注意されると落ち込んでしまう
大変お世話になっております。
自分の言動を注意されるとへこむことが多くなりました。もちろん、いけなかったこと(私の言い分では、そうかな?と思うこともありますが)に対して、注意点を反省することは大事な気はしますが、へこんでしまう自分の心を守るために、「なんだよ!」みたいな気持ちも芽生えてしまうのも事実です(相手や人にはあまり言いませんが)。
自分が悪かったと思うとよけい、へこんでしまうので、自分が悪ければ悪いほど抵抗して心を守りたくなるような。
でも、そうやって密かに反抗し続けるのも、人からの言葉で動揺してしまう心を守るには有効ですが、非を認められない素直でない自分に向き合うつらさもあります。
本心では、人畜無害で何事にも素直で従順に聞ける女性でありたいと思っているのかもしれません。もしくは、人から多少注意を受けても心には動揺を受けず、それでもうまく柔らかにやっていける女性。そんな勝手にかかげた「理想」とかけ離れた自分に、苦しんでいるのかもしれません。
特に今は「先生」と呼ばれる仕事に就いていることもあり、よけいプライドの高い気持ちがあるのかもしれません。「先生」は間違っちゃ行けないような、暗黙の了解に勝手に支配されているような。元々ほぼ初対面でも「しっかりしている」といわれがちなタイプなので(そう見えることは私は全く好きではありません。勝手に期待してほしくないと思ってしまいます)
人から注意を受けたとき真摯に受け止めるのは大事だと思います。
ただそれと同時に、自分の心に生まれる動揺にどう向き合えばいいかよくわかりません。
「そんなこといったって、そっちが100%悪いじゃん!」と思えるようなことは気にしないでいられますが、自分に少しでも非があるとへこんでしまいます。完璧になどなれるはずないのに。
あまり人の悪口も言わないほうですが、偏った見方、自分に都合のいい話し方でも、誰かに話してストレス解消したほうがいいのかな、とか考えてしまいます。もちろん根本的な解決にはなりません、ただのストレス解消です。。
育ちよく見られることもあり、その像を完成したいと思ってしまうのもあるかもしれません。礼儀完璧、非もなく、悪口も言わない、素直で綺麗な心の、、
素直さと豆腐メンタルの違いは何でしょうか?
芯が強いことと我が強いことの違いは何でしょうか?
心構えをお教えください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
なるほど、そうだよね、確かに、うん、そういう側面もあるよね。
👿そもそも世界のピーポーたちは自分の目でしかものを見れん。
偏った自分だけの小さなものの見方でもそれが正しいと思っちょるのである。
💀だからまず彼彼女らのそういう別の側面から眺めたものの見方を一度肯定してあげる事なのぢゃ。そうすることでソナタは傷つかずに相手の意見もソンチョーできるであらふ。
こんにちは。ゴールデンウィーク如何お過ごしですか?我こそは👼天空の使者👼(派遣日雇い)ヘルゲタンゲルゲです。
仏の世界から汝が心の苦しみをとげ抜かんと遣わされた日雇い派遣社員なり。(無給)
素直であるという事は、正直であるという事です。
正直であるという事は、あれは言われて嫌だったという事にも向き合える素直さが必要です。
素直で正直な人は、打たれて痛かったことも素直に肯定できるのです。
だから禅僧の仙厓さんは死ぬ前に死にとうないのぅ(笑)と言えたのです。
私たちだって、病気さえしなければドラえもんができるくらいまでは長生きしたいはずです。「死にたくねぇねぁ(*´з`)」とケロッとしていられるのです。それでも死ぬのも平気なのです。
豆腐メンタルにも色々あります。絹豆腐メンタル、木綿豆腐メンタル、焼き豆腐メンタル。
けんちん汁の由来になった建長寺で落っこちて崩れた木綿豆腐は崩れたって結果的にそっちの方が良かったのです。豆腐が崩れたらそぼろになればいいのです。
トウフのままの自分を維持しようという事自体、豆乳、大豆だった自分を忘れていませんか。
何も先生臭くいる必要などありません。この丹下を見なさい。どれほどこのhasunoha内のキッチリとした立派なお坊さん達から浮いていることか。ひょっとしてお坊さんじゃないのかもしれませんよ?
芯が強いとはちゃんとブレないズレない折れない確かさを持っていることです。
私は日本中、世界中が某新興宗教で統一されたとしても内部から食い破ってもっとまともな新興宗教にするでしょう。ラベルなどどうでもイイのです。きちんとしたブレないズレない折れない確かさがある事。折れても、粉々になってもいいのです。
心構えは「うまい棒」にあり。
試しにうまい棒を買ってきて袋の中で粉々にしてみましょう。
美味い粉の出来上がりです。
ご飯にかけて食べてみてください。
あなたのこだわりは瞬時にコナコナになるでしょう。
一句浮かびましたわ。
美味い棒 折れて崩れて ウマい粉
しなやかな竹は折れにくい
嫌な気分になったときはは、心の中で「欲・怒り・怠け・プライド」と念じて、自分の煩悩をスキャンしてください。
人生は、今やるべきことを今やり、今言うべきことを今言い、今考えるべきことを今考える、ただそれだけでよいのです。
しかし、欲・怒り・怠け・プライドが邪魔をして、今やるべきことを妨げたり、今は考えなくてよいことを今考えてしまったりするのです。
で、心があっちへ引っ張られたり、こっちへ押し戻されたりしますよね。
そんなとき、しなやかな竹のように柔軟に対応できればよいのですが、欲・怒り・怠け・プライドが邪魔するときは、心のしなやかさがなくなってしまう場合があり、ポキッと折れそうな無理な状況になってしまったりしますね。
そういえば、竹は空洞ですね。
芯が強いとか言う以前に、芯がない。
守るべき我(エゴ)は、本当はないのです。
仏教徒の場合、エゴは守る必要がないですが、五戒(殺生しない、盗まない、嘘をつかない、不倫をしない、酒や麻薬に酔わない)を守る方が良いのです。
日常生活では守るのが難しい場合もあると思いますが、何か迷ったときには、判断のヒントにしてみてください。
あと、仏教では心は無常、法は無我と説きます。
心・感情は次々に変化します。嫌な気分も時間が経てば晴れますから、悩んでも、安心しながら悩んでください。
法(人間が頭で考えた概念)は、無我(夢や幻みたいに実体がない)ですから、頭で創作したお化けにとらわれないで、気持ちをリセットしてください。