絶望。どうしたらよいか分かりません。
2日前、ここで相談させていただきました。回答をいただき、また少し前向きに頑張ろうと思っていたところでした。
今、進展がありました。元夫のメールで、「両親は返信を出すつもりは無いと言っていました。」と書いてありました。いまだに、元夫から体を求めてきたりや会いたいとメールがあるのです。離婚した今もずっと私の両親と元夫は月3回ほど交流をしているのも知っています。私は両親の状況が知ることができたらと思い元夫のメールは拒否していませんでした。今更ではありますが、両親には元夫がちょくちょく私にメールをしていることは言ってないと思います。でも、両親は私より元夫を信用していることは事実です。関係修復どころか話すらしてもらえないような気がします。絶望以外の言葉が見つかりません。。。
両親とうまくいかない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自分の本音を大切にすること
こころさん
あくまで参考程度に
私の勝手な予測ですが
こころさんの親は
幼少期から、大人になってからも
自分達の考える娘像に
こころさんをさせたかったのではないかと思います。
自分達のいう事が聞けない
期待に応えられないあなたは
「だめな人間」と言われて育ったのではないでしょうか
子どもは、生まれながらに親に愛されたいのです。
そのため
愛されるために親のいう事を聞こう
愛されるために期待に応えたいと思います。
愛されないのは
いう事を聞けない
期待に応えられない
自分が悪いのだ
自分が「だめな人間」だからなのだと
罪悪感を植えつけられ
自己肯定観が低くなります。
それは
こころさんがだめだからでもなく
悪いからでもなく
そのままのこころさんを
受けとめてもらえなかったからだと思います。
ご両親は
あなたが結婚生活でどう感じていようと
社会的に問題のない夫と離婚した
親の意向に沿えなかったあなたが
許せないだけなのだと思います。
そしてあなたは
植えつけられた罪悪感によって
“私が一番悪いんです”
“私の言動に問題があったのだ”と
直ぐ思ってしまうのではないのでしょうか。
それではあなたは救われません。
“両親にも、元夫にしても2人が間違ってると思う気持ちもあるけれど、ここまでにされるのには自分が悪いと思っています。”
間違っている、正しいではなく
こころさんは
自分を責める前にもっと自分の感覚
自分の本音を大切にすることが大事だと思います。
妙案も奇策も無し。まず両親とのコミュニケーションの回復を。
前の質問の回答と重複する部分があることをご容赦ください。
前の質問の「質問者からのお礼」欄の記述でだいぶ事情が理解できました。「こころ」さんからの説明を読む限りでは、元夫は外面が良くて口が上手く如才無いタイプの人間であり、あなたの両親をうまく懐柔してきているということでしょうか?
一方、「こころ」さんは、元夫からのDV等のため心も体も病んだ状態で離婚に踏み切り、御両親にもうまく説明できず、御両親から悪く言われる状態が続いている。
離婚する時に、御両親はあなたのことを責めて、元夫の味方をした。単に元夫が「口が上手い」「狡賢い」というだけの問題ではないと思います。失礼ながら、「こころさんの言動に御両親からの信頼信用を失い、コミュニケーションを遠ざけてしまうものがあったんじゃないか。」と推測してしまいます。私の推測が間違いならお詫びしますが、信頼を失いコミュニケーションから遠ざかってしまった原因はあなたにもあると思います。その点を振り返り、改善可能な所から着手するしかないと思います。8年間音信不通だったわけですから、御両親との関係改善にも時間がかかると思います。、一回の手紙の結果に落胆せず、冷静に丁寧に何度も手紙を綴り、御両親と直にコミュニケーションがとれるように努めてください。
尚、今回の手紙のことを元夫に語っったことはプラスにはならないでしょう。あなたが手紙を出したことは元夫に、都合のいいように利用されるだけかおしれません。そういう危険性も考慮した方が良いですよ。
直接会うことはできないのでしょうか
元旦那さまを返して、とかお手紙とか間接的な方法ではなく、
直接ご実家に行かれて会ってお話しするのが一番ではないですか。
できれば間に入れる第三者的な方がいてくれた方がいいですよね。親戚など仲裁役になってくれそうな人はいないのでしょうか。
もしそういう人がいれば、まずその方と話し、話を整理してから会いに行ったらいいかと思いますが。
愛の実践をして下さい
こんばんは。こころさんが40代ということは、ご両親は60・70代あたりでしょうか。私の親とかぶります。
坊さんが「愛の実践」というと変な感じでしょうが、自分も子どもを育てるようになって、「親子の愛情って、どんなものか」を考えるようになりました。
私が大学生の頃、親をうとましく思って、帰りを遅くした事がありました。9時・10時・11時…でも、帰ると二人が起きていて、「晩ご飯食べたの?」と聞くのです。「食べたよ」「そう、良かったわね」とだけ会話して、ぷいと自室へ入る日々でした。
どんなに遅くなっても、夫婦揃って起きているのです。「遅いから駄目じゃないか」とか、なじるような事は一度も言われませんでした。そして…僕にはそれが重荷でした。
そんな生活は、自分で下宿する時まで続きました。こちらが耐えられなくなったのです、親を遅くまで起こしておくことに。
そしていま、思うのです。「あれが親というものなのかも」と。わがままして、迷惑かけて、困らせて。期待を裏切って。それでも「ご飯食べたの?」と聞くのです。用意するのです。
よく仏教では「執着を捨てなさい」と言います。親子の愛も執着です。それを適用するならば、「親子といえども他人でしょう。もう独り立ちしなさい」と説教することもできます。絶望と書かれていますが、諦め(明らめ)です。ご自分で「やり尽くした」と納得するなら、すっぱりと諦めるべきです。
けれど、もしまだ手紙が書けるなら。何通でも出して下さい。「いつか、”食べるよ”って言う日があるかもしれない」と同じく、「いつか、”返事書こうかしら”と思う日があるかもしれない」と思って。内容は同じ事の繰り返しで構いません。我々だって、「南無阿弥陀仏」を何回も繰り返しているだけなのですから。
どんな形か分かりませんが、あなたのご両親も、いろいろ考え、苦労して、貴方を育ててくださった筈です。愛があったはずです。それを返してあげることで、貴方とご両親は対等になると思いますよ。そしてそれは、ご両親にとっての「子育ての完了」なのだと思います。
離婚後の8年間、あなたがどういう思いを辿ったのかは分かりません。しかし、8年かけて今のような状態になったのであれば、8年かけて修復する位の構えで良いのではないかと思います。
質問者からのお礼
邦元さま、回答頂きありがとうございます。
本当にそうですよね。今日一日考えていました。誰か間に入ってくれる人がいたらいいなと。
怖くて行けなかったので、まず第一段階として手紙でした。
よく考えて話を整理してみます。頼める親戚等居ればいいのですが、思い付かず。。。
お付き合いのあるお寺とかもないのですが、仲裁等はやっていないだろうし。。。
行き詰まっていいますが。。。
回答頂き有り難く思っています。
吉田俊英さま。今回も、回答いただき心から感謝しています。
推測していただいた通りです。まったくその通りの状況です。私が一番悪いんです。一番悪いのは私なんだと思うんです。当時もそう思っていたし、今もやっぱりそう思って毎日過ごしています。ただ、両者が悪いと書いたわけではなくて、両親はこんな性格で、元夫はこんな性格の人でという事実(実際)を説明として書きました。両親にも、元夫にしても2人が間違ってると思う気持ちもあるけれど、ここまでにされるのには自分が悪いと思っています。だから、一番悪いのは私だって思っています。自己肯定の気持ちが昔から低いです。子供のころから、「だめな人間」と言われて育ちました。大人になってからは、両親に気に入られるような振る舞いだけをしたので、上辺だけ上手くいっていました。。。
ですが、離婚するとなったときそれは親の気に入る行動ではなかったのです。結局、もともと両親には信用されてなかったからで、元夫の存在とか関係修復には関係ないかも知れないですね。
私の言動に問題があったのだいうことです。気づきました。
文章が上手にかけず変になってしまいましたが、吉田さんの推測の通りでした。
冷静に時間をかけて、よく考えて反省して、また手紙を書いて、いつか両親と関係修復できる日が
くるようにやっていきたいと思います。心に響く回答をありがとうございます。
少しでも今回の件で、自分が成長できるようになりといと思います。
佐藤良文様、回答いただきありがとうございます。
せっかく、すぐに回答いただきましたのに、お礼が遅くなり申し訳ありません。
実は、前向きに!!という気持ちにはなっているのですが、気持ちが落ちてしまってしばらく気力が消えて、この一週間は呼吸するのさえ辛いと思ってしまいました。
「愛の実践」やってみます。佐藤さんの体験を話してくださり、私も両親にいつか伝わる日が来るかなと希望も出てきて、そしてもしやるだけやってだめなら、あきらめようと思えました。絶望でなく、諦め(明らめ)ですね。両親も、私を育てているときは何かしらの愛情はあったのかもしれないので、そのことは忘れないようにしたいです。
本当に本当にありがとうございました。
中根信雄様。今回も、回答いただきありがとうございます。それなのに私はお礼が遅くなり申し訳ありません。間違ってる、正しいではなく自分のことも大切に考えたいと思いました。正直なところ、小さいころからありのままの自分(私)でいいよと育てられたかったなと思ってしまいます。でも、
ここで中根さんや色々なお坊さんたちに相談にのっていただき、色々と、今更ですが気づくことも多く41歳にはなってしまいましたが、少しでも成長し、今より少し気持ちが楽に過ごせる毎日になるようにやっていきたいです。
本当に、いつもありがとうございます。