無題
今日17年間飼っていた飼い犬が亡くなりました。私が3歳の頃から一緒に居て家族でした。
私は犬が亡くなった時に自分の用事をしており死に目に会えず、さらに最後にかけた言葉も覚えておらず後悔という気持ちかわからずなにも考えられないです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
最後だけが大切なのではありません
自分が見たもの、聞いたことがすべてと思ってしまいがちですが、それはちっぽけな世界です。同じような世界が無数にあり、自分はその一部を知っているだけなのです。死の瞬間とか、最後の言葉にこだわっておられるようですが、そこだけ切り取って見て何の意味があるのでしょうか。
愛犬と過ごした17年間の思い出があるではありませんか。17年間があったからこそ死を悼む気持ちや悔やむ気持ちがあるのです。今まで一緒の生活があったから起こってくる感情なのです。もしあまり関わり合いのない他人が看取る場に居合わせたり、最後にかけてあげた言葉を覚えていても、そんなことはすぐに忘れてしまいます。
最後にかけた言葉を覚えていないのは、今までいろんな声掛けをしてきたらからです。最後の言葉だけに意味があるのではありません。
これからは、あなたが苦しいとき悲しいときに、愛犬と過ごした日々の思い出があなたに生きる勇気を与えてくれるでしょう。
これからも共に
拝読させて頂きました。大切な家族であるワンちゃんが亡くなられてとても悲しく寂しくつらいお気持ちと最後をみとることができずに深く後悔なさっておられることと思います。あなたのそのお気持ちを心よりお察し申し上げます。
人にも生き物にその生命は限られたものですし、与えられたものです。
あなたがそのコの死に目に立ち会うことができなかったことはつらいことでしょうが、それはやむを得ない巡り合わせです。過ぎ去ってしまった過去は変えることはできません。
ただそのコはあなたに最後立ち会ってもらわなかったことを決して恨んでいるわけではないでしょう。
あなたと共に過ごすことのできた幸せな一生を心から感謝なさっておられることでしょう。
あなたはこれからもそのコを大切に思いながら心を込めてご供養なさってくださいね。
私もそのコが仏様に正しく導かれて仏様のもとに生まれて心安らかになりますようにとお念仏おとなえさせて頂き仏様にお願いさせて頂きます。
南無阿弥陀仏
必ずやそのコは仏様のもとにて安心してこれからもあなたを想ってお見守りになってくれます。
あなたのいつも身近に見守りくださいます。あなたとそのコのご縁は永遠です。これからもずーっと続いて参ります。
あなたがあなたの人生を全うなさる時、必ずやあなたも仏様に導かれて仏様のもとに生まれたとき再びあなたはそのコと再会し喜びを分かち合いことでしょう。
それまでどうか心穏やかに見守っていてね、とそのコにお願いなさってくださいね。
あなたとそのコがいついかなるときでも深いあたたかいご縁で結ばれていかれますようにと心よりお祈り申し上げます。