「お金」に執着することをやめたい
私は、「お金」「お金を稼ぐこと」にとても執着してしまいます。
持病があり、満足にフルタイムで働けず非正規雇用として収入が安定しないこと、医療費がそれなりにかかることも原因なのかな……と思っていたのですが、
それを抜いても、お金を貯めて何かしたいとか、何かが欲しいという理由が特にないまま、「とにかく貯めなくては!」という強迫観念じみたものに囚われている気がしてなりません。
ほぼ「お金、お金」と考えている自分が、恐ろしいというか疎ましいです。
何かご助言、ご意見をいただければ幸いです。
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご自身の気持ちに正直に向き合って下さい。
収入の不安、医療費という避けられない出費を考えると、貯蓄に対して神経質になられるのも否定できない事だと私は思います。
お金に執着するという思考が、今の木瓜さんの素直な気持ちです。
ただ、そのお金に執着するという行為に、罪悪感を感じられていますね。
要するに、自分の本性を否定し罪悪感を感じ続けているという事です。
自分を否定するという在り方は、疲れ果ててしまう大きな要因として、のしかかってきます。
木瓜さんは、まだ葛藤しておられるのかなと感じました。
どのように生きればベストなのか・・・
外見では気づかないでしょうが、木瓜さんの内面では、ものすごくグルグル考えが巡り、パンク寸前なのです。
少し頭を休められてはいかがですか?
一旦お金の執着から離れ、迷いから遠ざかってみるのです。
遠くから見つめ直す事により、なりたい自分が見えてくるかも知れません。
おそらく、木瓜さんから完全に葛藤が消え去ることはないと私は思います。
しかし、軽くすることは可能です。
それくらいで考えられた方が、あなたにとって有益です。
金銭に執着しようがしまいが、それは個人の価値観であり、誰もが否定する事は出来ないのです。
自然な気持ちで生きていかれればと、少なくとも私はそう思います。
お金が必要ですし大切です
拝読させて頂きました。あなたの思うように生きていくにはお金が必要ですし大切です。お金がなくなったらどうしよう、と不安になり強迫観念を持つこともありえますよね。
ただお金は紙切れでしかない、金属でしかない、最近のネット社会では社会の記号でしかないのも事実です。ですからこの世のルールの一部でしかありません。そして生命やあまた価値あるののような価値はお金それ自体にはないのです。様々必要なものと交換できるというルール上の価値しかないといえます。
当然のごとく死んでは持っていくこともできないものです。ある意味紙屑ですからゴミのようなものです。
生きていくときに必要なだけのものですから生きていくことの上で必要と思われる以上にお金に執着することは本当に愚かなことです。
死にゆく自分がお金を両手で抱えながら死んでいく姿は本当に愚かで醜いものです。
想像なさってみてください。
であるならばこれからの人生をどう生きていくことが大切なのかはよくよくお考えなさってみてくださいね。人を救うことをできますし、人を追い込み破滅させることもできるのです。
何が生きていくのに大切なじっくりとお金をにらみながらお考えなさってくださいね。
あなたがその不安から少しでも離れて我欲や執着を離れて心も身体の健やかに周りの皆さんと仲良く思いやりながら充実した毎日をお送り頂きます様心よりお祈り申し上げます。
お金は使ってこそ意味があるのです!
木瓜さん、こんにちは。
お金を貯めることに不安を持ってしまっているのですね。
もちろん、お金はあることにこしたことありませんし、病気であればなおさら必要なものです。でもお金はあくまでもツールであって目的ではありません。お金を目的に貯めに入ってしまうといくらあっても欲しい欲しいになり、自分は何もかわらないのに数字だけアップするのを喜び、そして使う間もなく亡くなってしまうパターンをたくさん見てきました。亡くなったらあの世に持っていけないものです。たいせつなのは自分の夢や目的にお金を使うことなのです。必要最低限の貯金だけして、逆に自分のスキルや趣味アップに使うのも一つの方法です。それはお金が無くなった、心配だではなく、違う価値に代わって、あなたの中についているのです。
特に心の投資にお金を使うことは一番いいことです。ぜひ木瓜さんもホンの少しお寺にお布施して心を豊かにしてください。私のお寺は大歓迎です(笑)。いつでも辛くなったメール&電話でご相談を。元気にいきていきましょー!合掌。
質問者からのお礼
ご回答誠にありがとうございます。
守銭奴とご叱責を受ける気持ちでありましたが、温かく染み入るようなご助言、心より感謝いたしております。
確かに、私は「お金を貯める」ことだけに思い悩み、焦り、一喜一憂し、そんな自分が浅ましく思えて仕方がありませんでした。
ですが、そんな自分の一面を嫌えば嫌うほど、比例して「お金」に執着し続けていたような気もします。
これからはもう少し、そんな自分とゆっくり向き合ってみたいと思います。
今ならきっと、今までとはまた別の気持ちが生まれるような、優しい予感がします。
ありがとうございました。