気持ちの切り替えができません。
ちょっとした失敗や、恥ずかしいことがあると何日も何日もそのことを気にしてしまい、辛いです。
友人達に言わせたら「そんなことで」というレベルのことでも、くよくよ悩んでしまいます。
どうやったらもっと楽天的になれるでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
失敗することは良いことです。
はやとさんへ
くよくよ悩む自分が辛いんですね、私も10代の頃は人の目が気になり、「失敗したら格好悪いな」と考えたり、恥ずかしい思いをしたら「何か影でいわれているんじゃないか」などと考えることもありました。
失敗することは恥ずかしいことだと考え、できない自分を受け入れられないのでしょうか。
解決策としては、失敗や問題が気にならないくらいにあなたが大きな人間になることです
一つだけお伝えしておきましょう
失敗したくなければチャレンジしなければいいんです、そうすれば一生失敗することはありませんから、しかしそれでは一生あなたは今のあなたのままです。
チャレンジすれば高確率で失敗します、なんだってそうなんです、慣れるまではたいてい失敗するんです、それは全く恥ずかしいことではありません。
大きな人間がなぜ大きな人間になったかわかりますか?それは、その人がより多くの失敗を繰り返して来たからです。
失敗したことのない人はチャレンジもしてこなかった人です、そのような人は失敗するまでの苦労をしりません、ですから失敗する人を笑うのです、「そんなこともできないのか」ってね。
でも、失敗をたくさん知っている人はチャレンジする人を応援するものです、「わかるよ、お前のつらさ、がんばれ!!」ってね
ちょっとした失敗をくりかえさなければ、大きなチャレンジもできませんよ、はやとさんあなたは確実に今より大きな人間に成長しようとしているんです。
たくさん失敗してください、楽天的とはポジティブとは少し違うと思います、楽天的とは「問題にであっても必ず解決できると確信すること」だと考えています
私は今は解決策はわからない(うまくできない)が必ず上手くできるようになる!!ってね
問題を後ろに置いておいて、前を見て「ヤッホー、私は幸せだー」っというのは楽天的やポジティブとは言わず「現実逃避」といいます
そんな小さな人間にはならないでくださいね
10代の頃は些細なことも恥ずかしく感じるものです、しかしそれもあなたがおおきな人間になれば解決されていくのではないでしょうか
「悩む」から「考える」へ
はやとさん
10代とお若い方なのですね。
同じような年頃の自分を思い出すと、今より悩み多かったかもしれません。
おじさんになるに従ってふてぶてしくなったような気がしますが、今、悩んでいるはやとさんにそれを言っても、何の助けにもなりませんよね (^_^;)
悩む・恥じる、というのも大切なことだと思います。変に楽天的になる必要はないと思います。
「恥じる」が無ければ「次は失敗しないようにしよう」という向上心も芽生えません。
かと言って、辛くなるほど悩み深いのも問題ですね。
私はいつからか「悩む」→「考える」に方向転換した記憶があります。
私の中では、「悩む」は後ろを見てその場にとどまるイメージで、「考える」は、前を見て進むイメージです。
考えて、「次はこうしよう」と気持ちが定まったら、悩みは悩みで無くなっているかもしれません。
いかがでしょうか。
「慚愧」(ざんき)
はやと様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。
「ちょっとした失敗や、恥ずかしいことがあると何日も何日もそのことを気にしてしまい、辛いです。」・・私も若い頃も今も変わらずに、はやと様と同じであります。
ちょっとしたことでも気にせずに流すことができたら良いのでしょうが、なかなかそうもいかず、悩んでしまうことが多々でございます。
はやと様には難しい言葉かもしれませんが、仏教において「慚愧」(ざんき)という言葉があります。これは善い行いとして推奨されていることであります。
「慚」は、自分の心の中にて悪いことを反省したり、恥じたりすることです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/慚
「愧」は、悪いことを恐れたり、または他の者に対して反省や恥じたることを表すことです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/愧
このウィキペディアの説明の中では、涅槃経というお経において、「慚愧」が無ければ、「畜生」(動物たち)と同じであるとまで厳しく述べられてもいます。
ですので、はやと様がこの「慚愧」をなさられていることは、実に尊いことでもあり、あまりそのことを気になさられることもないかとは思っております。
逆にあまりにも楽天的となってしまって、反省することや恥じ入ることをせずに、「慚愧」を無くしてしまえば、短絡的な生き方や刹那主義的な生き方、傲慢・高慢な生き方、無恥無礼な生き方にも繋がってしまう恐れもありますから、十分に気を付けないといけないと考えております。
以上、難しいことを述べさせて頂きましたが、私も色々とこれからも大いに反省し、恥じ入ることをしながら、できる限りに善い生き方を心掛けていくことができましたらと思っております。
是非、共に頑張って参りましょう。
川口英俊 合掌
はやとさん、こんにちは。
ささいなことでも、失敗・恥ずかしいと感じることがあると気にしてしまう、悩んでしまう。
くよくよ悩まないようになりたい。楽天的気持ちの切り替えが出来るようになりたい。
・・・というご質問ですね。
向上心というか、篤学の心をもつ方なんですね。
すばらしい。10代のわたしにも言ってやりたい。。。
なぜそうなってしまうかの理由は二つあるかと存じます。
ひとつ、あなたの回りが失敗を許さないから。
ひとつ、あなた自身が失敗を許さないから。
さて、はやとさんには居場所がありますか?
学校ですか?家ですか?習い事ですか?インターネットですか?ご近所ですか?
解決策の一つは、多くの居場所をつくることでしょうか。または、場数を踏む。
学校は狭いです。ちょっと何かすると、すぐ広まって、しかも後を引きます(例:変なことをして、ずっとあだ名がついてしまう)。
近所もそうです(だから、ご近所づきあいは難しい)。家もそうかもしれません(受け入れる優しさ&継続性が一番大きい場所です)。
受け入れる優しさ=やりなおしがきく、ということです。
人間というのは他人の不幸を喜んでしまう場合があります。また、一度の失敗を許さないことが多いです。
あなたのまわりはどうですか?かといって逃げ出すことは出来ないでしょう(退学するのは・・ちょっと)。それならば、学校は学校として置いといて。ほかの居場所を見つけましょう。
ただし、インターネットは自由すぎます。ここは完全なる居場所にはなりません。休憩所、一時避難所です。
そうやっていろいろな居場所を経ることで、場数をふみ、あなた自身。自分のことを許せるようにもなるでしょうし、まわりの人も許せるようになるでしょう。
すると、気持ちの切り替えも、できるようになるかもしれませんね。
その友人達を大切にしてください。
はやとさん
あなたが悩んでいるときに声をかけてくれる友人達。話を聞いてくれる友人達を誇りに思うべきです。楽天的になりたいなら、私は答えは言えませんが、色々な友人の姿をみて参考にしていくことが大切だと思います。『学ぶ』は『真似る』からきているのですから。もちろん色々なところに教科書は隠れていますが・・・。
ちなみに、私は悲観的な性格のため、学生時代、友達が、特に信頼できる友達がいませんでした。これ以上は書きませんが、ご想像にお任せします。
それもその人の個性
人にとってはたいしたことの無いことかもしれませんが、
本人にとっては重大なこともあります。
私も小さな事を引きずることが多いのでその気持ちは分かります。
座禅でもしてすぐその事が忘れられると言うことでもありません。
(忘れられるまでやっていられれば違うかもしれませんが)
私は「TFT」(思考場療法)というタッピングの手技を用いています。
しかし、その人に合ったやり方があると思います。
もちろん仏教もそういう苦しみから抜け出す、
方法に溢れています。
自分に合うやり方を今後の人生の課題として探して下さい。
はやと様。
何事にも捕われない心。
執着しない心
此れを基本に考えれば、何事にも悩みは少なく成りますが、
貴方は今十代ですから、色々と悩み事が有って当たり前なのです。
悩み事の無い十代は、青春では有りませんよ。
悩む事で、今後の成長の糧と成るのですから…
それと、楽天的に成れないと有りますが、無理に楽天的に成らなくても大丈夫です。
誰もが楽天的では有りませんから…
質問者からのお礼
お忙しい中にも関わらずお答えいただいた僧正様方に深く感謝いたします。
皆さんのお答えを拝読し、自分が悩むこと自体を完全にネガティブなものだと捉えていたことに気付かされました。
失敗を糧として大きな人間に成長できるよう、精一杯悩み精一杯恥じて生きてゆこうと思います。
またご厄介になることがあるかもしれませんが、どうぞ今後ともお導きくださいますよう心からお願い申し上げます。
重ね重ね、ありがとうございました。