、真言宗の亡僧位牌の書き方が分からず、真言宗の先生方にそのご教示を頂きたいのです。 曹洞宗の場合ですと上から「【〇〇第〇世比丘(住持職の場合)】【道号】【法名】【僧階】」となりますが、今回は【道号】に当たる部分は分からず【僧階】についても、以前僧籍簿の写しは拝見したことがあるのですが、正確な僧階が分からない為(一応、住持職に付ける最低限の僧階とは仰ていました)、遷化された真言宗の先生に対する適宜な尊称にて代えさせて頂ければと思うのですが、どのような尊称が相応しいと思われますでしょうか。 周囲の高野山真言宗の先生方にもお伺いしようと考えておりますが、これは同じ宗派でも地域や法流によって様々であるかと思われますので、ひとつでも多く参考になるご教示があれば幸甚でございます。 何卒宜しくお願い申し上げます。 合掌九拜。

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坊さんなのにこれからの将来が見えない

実家が寺で、仏教系の大学に通っている僧侶見習いです。 僧侶が社会システムにおいて必要とされる意義が「人に仮初の夢を見せて心のケアをする」以外しか見いだせなくてこれからの将来に絶望しています。 僧侶は、昔みたいに医者の代わりや教員の代わりをする訳でもなく、月回向や葬儀関連で人々の心を慰めるくらいしかしていません。 僧侶が利益(りえき)を得ることを人々は否定します。実際、聖職であるが故に本来は金銭を対価に何かをするというのはあまりに俗に塗れているような気がします。布施はそれ自体が神聖なものであることは分かっています。 しかし結局のところ、(観光という商売をしている寺は除いて)寺やそこにある僧侶という存在は「嘘をついて金を檀家さんや信者さんから貰う」ものに過ぎないのではないか?と思ってしまっているのです。 道徳を説くならそれはカウンセラーでも哲学者でも構わないわけです。 では僧侶が持つ他とは違うアイデンティティとは何かと言ってしまえば「仏教という仏になる為の指針」なのですが、結局のところ今の今まで人の身で完全に釈尊(応身)と同じステージに立った者もいない訳で。 本当に仏となることが出来るかも分からない教え、しかも数多の偽典があるであろう経典の内容を引いてきて、悩める人々に滔々とそれを説く。自分の中ではこれから自分がなる僧侶という職は、そんなもののように思えてしまいます。 私よりも遥かに経験を積み、たくさんの経典を読んだここにいらっしゃるお坊さんの方々に、私の悩みをただ、聞いて欲しいです。そして願わくは、自分の中の仏教に対する、僧侶に対する悪感情を解く何かを教えて欲しいです。 散文的になってしまい、申し訳ありません。宜しくお願いします。

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師僧との関係と僧籍について。

この分野には詳しくありませんので、恥ずかしながら諸大徳にご相談致します。 私の師僧(60代独身)についてなのですが、元々精神的な問題を抱えている人で、感情が高ぶると御葬儀の場やお法事の席でも大声で叫んだり、真言宗の住職でありながら真言宗や弘法大師を否定してカルト宗教に入ったり、お檀家さんや周辺とも何かとトラブルが絶えない人なのですが、数年前師僧の母親が怪我で入院した頃からさらに言動がおかしくなり、私にも「これからは毎日8時間無料で留守番しに来なさい。」等々無理難題を言ってくるようになりました。 それまでも師が母親を病院に連れていく日などには勿論留守番やお手伝いにはこちらから行っていたのですが、それで何を勘違いしたのかだんだんと要求がエスカレートしてきた状態です。 ちなみに私はお寺に雇われているわけではなく、役僧でも内弟子でもありません。 2,3か月に一度御葬儀の助法をする程度なので、普段は他の仕事で生計を立てており「私も生活があるのでさすがに毎日無料奉仕というわけには・・・」とやんわりお断りしたところ激昂されてしまい、「そんな薄情な事を言うなら師弟関係を解消させてもらう!!」と怒鳴られ師弟関係を人質に度々大した必要性もないような用事などに呼び出されております。 近所に買い物に行くだけのほんの数十分程度の外出にも留守番に呼び出されるので、仕事場からも「そんなにしょっちゅう休むんなら辞めてほしい。」と通告され、年齢的にもかなり厳しい状況です。 その旨を師に伝えても「弟子が師匠のために多少の犠牲になるのは当然の事だ。」等々しれっと言うので最早信頼などとてもできませんが、それでも在家から苦労して20数年なんとか必死の思いで続けてきた僧籍だけは消したくないと思い、ギリギリまで我慢してきましたがこれ以上の師の要求はとても受け入れられず、離弟(僧籍削除)してもらうしかないかと覚悟しております。 総代会も30年余りの間に正式に開かれたことはほとんど無い状態で、相談してもどうにもならない状態です。 そこで離弟する(僧籍が無くなる)ことでどういったデメリットや僧侶としての行動に制限が出てくるのか、師僧が無くてもできることはあるのか等、様々なパターンについてお詳しい方がいらっしゃいましたら御教示いただきたく思います。

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はじめまして。 自身もお坊さん(住職)なのですが、悩んで悩んでこちらに投稿させていただくことにしました。 お寺に生まれ育ち、一般企業への就職を経て、僧侶とならせていただきました。長女ということもあり、跡取りの第一候補です。 ですが、「この人なら」と思えたパートナーもまた住職&遠距離に自坊があり、そのままでは結婚が難しい状況です。 幸いにも互いの両親に理解があり、それぞれのお寺をうまく運営する方法さえ見つかればというところなのですが、考えても考えてもうまい着地点が見つからず、時々諦めそうになってしまいます。 実はこれまでにも、わたしがお寺の跡継ぎということが原因で他の方と結婚が破断になったことが2回あります。また、年齢のことからも出産を急ぎたく焦る気持ちもある中で、なんのために息をするのか、生きる意味がわからなくなってきてしまいました。 お相手方のお寺は自坊よりも大きいこと、かつ、わたしの両親は自身にお寺を継いで欲しい気持ちが強いことから、私自身が双方のお寺を行き来する形で考えていたものの、それも難しそうです。 わたしの両親は、私自身のしあわせよりも、今日までのお寺を維持してきた自分たちの苦労が血縁者に受け継がれることの方が大切なんだろうなという発言もあり、心がポキっと折れてしまいました。 最近では徐々に御教えもありがたいと思えなくなってきてしまい、板挟みになって涙が止まらなくなってきています。 こんな私ではだめなんだろうな、でも今度こそはこの人と一緒にいたいだけなのにな、という思いではりさけそうです。 死にたいの単語ばかりよぎってしまいます。 お寺を捨てたいわけじゃない。 でも、自分の幸せはどこにあるんだろう。 どうかこの先のヒントだけでもいただけると嬉しいです。 よろしくお願いします。

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お上人方にご相談です 私自身は、寺の長男一人っ子として生まれで父が実父であり師匠となっています 父は、都会の檀家1000件の大きなお寺の三男として生まれ、修行はどこへも行っていません。人の紹介があって、今のお寺(地方寺院、檀家200件)に婿にきて私が生まれました。 先代(私の祖父)はもう20年前に亡くなり、父が新住職として主導しております。 私は、幼い頃から父とは親子仲はよくなく、高校卒業と共に大本山の小僧として入り、その後、父から「うちにはお前の給与はだせないから、他で勤めなさい」と言われ、昨年末まで都会のお寺で勤めさせて頂きながら、そこのご老僧に配慮を頂き宗門の修行はすべていくことができました。(費用は寺から出なく自費で出だしてきました) 昨年末、勤め先のお寺もご老僧から若上人へ代が変わり私も仕事が無くなり、言わば退職となり、自分の年と両親の年など考え、正月から実家の寺に戻りました。 僧侶となってはじめて、師匠と一つ屋根の下で暮らし始め、いろいろ気づくことが増えてきました。 1、お寺のお金をおよそお寺の活動とはほど遠い趣味の分野としてお金を使っていること 2、お経を法事葬儀以外朝夕のお経などを一切あげない、本堂にすらはいらないこと 3、風俗へ通っていること 4、母への暴言 5、私には仕事はさせないこと(することもないので、自費でゴミ袋と箒を買って掃除をします。それも嫌な顔をされます) 6、給与は月に50000円頂いています(食事は三食寺で頂き、寝るところは幼少の時の部屋があります) お寺には貯蓄はなく、借入金もあるそうです。(総代さん曰く) 親子とは言え、出家した時点で親子でなく子弟であり、僧侶として師匠と弟子との関係は絶対であるという認識でいます。しかし、上記の理由など疑問に思うことが多くここのところ悩んでいます。 師匠の僧侶としてのあり方に異を唱えることは果たしていいことなのか? それとも、黙って反面教師としてでも仕えるということが進みべき道なのか葛藤しています。 ことあるごとに、「だれがここを継いでもいい」と後継はお前で無くともということをちらつかせています。今まで一度も反論したことはありません。 恥ずかしい話し、仲間にも顔を合わせて聞けずにいます。 どうすべきなのでしょうか?

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こちらに書き込むかどうかで逡巡しましたが、意を決して記すことにしました。ご教示下さい。長文になりますことをご容赦願います。 師僧との関係で悩んでいます。 お寺には師僧と私の2人です。先輩や事務員もいましたがそれぞれ辞めました。 私は前職も宗教関係だったのですが、物足らなさを感じて道を求めていたところ求人で現職のお寺を発見し応募しました。 足腰が少し悪く、過去につらいことがあり長く闘病していた期間があることが不安で、例えば学校などに行く勇気と経済的余裕はありませんでした。またいささか年齢も余裕がありません。 そういった事も踏まえた上で即採用でしたのでとても嬉しかったのです。当時は泣きました。 しかし先輩が辞めてからというもの法事や通夜やお彼岸のお参りほぼ私が行くようになりました。加行をしながらでしたので休みはなく、数回軽度の自損事故もしました。車は持ち込みなので自費で直しました。 一番つらいのは何かあると全て私のせいにされることです。お布施が合わないと言われ私が盗んだかのように言われました。結局お布施は数え間違いだったのですがそれから言及はありません。 先日は寺務所から机がなくなりました。修行僧に机はいらないとのことでした。ですが私しか事務をするものはいません。 私はお寺がとても好きです。知識も足りずあまり真面目な性格でもありませんし、俗っぽい人間ですが仏教が好きで、話や檀家さんとの付き合いも大好きですし得意なつもりです。 しかしながら師僧との関係に悩んでいます。周りに僧侶がいないため孤独です。修行とはこんなもんだ、お寺とはそんなもんだということなのでしょうか。 小さい頃から誰かに都合よく使われることばかりの人生だったので萎縮してしまい、唯一の希望であった道がこのような感じで絶望にくれています。支えてくれる人がいますが、自死すら頭によぎることがあります。 なんとか加行を終えましたがそのあとの沙汰はありません。なので辞めることも出来ません。耳に挟んだところによるとこのような行では他では通用しないとも聞きました。 とりとめなく書き連ねましたが、一体私はどうしたら良いのでしょうか。私自身は好きなこと得意なことで身を立てるのがこの形で生を受けた意味だと考えていますが、この道は諦めるべきなのでしょうか?

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