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人間関係に疲れて孤独感を感じます。

回答数回答 3
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最近人間関係に疲れます。

家族ではなく、他人との人間関係です。

子供の成長に合わせてその時その時親しいママ友がいますが、子供が離れれば親同士も会わなくなってしまう程度の関係です。

PTAの役員なども経験して他人の裏側を見たこともあり、表面仲良く振る舞っていても実際どう思っているのか分からないと感じてしまいます。

長女は比較的器用なタイプで賞状をもらったり、習い事のダンスでセンターをつとめたりしています。

器用なタイプとはいえ評価してもらえるものはそれなりに努力をしています。

それなのに、妬んでからんでくる子がいます。

長男は努力家なわりに中々結果に繋がらないタイプで、勉強は真ん中よりは上だけど、運動は平均よりも出来ません。

「本人は自分なりに頑張っているから」と気にしていないようですが、男の子で運動が苦手だと馬鹿にしてくる子がいます。

私は結婚してから10年以上専業主婦です。

専業主婦であることを妬んで「楽している」と思うような人もいます。

恵まれていれば妬まれ、劣っていれば馬鹿にされ、それでも表面上はニコニコと付き合っていくことに疲れてしまいます。

学生の頃のように心から信頼出来る友達がほしいと思います。

おそらく自分と近い環境の人となら親しくなれると思いますが、中々そういう人がいません。

学生の頃の友達はそれぞれ家庭を持ち、年に1〜2回しか会えません。

主人は優しく、家族に恵まれているにも関わらず孤独感を感じることがあります。

長女はお友達関係が複雑になってきた年頃で、よく話を聞いてアドバイスをしてきましたが、自分がこんな風に感じると自分の人間関係の築き方が正しかったのか不安になり、アドバイスしながら自信が持てなくなる時もあります。

長々書いてしまい、申し訳ありません。

結局割り切ることしかない、と思ってはいるものの孤独感を感じると自信がなくなってしまいます。

どういう心持ちでいるべきか、ご教授下さい。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「私は私」である場所を、環境を、見失わないこと。

そうなんですねぇ〜。
みんな、それぞれに、見えないところで苦悩を抱えているんですよねぇ。表面は幸せに、笑顔を作っていても、もっと上を望んでいる自分がいたり、他人の環境を羨んだり妬んだり。ついつい、余計な言葉や態度で、当たったり傷つけたり。。。

今の私の、この生きている環境を、何気ない目の前の有難さに感謝していければ、どんなに良いかと思いますが、現実には、なんだか虚しかったり、寂しかったり。
人間、ワガママなんだけど、それが煩悩であり、切れないものなんです。愚痴 も煩悩の一つです。

私も家庭があり、子どももいますから、私なりの理想ってありますが。なかなか、勝手なもので、その通りにはなりません。そりゃそうです、人間 煩悩があり、どこまでいっても自己中心の私なのですから。
仏教では、その 「私の自覚」が大事です。
一歩社会に出れば、妻の私、母の私、親の私、いろんな私を生きなければなりませんから、それに合わせた人間関係も求められます。もちろん、それも大事だし必要なことではあるけれど、それが全て その中でしか生きられない、というわけではありません。しんどければ、その中から抜け出せばいいのだし、その中にいるときだって 立場としてのお付き合いをすればいいのです。割り切ると言うと 淡々とした感じがしますが、無理をして 自分を追い込む必要もないわけです。

「私は私」である場所を、環境を、見失わないこと。そこで、丁寧に生きましょう。誰と比べるでもなく、あなたの人生は、まだまだ これからです(*^^*)
受け入れたとき、毎日が感謝に変わりますよ◎

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はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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このひと呼吸は只ひとえにあなたのためだけにある

こんにちは。埼玉県民を救うために仏の世界から派遣された埼玉県民、丹下サイタマンです。
他人との人間関係はメンドーっすよね。
ママ友の関係も学校が変わる、クラスが変わればそれっきり。
かといって全部と付き合ってればお金も時間もいくらあっても足りまへん。
みんな自分が大事だという事でしょう。
お子さんの問題はできる限りお子さんに解決させるようにつとめましょう。
親が干渉すると子供の考えも影響されます。
人には言わせておけばいいのです。
絶対にそうではないことをそうだと思ってしまう誤解に満ちた人間たちです。付き合う必要も価値もありません。
私は親友との語らいは年に一度、二度くらいです。
夫婦は友人より絆が強いですからこそご主人ともっとお友達になりましょう。
今朝も夫婦で仲良く散歩していた二人がいました。
人生は本当に一人であることを明らめる必要があると思います。
孤独を感じるというのは、おそらくそこに「孤独ではない有り方」を想定されている所があるのだろうと思います。
私は昔から独りでしたが、人っていくら求めても、その人はその人でその人を生きています。
一緒にいると言ってもトイレまで一緒に行けるわけではありません。
仏道は良い意味で孤独を極める側面もあります。
それはもはや孤独ではなく、乾坤ただ一人、天上天下唯我独尊なる自己を明らかにすることです。
今の一呼吸は他でもないあなたのためになされている事を今晩ずっと考えてみてください。
あなたが夕食で口にするものは宇宙広し、世界広し、阿部寛、関口ひろしと言えど、ただあなたの為、ただ一人のために支えてくれる命です。米粒の一つから。おかずやサラダの植物という生命から、すべてが。
私がこの道理を悟ったのはインドの山奥サイタマケンのクラズーシー※という修行道場に居た時の事でした。※くら寿司…回転ずし
遥か彼方からイクラがやってくる。
軍艦に乗せられたイクラたち。
その命の一粒一粒は世界広し、舘ひろし、猫ひろし、五木ひろしといえど、そのイクラは只ひとえにこの私の口に入るためだけに運ばれてきたのです。
何と命の尊いことでしょう!
その時、私はそっと手を伸ばしました。ですが、ワタシはその時、大きな力が働き、かのイクラたちを口にすることを控えたのです。私は、その時大いなる一大事を悟ったのです。
「これは…他のお客様が注文したイクラだったか。」完

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非難されない人は居ない

仏陀の言葉です

「沈黙する者も非難され
多く語る者も非難され
少しだけ語る者も非難される
世に非難されない者はいない」

仏陀もまた、彼をねたむ者達から陥れられそうになったり、命を狙われたりもしたそうです。
それでも仏陀は生き方を変えることはありませんでした。
ある日、バラモンの男が仏陀のところにやってきて激しく彼を非難しました。
しかし目の前で罵倒されながらも仏陀は静かにそれを聴いています。
やがて男も不思議に思ってなぜ言い返さないのかと尋ねた。
すると仏陀は「私の前で悪口雑言罵っても、私がそれを受け取らなければそのままあなたに還ってゆくだけだ」と説きました。

くだらない中傷などに目くじら立てていたら、結局は同じレベルの人間になってしまいますよ。
当を得た、ためになる批判ならばありがたく受け入れ、それ以外は受け取らなければ良い。

古代の経典「ニカ-ヤ」のことば
「愚かな人は、乱暴な言葉を語りながら「自分は勝っている」と考える。
しかし勝利というものは、じっとそれに耐えている、智慧ある人たちにこそあるのだ」

自分を信じて、胸を張って生きればいい。

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様々なつらい別れや痛みを、私も経験しながら今日を生きています。 あなたの...
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質問者からのお礼

龍興寺 林様、教善寺 中田様、ご教授ありがとうございます。

昨夜の質問にこんなに早くご回答頂けたことに感激です。

今朝から何度も回答を読み返しております。

まだまだ心がざわつくことがあると思いますが、その度に頂いた回答を読み返して行きたいと思います。

お忙しい中丁寧なご回答本当にありがとうございました。

安穏寺 丹下様 ご教授ありがとうございます。「孤独ではない有り方」があるのか、おっしゃる通りだと思います。なかなか気持ちを切り替えるのが難しい時もありますが、何度も読み返して自分の心に浸透させたいと思います。

また、回転寿司に行った際は私も別の方の注文品を取らないように注意したいと思います
(*^_^*)

楽しくも奥深いご回答ありがとうございました。

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